抜刀、あるいは理性の墓標
――シャリィィィ……ン!
紫宸殿の高く閉ざされた空間に、凍てつくような金属音が撥ねた。
右手に伝わる剣の自重と、柄を包む鮫皮の冷酷なザラつき。
俺の腕は、思考を経由せず、殺意という名の脊髄反射によって動いていた。
白銀の切っ先が、皇太后の喉元の皮膚を薄く押し込んでいる。
老婆の喉仏が絶え間なく上下し、精巧な刺繍が施された黒衣の襟元が、恐怖による震えで不規則な波を描く。
「へ、陛下!? ご乱心を……!」
「黙れ!!」
俺の咆哮が巨大な梁に反響し、空間の酸素を強引に奪い去る。
目の前の官僚たちは、蜘蛛の仔を散らすように石床へ這いつくばり、彼らの額から流れる脂汗が、磨き上げられた石をぬらぬらと汚していった。
「全員、斬る。……鈴を返さないなら、この国ごと灰にしてやる!」
視界の端が、どす黒い朱に染まっていく。
心拍の振動が鼓膜を直接叩き、理性の防壁はすでに、溢れ出した殺意の奔流に飲み込まれて消失していた。
俺の半身を奪い、世界をバグで満たした代償は、この場にあるすべての「命」という資産で支払わせる。
「神策軍! 突入せよ! 逆賊どもを……!」
俺が致命的な命令を放とうとした、その瞬間だった。
――バァァァン!!
厚さ数寸の重厚な扉が、大気の圧力に弾かれたかのように乱暴に押し開かれた。
背後から差し込む、燃え盛るような夕日の逆光。
埃が舞う光の檻の中に、一つの「影」が屹立していた。
煤と泥に汚れ、繊維の隙間に地下牢の黴の匂いを染み込ませた、ボロボロの囚人服。
だが、その背筋は垂直に天を突き、周囲の装飾過多な妃嬪たちを「不良資産」として一掃するほどの、圧倒的な機能美を放っている。
「……残業代、高くつきますよ?」
鼓膜を洗うような、澄み切った冷徹な聲音。
それは、俺の脳内を埋め尽くしていたどす黒い濁流を、一瞬で凍結させ、静止させる巨大な防波堤だった。
「……鈴?」
柄を握る指先から、一気に血の気が引いていく。
彼女は、血走った俺の瞳を正面から「監査」するように見つめると、呆れたように小さく肺の空気を吐き出し、迷いのない足取りで石床を刻んだ。
コツ、――コツ、――コツ。
その規則的なリズムが、狂乱の舞台を強引に「日常」という名の座標へと引き戻していく。
「まったく。……私がいないと、すぐにこれですか。コスト管理がなってませんね」
彼女は俺の至近距離まで歩み寄ると、躊躇なく、素手で剣の側面を押し下げた。
鉄格子の冷気を吸い込んだ彼女の指先の冷たさと、その奥に潜む確かな生命の熱。
幻覚ではない。
龍脳の香りに混じって届く、彼女が今しがた食べてきたであろう、点心の微かな胡麻の匂い。
俺の理性が、俺の心臓が、血の巡る音を立てて還ってきた。
◆◇◆
読んでいただきありがとうございます!
もしよろしければ、「リアクション」や「ご感想」をいただけると嬉しいです。
また明日[19:00]にお会いしましょう。




