完食のサイン、あるいは不可逆な依存
カタリ、と。
磁器が卓上を叩く、小気味よい乾いた音が静寂に落ちた。
一滴の濁りも残さず、徹底的に浚い尽くされた空の丼。
「……食った」
李宵は、肺の底に溜まっていた熱を吐き出すように呟いた。
峻烈な皺は跡形もなく消え失せ、代わりに急激な血糖値の上昇が、CEOの強靭な骨格を、内側から緩やかに融解させていく。
彼は気怠げに、重い瞼を閉じた。
そのまま、平衡感覚を放棄するようにズルリと上半身を傾け――。
「へ……ちょ、陛下?」
私の右の太腿に、ずしりとした「質量」の衝撃が走った。
私の膝の上に、彼の頭が預けられる。
「……動くな。消化中だ」
椅子から崩れ落ちるようなその動作は、喉を鳴らす巨大な猫のそれによく似て、私の毒気を抜くにはあまりに無防備だった。
膝の上にあるのは、この国で最も高く、最も孤独な場所にあるはずの頭脳だ。
だが、今の彼から放たれるのは、刺すような威圧感ではない。
(……まるで、大きな獣だわ)
私は、自身の職業倫理が「効率的な休息」と定義したその光景に苦笑し、ためらいがちに彼の黒髪へ指を滑らせた。
撫でるたびに、彼は気持ちよさそうに目を細め、私の腰に回した腕に、一段と強い力を込めた。
ギュッ、と抱き寄せられる。
それは捕食者の縄張り意識というよりは、温かな熱源に縋る子供のような、剥き出しの執着。
「……責任を取れよ、林鈴」
彼の唇が、私の太腿に直接触れる位置で動いた。
「こんな熱いものを知ってしまったら……もう、あの冷たい餌には戻れん」
それは、合理化されたセキュリティ・プロトコルに対する敗北宣言であり、私の提供した「熱」という名の資本への、完全なる依存の告白だった。
胃袋を掴む、という格言がある。
私は今、太腿にのしかかる重厚な温度として、物理的に実感していた。
「……はいはい。また作りますよ」
私がポンポンと、宥めるように彼の硬い肩を叩くと、彼はふん、と鼻先で満足げな音を鳴らし、さらに深く私の膝に貌を埋めてきた。
漂うのは、峻烈な龍脳の香りと、スープが残した香ばしい葱の残り香。
この隠れ家は今、世界で最も閉鎖的で、最も安全な「熱を孕んだ檻」と化していた。
そして、その檻の鍵を握っているのが自分なのか、それとも彼なのか。
私にはもう、その損益分岐点すら判断がつかなくなっていた。
読んでいただきありがとうございます!
もしよろしければ、「リアクション」や「ご感想」をいただけると嬉しいです。
また明日[19:00]にお会いしましょう。




