赭黄の繭、あるいは支配の余熱
……ん。
粘つくような意識の底から、緩やかに浮上する。
瞼を押し上げると、視界は乳白色の朝霧に浸食されていた。
窓の細い隙間から差し込むのは、刺すように鋭く、それでいて色彩を欠いた黎明の光。
石造りの倉庫は、一日のうちで今が最も体温を奪う。
肺に吸い込む空気は氷の刃のように冷たく、私は無意識に身を縮めようとした――。
「……?」
寒くない。
それどころか、巨大な獣の腕の中に閉じ込められたような、逃げ場のない濃厚な温もりが全身を包み込んでいた。
そして、鼻腔の奥を容赦なく支配する、あの香り。
脳髄を冷却するような峻烈な清涼感と、肺の深部を痺れさせる重厚なスパイスの残滓。
――龍脳。
弾かれたように上体を起こした。
肩からバサリ、と重厚な音を立てて、絹の塊が滑り落ちる。
慌ててそれを手繰り寄せ、朝の光に曝した瞬間、私の思考回路は完全にフリーズした。
赭黄。
赤みを帯びた黄金。朝の光を吸い込んでなお、眼球を灼くほど鮮烈な色彩。
それはこの帝国において、ただ一人の個体にのみ許された、絶対的な権威の象徴。
つい先刻まで皇帝がその身を包んでいた「皮膚」そのものが、今の私を繭のように包んでいた。
「うそ……」
室内を見渡す。
対面の椅子には、もう誰もいない。
置かれたままの茶杯は、陶器の冷たさを取り戻している。
だが、この衣に残された、肌を焼くような余熱と龍脳の香気が、彼が今しがたまでここに留まり、無防備な私の寝顔を「監査」していた事実を饒舌に物語っていた。
カァ……ッ、と全身の毛細血管が音を立てて拡張する。
何を、考えている!?
皇帝の衣を置き忘れるなど、コンプライアンス以前の問題だ。
これは明白な、悪意すら孕んだ意思表示。
自らの匂いを私というアセットに擦り付け、外敵を威圧する、獣の領土主張。
(……マーキング、されたの?)
その独占欲という名の暴力的な質量に、背骨の髄がゾクリと震えた。
逃れるように視線を彷徨わせた先、紫檀の机の上に一枚の紙片が留められているのに気づく。
走り書きのメモだ。
筆致はどこまでも力強く、紙を突き破らんばかりの覇気が流れている。
『提案は採用する。試算通りに動け』
まずは、上司としてのドライな決裁通知。
張り詰めていた胸の奥から、安堵という名の吐息が漏れる。
私の徹夜という名の投資は、無駄な不渡りにはならなかった。
だが、その一文の下には、意図的にインクを滲ませたような筆跡で、こう書き添えられていた。
『――報酬は、後ほどたっぷりと支払う』
冬冬――。
遠く、腹の底を叩くような朝の街鼓が鳴り響く。
夜禁の解除。檻が開く音。
けれど、今の私には全く別の合図として鼓膜を震わせた。
それは、逃げ場のない「契約履行」を告げるゴング。
私は膝の上で、彼の上衣を指の節が白くなるまで強く握りしめた。
立ち上がった龍脳の香りが、霧のように身体に纏わりつき、もう逃がさないと囁いている気がした。
「……高くつきますよ、陛下」
誰もいない廃墟に、虚勢という名の独り言を放つ。
けれど、鏡を覗く必要などなかった。
今の私が、不採算部門を冷徹に切り捨てる監査役の顔などしておらず、初めて踏み荒らされた領土を抱える、ただの女の貌をしていることくらい、私自身が一番よく分かっていた。
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また明日[19:00]にお会いしましょう。




