魂の監査、あるいはバグの修正
「……離せ。汚れるぞ」
氷塊のような無機質な冷たさを帯びた彼の指先が、私の掌の中で微かに震え、逃げるように後退しようとする。
私は、自身の体温をすべて彼に転嫁させるような勢いで、その細い手首を掴んで離さなかった。
安っぽい同情や根拠のない慰めは、この「論理の怪物」を納得させるには不十分なリソースだ。
今、彼というシステムを再起動させるために必要なのは、冷徹なまでに否定しようのない「確定事実」のみ。
「……陛下。監査報告をします」
私は、あえて寝殿の静寂を切り裂くような、事務的で抑揚のない聲を選んだ。
その違和感のある響きに、彼の血走った瞳が、網膜の奥にこびりついた赤を振り払うようにして私を捉える。
「貴方は今日、剣を抜きました。殺意を抱きました。……これは事実です」
「ああ、そうだ。だから俺は……」
「ですが、振り下ろしていません。……私の声を聞いて、停止しました。これもまた、揺るぎない事実です」
私は彼の黄金の瞳を正面から射貫き、一語一語、その魂の深部へログを刻み込むように告げた。
「暴走する車は、ブレーキを踏んでも止まりません。壊れた機械は、停止信号を受け付けません。……でも、貴方は止まった。貴方の制御機能は、依然として正常なクロック周波数で動作しています」
「……だが、ギリギリだった。次はどうなるか……」
「ええ。だから、私がいます」
私は彼の手を自身の左胸――盤領袍の下で脈打つ、剥き出しの心音の直上へと引き寄せた。
掌を介して伝わる、速く、確かな打突。
「貴方のブレーキが甘くなったら、私が横からサイドブレーキを引きます。何度でも、全力で。……貴方が『殺せ』と言うなら、私はその倍の声で『コストが見合わない』と叫びます」
私の言葉が物理的な振動となって彼の皮膚を叩くたび、瞳孔の極端な揺らぎが収束し、死人のようだった貌に生気が還流していく。
自分は救いようのない怪物ではない。ただ、極限の負荷に晒されている「精密で少し脆いシステム」を持った一人の人間なのだと。
そう再定義させることこそが、私の職務であり、生存戦略の核心。
パチン、――。
蝋燭の芯が弾け、琥珀色の光が部屋の隅々を僅かに照らし出した。
彼の指関節の強張りが雪解けのように緩み、その瞳に、かつての探花郎を思わせる知的な光彩が戻ってくる。
「……サイドブレーキか。手荒だな」
「ええ。私の整備は痛いですよ? 覚悟してください」
彼の喉の奥で、乾いた笑いの粒が撥ねた。
握り返してきた掌には、私の熱を吸い込み、再び脈打ち始めた「生命」の熱が宿っている。
「……ならば、頼む。俺が二度と、あんな顔で剣を抜かなくて済むように。……俺を、正しく縛り付けてくれ」
それは、龍脳の香りと共になだれ込んできた、愛の告白よりも切実な「魂の契約更新」の響きだった。
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