迷い込んだ獅子、あるいは大型犬の甘え方
西の空が、沸騰した朱をぶちまけたような茜色に染まり始める。
女官たちの足音が遠ざかり、静寂が肺の奥まで沁み渡る頃。私は、中庭の端に据えられた、昼間の熱を微かに残す大きな平石に腰を下ろした。
陶器の水筒から、冷やしておいた甘草水を喉に流し込む。
舌の付け根に残る独特の重みのある甘みと、鼻に抜ける生薬の乾いた匂い。それが食道を通り、横隔膜を冷やすたび、過労状態の筋肉が緩んでいく感覚があった。
ザッ、ザッ……。
枯れた草を踏み、土を蹴る不規則な振動が近づいてくる。管理監督を逃れた庭師の残業だろうか。そう思って目線を上げた先――。
「……こんなところにいたのか」
逆光を背負い、縁取られた影を歪ませて立っていたのは、赭黄の衣を纏ったままの李宵だった。
けれど、その肩は小さく上下し、端正な額には数本の濡れた髪が張り付いている。黄金の瞳は光を反射することを拒むように濁り、剥き出しの疲労がその美貌の輪郭を曖昧にさせていた。
「陛下? どうしてここに。護衛は……」
「……撒いてきた。耳元で喚く羽虫どもなど、いちいち相手にしていられん」
不機嫌に喉を鳴らし、彼は私の隣へドカリと沈み込んだ。
石が低い悲鳴を上げるような質量。数枚の布地を隔ててなお、私の半身を焦がすような、高い体温の放射。
彼は言葉を失ったように、私が今しがた掘り返したばかりの、湿った黒土の連なりを見つめていた。やがて、その視線が吸い寄せられるように、私の泥にまみれた手元へと落ちる。
「……汚れているな」
「ええ、土仕事ですから。お見苦しくて申し訳ありま……」
「いや。……綺麗だ」
鼓膜を揺らす、静かな断定。
彼は私の、爪の間まで黒く汚れた右手を、壊れ物を扱うような慎重さで掬い上げた。指先が泥の層をなぞり、彼の唇が、まるで価値のある印章を捺すかのように、私の汚れた指の背に触れる。
「朝廷の連中の手は、権力に媚びる墨と脂で汚濁しているが……お前の手は、命の匂いがする」
低いバリトンの響きが、夕暮れの風に溶けて首筋を撫でた。その横顔は、帝国の頂点に君臨する獅子というよりは、群れを統率しきれず、深い傷を負ったまま荒野を彷徨う大型犬の残像を見せている。
不意に、視界から彼の顔が消えた。
肩に、ずっしりとした頭の重みが預けられる。硬くしなやかな髪が、私の頬にチリチリとした摩擦を与えた。
龍脳の、雨に濡れた森のような香気が、掘り起こされた土の生々しい匂いと混ざり合い、致死量に近い甘さで肺を満たしていく。
「……少しだけ、こうしていさせてくれ。……あそこは、酸素が薄すぎて息が詰まる」
それは、私の胸の奥を細い指で摘み上げるような、無防備な弱音だった。
重力に従い、私にすべてを委ねる彼の質量が、不思議と逃げ場のない安心感となって背骨を伝う。
「……俺も、ここで育ててくれないか。……水くらいは、自分で飲むから」
拗ねたような、けれど逃げ道を塞ぐ切実な声。
私は吐息のような苦笑を漏らし、彼の後頭部に、泥に汚れた掌をそっと添えた。
高価な衣を汚してしまう。そんな実務家としての損得勘定は、今この瞬間、彼の体温という名の圧倒的な変数によって、完全に無効化されていた。
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また明日[19:00]にお会いしましょう。




