ボロボロの参謀、あるいは傷だらけの武装
立ち昇る白濁した湯気の中に、鉄錆の匂いと乾いた血の残り香が、澱んだ湿気となって混じり合う。
皇帝、李宵の私的な寝殿。
私は湯殿から上がったばかりの身体を、磨き上げられた青銅鏡の前に預けていた。
鏡面に映り込んでいるのは、頬の肉が削げ落ち、鋭角になった顎のライン。
そして、陶器のような白い手首に、不採算な拘束の証として深く刻まれた、生々しい赤い枷の跡だ。
「……痛むか」
背後から忍び寄った龍脳の香りと共に、低いチェロのような聲音が鼓膜を揺らす。
李宵の手には、青磁の小壺。
蓋を開ければ、ハッカと薬草が混じり合う、脳を刺すような鋭い芳香が空間を支配した。
彼の手指は、呼吸を止めて硝子細工を検品するかのように慎重だ。
塗り広げられた軟膏の、氷のような冷徹な感触が、熱を持った手首の擦り傷へと容赦なく浸透していく。
「大丈夫です。……これは勲章ですから」
私は鏡の中の自分を見据え、口角の端をわずかに吊り上げてみせた。
だが、私の皮膚に触れている彼の指先が、目視できないほどの微かな頻度で、けれど絶え間なく震えていることを悟り、不意に肺の空気が詰まった。
彼は、自らが統べる帝国内で、私という唯一の「資産」を保護しきれなかった事実を、骨を削るような悔恨として咀嚼している。
その歪な責任感を払拭するためにも、明朝の御前会議は、一秒の遅滞も許されない完全勝利でなければならない。
私は、用意されていた極上の重い絹衣には目もくれず、あえて用意させた一着を手に取った。
それは監獄の汚れを写し取ったかのような、色褪せ、繊維の毛羽立ちが肌をチクチクと刺激する、無機質な麻の衣。
「……それを着るのか?」
「ええ。私が『被害者』であることを、視覚的に訴えます。綺麗な服を着ていては、同情も買えませんから」
これは、情報の非対称性を利用した高度なプレゼンテーションだ。
やつれた頬も、荒れた指先も、すべては皇太后というボトルネックの非道さを告発するための、生きた証拠として機能させる。
李宵は、私の瞳に宿る乾いたロジックを読み取り、諦めたように眉間を緩めると、短く息を吐いた。
「……参謀殿には敵わないな」
彼は、盤領袍の懐から、一筋の静謐な光を取り出した。
かつて彼が、私という名の「業務提携」を求めた際に贈った、深緑の翡翠の簪。
彼はそれを、湯上がりで湿り気を帯びた私の髪へと、祈りを込めるように深く挿し込んだ。
「だが、これだけは着けていけ。……お前は俺の、誇り高き皇后なのだから」
鏡の中に佇む、ボロボロの麻布を纏った女。
その貌が、翡翠の冷たさが頭皮を冷やす瞬間と同期するように、一瞬だけ、捕食者の熱を孕んだ愛される女のそれへと変貌した。
準備完了。
私は、鏡の中の冷徹な自分と、背後に立つ孤独な支配者へ向かって、網膜の裏で静かに勝利の計算式を完成させた。
◆◇◆
読んでいただきありがとうございます!
もしよろしければ、「リアクション」や「ご感想」をいただけると嬉しいです。
また明日[19:00]にお会いしましょう。




