自業自得の『お下がり』
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前半の甘すぎる「検証」の余韻冷めやらぬまま、馬車外ではカオスな事件が発生します……!
神殿からの帰り道。馬車の座席に揺られながら、私は必死に自分の唇を指先で押さえていた。
(嘘でしょ……あんなことが、検証だなんて……!)
吸われ続けた唇は熱く痺れて、熟れたいちごのように色づいている。同乗している侍女のロッティは私たちの間で起きたことに感づいているのか、頬をほんのりと染め、所在なさげに膝の上で手を重ね合わせていた。
向かいに座るルーサー様は、どこか満足げに窓の外を眺めている。その整った側顔を見るだけでまた胸の奥が跳ね上がりそうになり、私は慌てて視線を外した。
その時――馬車がガタリと速度を落とし、街の雑多な人波の中で停車した。
「どうしました?」
ルーサー様が御者席に声をかけると、控えめな返答が戻ってくる。
『恐れ入ります、殿下。前方の路地裏で貴族の若者が女性と揉めているようでして……通り抜けに少々時間がかかりそうです』
「……それは困ったことですね」
冷ややかな溜息をつき、ルーサー様が窓枠に手をかけたその時、人集りの中心から甲高い悲鳴が上がった。
「離せ! ユリシーズだ、忘れたとは言わせないぞッ!」
質素なロングワンピースを着た、息をのむほど可憐な美少女が、見覚えのあるチャラチャラした若手貴族の行く手を阻んでいる。
(……え? まさか、あれはユリシーズ様……!?)
神殿で療養中のはずの元婚約者が、なぜ街中で揉め事に巻き込まれているのか。混乱する私の横で、ルーサー様がふっと氷のように冷たい笑みを浮かべた。
「……なるほど。今の自分を受け入れられず、神殿を抜け出しましたか」
ルーサー様は優雅な動作で馬車の扉を開けると、迷いなく地上へと降り立った。
その間に――人集りの中心で、派手な刺繍入りの上着を着崩した青年――ユリシーズ様の遊び仲間である放蕩貴族が、ニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべていた。
胸元を大きく肌蹴させ、高級な香水の匂いを漂わせた彼は、嫌がるユリシーズ様の細い手首を強引に掴み上げる。
「なんだ、ユーリが手をつけた女か?」
チャラチャラと首元の装飾品を鳴らしながら、彼は品定めするようにユリシーズ様の顔を覗き込んだ。
「……ったく。ユーリの奴、この国最高の女を婚約者にしてる癖に、相変わらず見境ねぇな。……まあ、こんな可愛い顔してたら手ぇつけたくなる気持ちもわかるけどよ」
「ち、違う! 僕がユーリだと言っているだろ……ッ!」
必死に叫ぶその言葉を、青年は「はいはい」と鼻で笑い飛ばす。耳元に光るピアスを指先で弄りながら、憐れむような視線を向けた。
「せっかく顔は最高なのに、遊び倒されて頭がおかしくなっちまったのか? もったいないなぁ……。ユーリにはな、婚約者様がいるんだ、唯一無二のな。ま、捨てられて行くあてがないなら、俺がたっぷり可愛がってやるよ。もっといい場所へ行こうぜ?」
ぐいっと強く腕を引き、裏路地へと引き入れようとする。世間一般の知識がない私であっても、それが何を意味するかくらいはわかる。
(大変……っ、ユリシーズ様が……!)
ああいった裏路地に連れ込まれた女性が心身ともに深く傷を負ったり、あるいは生活のために身を落とす……という噂は耳にしたことがある。
助けようと、思わず馬車の取手を掴んだ。だが、ふと冷静になる。
(……『ユーリの奴……相変わらず見境ねぇな』って言ったわよね。それって……)
私が預かり知らぬところで、ずっと裏切り続けられていたということだ。
(いつから? どのくらい……いいえ、今さら知ったからといって、何が変わるというの……!)
千々に乱れる思いを胸に、私が息を詰まらせていた――その時。
「そこまでにしなさい」
低く響く威厳に満ちた声に、嫌がるユリシーズ様の手を引いていた男がビクッと肩を跳ねさせ、振り返る。
「ル、ルーサー殿下……!? なぜこのような場所に……」
「ここは公道ですからね。あなたが無体を働いているその娘は神殿の保護下にあります。手出しは許されませんよ」
アメジストの瞳に見下ろされ、男は顔を青くして「し、失礼しました!」と脱兎のごとく逃げ出していった。
「ル、ルーサー! あいつ、おかしいんだ! 僕のことがわからないみたいで……連れ去ろうとして――きゃっ!?」
救世主を見るような目を向けたユリシーズ様だったが、感謝の言葉が終わる前に、ルーサー様は容赦なくその襟首を掴み上げた。
「バカなのですか、兄上」
「なんだと!? 無礼だぞ、ルーサー! 放し――んぐっ!?」
文字通り「荷物」のように馬車の床へ放り込まれたユリシーズ様が、ゴロゴロと転がる。
私とロッティは反射的に足を上げて避けた。あの不貞現場に居合わせたロッティは眉をひそめ、不愉快さを隠そうともしない。うっかり足蹴にしそうな勢いだ。
手に着いた埃を払うようにパッパッと手を打ち合わせ、ルーサー様は何事もなかったかのように馬車へ乗り込むと、パタンと扉を閉めたのだった。
「ルーサーッ、僕は第一王子だぞッ!? お前の兄で……っ」
馬車の床で揉みくちゃにされ、着慣れないワンピースの裾を乱したまま、ユリシーズ様がキーキーと叫んでルーサー様に噛み付く。白いふくらはぎが、無駄に艶めかしい。
「みっともない真似はやめてください、兄上。……今のあなたはただの『少女』なのですよ」
「な……ッ!?」
「自分から神殿を抜け出し、悪友に自分自身の『お下がり』扱いされて連れ去られそうになるなど、情けないにも程があります」
ルーサー様は冷ややかな眼差しでユリシーズ様を見下ろすと、足を組んで優雅に腰掛けた。その氷のような言葉に、ユリシーズ様は言葉を詰まらせ、顔を真っ赤にして縮こまる。
「あのままだったら、今、兄上がどのようなことになっていたのか想像もつきませんか?」
「え……?」
ルーサー様は甘く、柔らかな声で語りかける。
「怖く、ありませんでしたか? 男に比べ、女性は小さく、力も弱い。抑え込まれ、権力をカサに着て迫られたら――されるがままになるしか、ないでしょう」
「ッ……あ、……う……」
「もう一度、お伺いします、兄上。『怖くはありませんでしたか?』」
責め立てるようなアメジストの双眸に見下ろされ、へたり、と馬車の床に放心して座り込むユリシーズ様。
その華奢な手首には、男に強く掴まれた赤い指跡がはっきりと残されていた。
(きっと、あれは青い痣になるわ……)
……自業自得とはいえ、あまりにも容赦がない。
けれど、放蕩貴族たちの言葉で「ずっと裏切られていた」事実を突きつけられた直後の私にとって、ルーサー様の冷酷なまでの手際の良さは、どこかすがすがしくさえ感じられるのだった。
「怖……」
ユリシーズ様の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
「怖、かった……! 痛かっ……」
怯えるように自分の手首を抱きしめるユリシーズ様を冷ややかに見下ろし、ルーサー様が低く呟いた。
「――兄上が手篭めにしてきた女性たちは、もっと痛く、傷ついたことでしょうね」
「ッ……あ……」
「無論、婚約者殿も」
私へ向けて注がれる、深くて甘い眼差し。
(そう、傷ついたけれど……今の私は……)
ルーサー様の視線の中で、胃がせりあがり、胸が甘く痛む。
ガタゴトと石畳を走り出した馬車の音に共鳴するように、ユリシーズ様の涙交じりの泣き声がいつまでも響いていた。
やがて馬車が公爵家の屋敷へ到着し、静かに停車する。
御者が扉を開けるより早く、ルーサー様が優雅な動作で立ち上がり、私にそっと手を差し伸べた。
「――さて、着きましたよ、ジェナ」
「あ、ありがとうございます……」
手を取って馬車を降りようとした、その時。
引き寄せられた腰に一瞬だけぐっと力が込められ、私の視界がふわりと揺れた。
「ん……っ!?」
重ねられたのは、熟れたいちごのように色づいたままの、私の唇。
触れるだけの軽いものではなく、名残惜しむようにしっかりと吸い上げられる、甘く濃厚なおやすみのキス。
「ん……ぁ、ルーサー、様……っ」
「……ふふ、おやすみなさい、僕の可愛い婚約者殿」
唇が離れた時には、私の頭はすっかりのぼせ上がって真っ白になっていた。
すると横から、パシッ!と素早い音が響く。
「み、見ておりませんッ! 私は何も見ておりませんッッ!!」
ロッティが両手で勢いよく己の目を覆い、指の隙間すら作らずに必死で仁王立ちしている。
そしてその足元では――涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしたユリシーズ様が、あんぐりと口を開けたまま、信じられないものを見る目で私とルーサー様を見上げていた。
「な……っ、お前たち……いつの間にそんな……っ!?」
「兄上が『不貞』を働いてくださったおかげです。……さあジェナ、良い夢を」
呆然とするユリシーズ様を容赦なく馬車の中に置き去りにしたまま、ルーサー様は満足げな微笑みを残して馬車を発進させたのだった。
第5話をお読みいただきありがとうございました!
唇に残る熱と、馬車内に広がる元婚約者の号泣……温度差が凄まじい回となりました(笑)。
傷ついたジェナへ向けられるルーサー様の甘く深い眼差しに、胸が痛むような甘さを感じていただけていれば幸いです。
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