氷の契約、あるいは甘美な債権
冬冬――。
都の鼓動が止まり、長安が巨大な沈黙の底に沈んだ。
改装を終えたばかりの紫檀の机に頬を預ければ、木肌から伝わる硬質な冷たさが、思考を使い果たした脳の熱をゆっくりと吸い上げていく。
――ガチャリ。
静寂を裂いて、金属製の鍵が噛み合う音が響く。
滑り込んできたのは、肺の深部を痺れさせるような峻烈な龍脳の香りと、気配だけで空気を支配する傲慢な捕食者だった。
「良い顔をしているな」
李宵は濡羽色の衣の裾を優雅に翻し、私の正面に腰を下ろした。
彼の大きな掌には、月明かりを透かすほど薄い硝子の器が握られている。
器の中で、純白の雪山が静かに光を反射していた。
「……酥山ですか?」
私は、乾燥しきった眼球をわずかに見開いた。
牛や羊の乳を煮詰め、発酵させ、極限まで冷やし固めた幻の氷菓子。
皇帝の食卓にしか上ることを許されない、禁忌に近い贅沢品。
「成功報酬だ。お前が守った氷で作らせた」
彼は銀の匙で、その脆い雪山をひと思いに削り取った。
金属が擦れ合う微かな音と共に、私の口元へとその切っ先が差し出される。
「ほら、口を開けろ」
「え……じ、自分で食べます」
「手が塞がっているだろう。いいから食え」
観念して、唇をわずかに開く。
冷徹な金属の感触が舌をなぞり、次の瞬間、濃密な乳の脂質と、結晶化した氷の儚い食感が口腔内で爆発した。
暴力的なまでの甘み。けれど、発酵由来の酸味が後味を鋭く断ち切る。
「……美味しい」
「そうか」
彼は満足げに喉を鳴らすと、あろうことか、私が唇を触れさせたばかりのその銀の匙を、そのまま自分の口内へと滑り込ませた。
「――っ!?」
思考が、深刻なシステムエラーを起こす。
白磁のような彼の肌に赤みが差す様子もなく、彼は当然のように二口目、三口目と白い山を崩していく。
その肉体的な運動に、私は呼吸を忘れて視線を釘付けにされた。
「……何だ? お前もまだ食いたいのか?」
李宵が唇の端を吊り上げ、再び匙をこちらに向ける。
その瞳は、甘味を愛でる者のそれではない。愉悦を以て観察する捕食者の色だ。
氷を含んだはずなのに、胃の腑から逆流してくるのは、灼けるような熱。
「……陛下は、意地が悪いです」
「心外だな。俺はただ、優秀な手駒を労っているだけだ」
彼は匙を器に戻すと、長い指で紫檀の机を「トントン」と一定のリズムで叩いた。
「氷の次は、何だ? 水か、炭か。……いっそ、この国の物流すべて、お前に任せたくなるな」
さらりと吐き捨てられた言葉の質量に、背骨が軋む。
物流を支配する。それは、帝国の血管をその細い指で握るということ。
ただの事務改善ではない。それは本来、共に国を背負う伴侶――皇后にのみ許される、命懸けの「独占業務提携」ではないか。
「……残業代が、国庫の底を抜くほど青天井なら、検討します」
私は火照る顔を背け、精一杯の「強気な見積もり」を口にした。
その甘美で冷たい余韻は、いつまでも私の舌の上に居座り続け、夜明けを告げる太鼓が鳴るまで、決して消えることはなかった。
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また明日[19:00]にお会いしましょう。




