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皇帝陛下の不採算な溺愛~転生コンサル、契約外の執着で定時に帰れません!~  作者: 深山 凛
第1部『隠れ家の監査役』

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赭黄の繭、あるいは支配の余熱

……ん。


粘つくような意識の底から、緩やかに浮上する。

瞼を押し上げると、視界は乳白色の朝霧に浸食されていた。


窓の細い隙間から差し込むのは、刺すように鋭く、それでいて色彩を欠いた黎明(れいめい)の光。

石造りの倉庫は、一日のうちで今が最も体温を奪う。


肺に吸い込む空気は氷の刃のように冷たく、私は無意識に身を縮めようとした――。


「……?」


寒くない。

それどころか、巨大な獣の腕の中に閉じ込められたような、逃げ場のない濃厚な温もりが全身を包み込んでいた。


そして、鼻腔の奥を容赦なく支配する、あの香り。

脳髄を冷却するような峻烈な清涼感と、肺の深部を痺れさせる重厚なスパイスの残滓。


――龍脳(りゅうのう)


弾かれたように上体を起こした。

肩からバサリ、と重厚な音を立てて、絹の塊が滑り落ちる。


慌ててそれを手繰り寄せ、朝の光に(さら)した瞬間、私の思考回路は完全にフリーズした。



赭黄(しゃこう)



赤みを帯びた黄金。朝の光を吸い込んでなお、眼球を灼くほど鮮烈な色彩。

それはこの帝国において、ただ一人の個体にのみ許された、絶対的な権威の象徴。


つい先刻まで皇帝がその身を包んでいた「皮膚」そのものが、今の私を繭のように包んでいた。


「うそ……」


室内を見渡す。

対面の椅子には、もう誰もいない。

置かれたままの茶杯は、陶器の冷たさを取り戻している。


だが、この衣に残された、肌を焼くような余熱と龍脳の香気が、彼が今しがたまでここに留まり、無防備な私の寝顔を「監査」していた事実を饒舌に物語っていた。


カァ……ッ、と全身の毛細血管が音を立てて拡張する。

何を、考えている!?


皇帝の衣を置き忘れるなど、コンプライアンス以前の問題だ。

これは明白な、悪意すら孕んだ意思表示。

自らの匂いを私というアセットに擦り付け、外敵を威圧する、獣の領土主張。


(……マーキング、されたの?)


その独占欲という名の暴力的な質量に、背骨の髄がゾクリと震えた。

逃れるように視線を彷徨わせた先、紫檀の机の上に一枚の紙片が留められているのに気づく。


走り書きのメモだ。

筆致はどこまでも力強く、紙を突き破らんばかりの覇気が流れている。


『提案は採用する。試算通りに動け』


まずは、上司としてのドライな決裁通知。

張り詰めていた胸の奥から、安堵という名の吐息が漏れる。

私の徹夜という名の投資は、無駄な不渡りにはならなかった。


だが、その一文の下には、意図的にインクを滲ませたような筆跡で、こう書き添えられていた。



『――報酬は、後ほどたっぷりと支払う』



冬冬(トントン)――。



遠く、腹の底を叩くような朝の街鼓(がいこ)が鳴り響く。

夜禁の解除。檻が開く音。


けれど、今の私には全く別の合図として鼓膜を震わせた。



それは、逃げ場のない「契約履行」を告げるゴング。



私は膝の上で、彼の上衣を指の節が白くなるまで強く握りしめた。

立ち上がった龍脳(りゅうのう)の香りが、霧のように身体に纏わりつき、もう逃がさないと囁いている気がした。


「……高くつきますよ、陛下」


誰もいない廃墟に、虚勢という名の独り言を放つ。

けれど、鏡を覗く必要などなかった。


今の私が、不採算部門を冷徹に切り捨てる監査役の顔などしておらず、初めて踏み荒らされた領土を抱える、ただの女の貌をしていることくらい、私自身が一番よく分かっていた。

読んでいただきありがとうございます!

もしよろしければ、「リアクション」や「ご感想」をいただけると嬉しいです。


また明日[19:00]にお会いしましょう。

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