二人きりの城、あるいは甘い不便さ
子の刻。
帝国の心臓部たる紫宸殿は、数千人の体温をパージし、冷徹な静寂にその身を浸していた。
かつては衣擦れやひそひそ話が澱みのように滞留していた回廊を、今はただ、私の乾いた足音だけがどこまでも透明に反響していく。
「……不便だな」
――カチッ、カチッ。
暗がりの中で、火打ち石の硬質な音が撥ねる。
李宵が、眉間に寄った皺を灯火で照らしながら、剥き出しの蝋燭と格闘していた。
かつては指先一つ動かさずとも、瞬時に黄金の光に包まれていた王。
その彼が、芯を焦がす特有の刺激臭を鼻腔に吸い込み、慣れない手つきで火を熾している。
効率化の対極にある、あまりにも泥臭い手作業。
「ええ。でも、これ以上の贅沢はないでしょう?」
私は厨房から自力で運んできた漆の盆を、寝台の脇にある黒檀の卓へと下ろした。
盆の端が卓に触れる「コン」という小さな振動が、私の指先を伝って中枢神経へと心地よく響く。
他者の介在という名の「情報の漏洩」を完全に排除した、二人きりのクローズドな空間。
不文律も、品階も、ここでは何の意味もなさない。
あるのは、肺を満たす冷たい夜気と、揺らめく炎に引き延ばされた、二人の重なり合う影だけ。
「……さて。二人きりで残業を始めようか」
李宵が火打ち石を卓に置き、ゆっくりと私の方へ重心を移した。
その瞳の奥には、昼間に見せていた冷徹な改革者の光彩ではない、一人の男としての、捕食者にも似た熱い質量が宿っている。
彼は私の手を掴むと、指の隙間に自身の指を深く滑り込ませた。
摩擦によって生じる微かな熱と、脈打つ血管の振動。
「今日は、朝まで帰さんぞ。……これまでの分も、たっぷりと愛させろ」
「……ふふ。私も、帰宅するつもりはありません」
灯されたばかりの蝋燭の炎が、大きく爆ぜて一瞬だけ視界を白く染めた。
不自由さという名のコストを払って手に入れた、この絶対的な「聖域」。
これからは、機能不全を起こしていたこの空っぽの巨大建築を、私たちの体温と、新しい家族という名のアセットで満たし、再構築していくのだ。
格子窓の向こう、天頂には無数の星々が、冷たくも確かな存在感を持って静止していた。
戦い(監査)は終わった。
そしてここからが、私の、私たちの「真の日常」のキックオフ。
背後に回った彼の熱い吐息が、私の首筋の産毛を震わせ、心拍のクロック周波数を、臨界点へと押し上げていった。
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