琥珀の同期、あるいは不可逆な環境改善
夜明け前。
隠れ家の中は、石壁が夜の冷気を吸い込み、深海のような静謐が満ちていた。
サラ、サラ……。
宣紙の上を滑る筆の小気味よい摩擦音。
それに呼応するように、向かい側で彼が古い書簡をめくる、乾いた紙の音がリズムを刻む。
空気は、驚くほど清浄だった。
不快な煤を一粒も吐き出すことなく、黄金色の安定した光度を維持して私の手元を捉え続けている。
思考のノイズが削ぎ落とされ、脳のクリアランスが極限まで高まる。
「……捗る」
筆を置き、凝り固まった肩の関節を動かすと、小さく小気味よい音がした。
まさに、理想的な労働環境。
ふと視線を上げると、李宵もまた、顎を支えて私を見つめていた。
「良い顔をするようになった」
低い声音が、心地よい残響となって部屋に溶ける。
「以前は、常に何かに追われているような、険しい顔をしていたが。……今は、水のように静かだ」
「環境のおかげです。……陛下が、光を整えてくださったから」
私が淡々と礼を言うと、李宵は満足げに、けれど獲物を見据える捕食者のように唇の端を吊り上げた。
「光だけではないぞ。……少しずつ、俺の色に染めてやっている」
「はい?」
「気づいていないなら、それでいい」
彼は意味深に目を細め、音もなく立ち上がった。
窓の隙間から差し込み始めた黎明の青い光が、室内の蜜蝋の黄金色と衝突し、空気が淡い琥珀色へと変質していく。
「また夜に来る。……芯を切るためにな」
李宵の長い指が、私の側頭部を一撫でした。
指先から伝わる痛烈な熱。それと同時に、冷たい龍脳と甘い蜜蝋が混ざり合った、逃げ場のない「彼の匂い」が私の肺を満たした。
重厚な扉が静かに閉まり、残されたのは、彼が座っていた椅子の余熱。
殺風景な倉庫だったはずのこの空間が、物の配置、匂い、空気の質感に至るまで、李宵という強力なシステムによって上書きされつつある。
(……まあ、快適ならいいか)
私は、彼に「最適化」されつつある危機感を、利便性の論理で無理やり蓋をした。
西窓の剪定。
その言葉が、業務命令ではなく「生涯をかけた契約の更新」であったことに私が気づくのは、この琥珀色の光が消え、夜が明けた後のことだ。
読んでいただきありがとうございます!
もしよろしければ、「リアクション」や「ご感想」をいただけると嬉しいです。
また明日[19:00]にお会いしましょう。




