引き裂かれたふたり
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大聖堂での衝撃的な事件から三日。禁書庫に閉じこもり、ボロボロになりながらも解法を探すルーサーとジェナの対峙回です。
触れ合いたいのに触れ合えない、ふたりのもどかしい距離感をお楽しみいただければ幸いです。
「あれ以来、殿下は籠もりきりでして……」
神殿の奥へと続く静まり返った回廊を歩きながら、大神官様が困り果てたように深くため息を吐いた。
「お食事もろくにお召し上がりにならず、例の禁書を貪るように読み漁っておられるのです。王族の権限とはいえ、あそこは本来、古代神聖魔術の危険な文献が封印されている場所……。私どもでは、もうお止めすることもできず……」
「ルーサー様……」
大神官様の言葉を聞くたび、胸が締め付けられるように痛んだ。
あの大聖堂での凄まじい『拒絶』から、三日。
倒れたルーサー様に触れることすら叶わなかったあの日以来、私は彼と一度も言葉を交わせていない。
「ジェネヴィーヴ嬢。どうか、殿下をお止めくださいませ。あのようなお姿の殿下は、拝見したことがございません」
大神官様が重々しい鉄製の扉の前で足を止め、深々と頭を下げた。
私は小さく頷き、震える手で重い扉をそっと押し開けた。
室内には、鬱陶しいほどの紙の匂いと、ピリピリとした異質な魔力の緊張感が満ちていた。
足の踏み場もないほど床に散乱した羊皮紙と魔術書。
その中央の机に向かい、一心不乱にペンを動かしていた人物が、扉の音にぴくりと肩を揺らした。
「言ったはずだぞ、誰も入れるなと――」
低い、掠れた声。
ゆっくりと振り返ったルーサー様の姿に、私は息を呑んだ。
王族としての気品に溢れていた面影はどこにもない。
上質な髪は乱れ、美しいアメジストの瞳の周りには色濃い隈が刻まれている。頬はこけ、唇はカサカサに乾いていた。寝食を忘れ、鬼気迫る執念だけで研究に没頭していたのは一目瞭然だった。
「ルーサー様……っ」
「……ジェナ……?」
私の姿を認識した瞬間、ルーサー様の瞳に激しい動揺が走った。
彼が咄嗟に立ち上がろうとしたので、私は思わず駆け寄ろうと一歩踏み出す。
「近寄らないで!」
叫ぶような拒絶の声とともに、ルーサー様が大きく後ずさった。
バチッ、と二人の間の空間で赤黒い火花が弾け、刺すような衝撃波が走る。
「ジェナ……そこから動かないでくれ……っ」
その瞳には、私を傷つけてしまうことへの凄まじい恐れが浮かんでいた。
「……ルーサー様……どうして……」
「いろいろ、分かってきたんだ」
ルーサー様は疲労と水分不足でカサカサの唇を震わせ、机の上に広げられた一冊の古びた魔導書を指し示した。
「なぜ……あの日、女神の光が私を弾いたのか。なぜ、君に触れようとするだけであの拒絶が起きるようになったのか……すべて、解明した」
彼の指先が、小さく震えている。
「聖女アネットは……彼女は愛するライナス王を自分だけのものに繋ぎ止めたいがために、あの『貞操の誓約』の術式の中に……本物の『呪い』を組み込んでいたんだ」
「え……? 『呪い』……?」
「そう……婚約者に浮気をされ、裏切られた側の『激しい憤りと拒絶の魔力』が発動のトリガーだ。……ジェナ、君が現場で感じたあの強い怒りが魔力を発動させ、アネットの呪いと同調してしまったんだよ」
ルーサー様の言葉に、私は息を呑んだ。
あの時、新居のソファで半裸で抱き合うマリアンヌとユリシーズ様を目撃した瞬間の、血が逆流するような激怒。あの怒りそのものが呪いを呼び寄せてしまったというの……?
「君の責任ではない」
私が青ざめるのを察したように、ルーサー様が毅然とした、けれどどこまでも優しい声で言った。
「あの怒りは当然のものだ。身勝手な裏切りをした兄上が100%悪い。君は何も悪くない……っ」
彼は痛々しく顔を歪め、古文書の上に手を置き、苦しげに言葉を続ける。
「アネットはライナス王を深く愛していた――彼が裏切れば、呪うほどに。……逆に、一度誓約を交わした君は一人の男に心身ともに捧げられるように、アネットに守られている。僕が愛せば愛するほど、君を強く求めれば求めるほど……呪いは凶暴化し、僕を拒絶するんだ……君に指一本触れることすら許されない」
ルーサー様は、ボロボロの手で自身の顔を覆った。
「私は……貴族の娘の義務として、ユリシーズ様との結婚を了承して進めてきたけれど――彼を、愛していないわ」
だいたい、婚約が決まった七歳の時のことだ。私の意思や気持ちなど、あるはずもなかった。
私の声が、静かに響く。気持ちの昂りとは、まるで真逆の冷静さだった。
「確かに、怒りは感じた。それはお互いに幼い頃から決められた運命の中で頑張っているはずの『約束』を、彼が果たさなかったから。そこに、悪気すらもなかった。私に悪いと思っていたら、浮気したことを隠すはずでしょう? 言い訳ひとつ、しなかった――」
愛ゆえの怒りではない。ただ約束を破られただけの怒りなのに、なぜアネットの呪いはそれに反応してしまうの?
なぜ、愛してもいない過去の誓約のせいで、私はルーサー様と引き裂かれなければならないの……?
「――聖女アネットは、想定していなかったのでしょう」
静寂を破ったのは、私たちのやり取りを重々しい面持ちで見守っていた大神官様だった。
彼は深くため息をつき、痛ましそうに二人を見つめる。
「古代を生きた聖女様にとって、結婚とは互いの魂を捧げ合う唯一無二の愛の証。……互いに愛もないまま、ただ貴族の義務として交わされる誓約が存在するなど、思いもよらなかったのでしょう。それゆえに術式が歪み、おふたりに牙を剥いている……」
「……そんな礼節の解説を聞きに来たわけではない!」
ルーサー様が机を叩き、血走った瞳で大神官を鋭く射抜く。
「解呪の方法だ! この神殿にあるすべての禁書を調べ上げたが、どれも『聖女の怒り』についてしか記されていない! だが、二人が晩年まで共に過ごしたのなら、必ず『呪いが解かれた』、あるいは『和解した』事実が存在するはずだろ……っ!」
「落ち着いてくださいませ!」
私は思わず声を上げた。
ルーサー様がハッと息を飲み、力なく椅子に腰を下ろした。
「私、不思議なのですけれど……建国の折から共に過ごし、御結婚なさって、仲睦まじく過ごされたと聞いておりました。ライナス王はいつ、何時に……浮ついたお気持ちになられたのでしょう?」
ルーサー様が古文書を開く。
「これに季節的なことは書いていない……」
「……今、ユリシーズ様は女性になっています。そうであれば、ライナス王が国政の場から退かれた時期はなかったのですか?」
私の問いかけに、ルーサー様の瞳が大きく見開かれた。
カサカサに乾いた唇を小さく戦がせ、机の上の文献に激しく視線を走らせる。
「……ライナス王の病気療養期間……あるいは、一時的な摂政の擁立……。国政の表舞台から姿を消した時期……っ!」
「左様でございます」
静かに言葉を挟んだのは、大神官様だった。
「ジェネヴィーヴ嬢の仰る通り……王家と神殿の表の記録では、ライナス王の治世に途切れはございません。ですが――王が表舞台から姿を消し、聖女アネット様とともに過ごされたとされる『密やかな期間』の記録が、一つだけ存在いたします」
ルーサー様が弾かれたように顔を上げた。
「どこだ。その記録はどこにある」
「ここにはございません、殿下」
大神官様は重々しく首を振り、神殿の奥ではなく、遠い空を仰ぐように視線を向けた。
「もし、呪いを解く手がかりが残されているとすれば――それは聖女アネット様の生誕の地でございます」
大神官様の言葉に、ルーサー様がハッと息を呑む。
「あそこには、聖女様が肌身離さず持っていたとされる『本物の手記』や、当時の従者たちの伝承が今も秘められております。神殿の禁書庫ですら見つからぬ解法も、あの地ならば……あるいは」
「……行く」
ルーサー様は迷うことなく、即座に言った。
「今すぐに手配しろ。私とジェナで聖地ナブレールへ向かう」
次回からはいよいよ、呪いを解く手がかりを求めて「聖地ナブレール」へ向かいます!
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