予期せぬ外部監査、あるいは深夜の緊急召集
指の間を滑り落ちる髪の感触が、湿り気を失って軽くなる。
李宵は満足げに象牙の櫛を置くと、背後から私の腰を包み込むように腕を回した。
彼の胸板の厚みが背中に密着し、逃げ場のない熱量が白絹の単衣を通して伝わってくる。
岩盤のように堅牢な彼の骨格に、私の身体がすっぽりと収まり、物理的な「占有」を完了させていた。
「……良い匂いだ」
耳朶を掠める掠れた低音が、うなじの産毛を震わせる。
深い龍脳の香気が、私の身体から立ち上る清潔なサボンの残香を強引に上書きしていく。
それは、緻密に計算された「定時退社」という報酬さえも霞ませる、高密度の残業――二人きりの時間。
私は彼の腕に自分の指を重ね、その強靭な掌の熱を、自らの血流へと同期させていった。
このまま、思考のスイッチを切ってしまいたい。
帳簿の矛盾も、不採算な派閥争いも、すべては対岸の火事でしかないはずだった。
ゴロゴロ……。
不意に、床板を通して内臓を揺さぶるような低周波が響いた。
地鳴りではない。
漆黒に塗り潰された窓の向こう側で、稲光が一瞬だけ長安の空を切り裂き、不吉な青白い輪郭を浮かび上がらせる。
私の背中に触れていた李宵の筋肉が、瞬時に鋼のような硬度へと変質した。
彼もまた、直感したのだ。
甘い密会の終了を告げる、致命的な「市場の変動」を。
「……陛下」
「……ああ。分かっている」
廊下の彼方から、石床を叩く慌ただしい足音が、鋭いノックの音へと収束した。
ドンドン!
静寂を物理的に破壊する、無遠慮な衝撃。
「申し上げます! 急報です!」
扉越しに響く、喉を掻き切るような宦官の切迫した声。
「西方より、神策軍大将軍・張殿が帰還されました! 軍を引き連れたまま、直ちに謁見を求めておられます!」
張将軍――神策軍。
皇帝直属でありながら、時にその権力を脅かす「最強の暴力」の名が出た瞬間、私の肩に預けられていた彼の甘い熱は霧散した。
李宵の瞳から揺らぎが消え、絶対君主としての「赭黄」の温度へと、冷徹に切り替わっていく。
嵐が、来る。
私は乾いたばかりの髪を指先で強く握りしめ、鏡の中に映る、唇を噛み締めた異邦人のような自分の顔を、ただ見つめ返すことしかできなかった。
◆◇◆
読んでいただきありがとうございます!
もしよろしければ、「リアクション」や「ご感想」をいただけると嬉しいです。
また明日[19:00]にお会いしましょう。




