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皇帝陛下の不採算な溺愛~転生コンサル、契約外の執着で定時に帰れません!~  作者: 深山 凛
第2部『玉座の改革者』

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迷い込んだ獅子、あるいは大型犬の甘え方

西の空が、沸騰した朱をぶちまけたような茜色(あかねいろ)に染まり始める。



女官たちの足音が遠ざかり、静寂が肺の奥まで()み渡る頃。私は、中庭の端に据えられた、昼間の熱を微かに残す大きな平石に腰を下ろした。



陶器の水筒から、冷やしておいた甘草水(かんぞうすい)を喉に流し込む。






舌の付け根に残る独特の重みのある甘みと、鼻に抜ける生薬の乾いた匂い。それが食道を通り、横隔膜を冷やすたび、過労状態の筋肉が緩んでいく感覚があった。




ザッ、ザッ……。



枯れた草を踏み、土を蹴る不規則な振動が近づいてくる。管理監督を逃れた庭師の残業だろうか。そう思って目線を上げた先――。




「……こんなところにいたのか」




逆光を背負い、縁取られた影を歪ませて立っていたのは、赭黄(しゃこう)の衣を(まと)ったままの李宵(リ ショウ)だった。






けれど、その肩は小さく上下し、端正な額には数本の濡れた髪が張り付いている。黄金の瞳は光を反射することを拒むように濁り、剥き出しの疲労がその美貌の輪郭を曖昧(あいまい)にさせていた。




「陛下? どうしてここに。護衛は……」




「……()いてきた。耳元で(わめ)く羽虫どもなど、いちいち相手にしていられん」




不機嫌に喉を鳴らし、彼は私の隣へドカリと沈み込んだ。



石が低い悲鳴を上げるような質量。数枚の布地を隔ててなお、私の半身を焦がすような、高い体温の放射。



彼は言葉を失ったように、私が今しがた掘り返したばかりの、湿った黒土の連なりを見つめていた。やがて、その視線が吸い寄せられるように、私の泥にまみれた手元へと落ちる。




「……汚れているな」




「ええ、土仕事ですから。お見苦しくて申し訳ありま……」




「いや。……綺麗だ」




鼓膜を揺らす、静かな断定。



彼は私の、爪の間まで黒く汚れた右手を、壊れ物を扱うような慎重さで(すく)い上げた。指先が泥の層をなぞり、彼の唇が、まるで価値のある印章を()すかのように、私の汚れた指の背に触れる。




「朝廷の連中の手は、権力に()びる墨と(あぶら)汚濁(おだく)しているが……お前の手は、命の匂いがする」




低いバリトンの響きが、夕暮れの風に溶けて首筋を撫でた。その横顔は、帝国の頂点に君臨する獅子というよりは、群れを統率しきれず、深い傷を負ったまま荒野を彷徨(さまよ)う大型犬の残像を見せている。







不意に、視界から彼の顔が消えた。



肩に、ずっしりとした頭の重みが預けられる。硬くしなやかな髪が、私の頬にチリチリとした摩擦を与えた。



龍脳(りゅうのう)の、雨に濡れた森のような香気が、掘り起こされた土の生々しい匂いと混ざり合い、致死量に近い甘さで肺を満たしていく。




「……少しだけ、こうしていさせてくれ。……あそこは、酸素が薄すぎて息が詰まる」




それは、私の胸の奥を細い指で(つま)み上げるような、無防備な弱音だった。



重力に従い、私にすべてを委ねる彼の質量が、不思議と逃げ場のない安心感となって背骨を伝う。




「……俺も、ここで育ててくれないか。……水くらいは、自分で飲むから」




()ねたような、けれど逃げ道を(ふさ)ぐ切実な声。



私は吐息のような苦笑を漏らし、彼の後頭部に、泥に汚れた掌をそっと添えた。



高価な衣を汚してしまう。そんな実務家としての損得勘定ロジックは、今この瞬間、彼の体温という名の圧倒的な変数によって、完全に無効化されていた。

読んでいただきありがとうございます!

もしよろしければ、「リアクション」や「ご感想」をいただけると嬉しいです。


また明日[19:00]にお会いしましょう。

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