二度目の『貞節の誓約』
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本話は、今作の大きな転換点となる『貞操の誓約』のシーンとなります。
神殿の最奥にある大聖堂。
天窓から降り注ぐ太陽の光が、美しく彫り込まれた聖女アネットの女神像を神々しく照らし出していた。
今日は、私とルーサー様の『貞操の誓約』――正式な婚約を証明するための、神聖なる誓いの誓約式の日だ。
見上げるほど大きな聖女像の足元に咲き誇る白百合の香りが、微風に乗って漂ってくる。
背後には私の父と国王陛下、そして隣には、整えられた誓約礼服に身を包んだルーサー様が立っていた。普段の冷徹な佇まいとは異なり、そのアメジストの瞳には、私に向けられたどこまでも深く優しい情熱が宿っている。
(――今日こそ、私の口からちゃんと伝えよう)
昨日のエレノアとの会話を思い出し、私の胸は甘い高揚感で満たされていた。
私を慈しむために気を配ってくれた人。そんな温かなルーサー様を、私は心から愛しているのだと。
「ジェナ」
低い、凛とした声で名を呼ばれ、ハッとしてルーサー様を見上げる。
彼はそっと私の手を取り、指を絡めるようにして包み込んでくれた。その手のぬくもりが、痺れるような愛おしさを連れて全身を駆け巡る。
「大丈夫だ。何も恐れることはない。僕のすべてを君に捧げよう」
「……はい、ルーサー様」
私が微笑み返すと、大神官がゆっくりと両腕を掲げ、神聖なる祝詞を唱え始めた。
「――古の契約に従い、清らかなる魂の結びつきをここに示し給え。聖女アネットの御名において、二人の真実なる誓いを認証せん」
大神官の朗々とした声が大聖堂に響き渡ると同時に、女神像の宝珠が眩く発光した。
空間を満たしたのは、息をのむほど美しい金と白銀の魔力の粒だった。
かつてユリシーズ様と手を重ねた時の光は、どこか形式的で冷ややかだった。
けれど、今目の前に舞い散る光の粉雪は、それとは比べものにならないほど温かく、私とルーサー様を優しく包み込んで祝福するように渦を巻き始める。
(なんて温かい光……。ユリシーズ様の時とは、胸の高鳴りがまるで違う……っ)
温かな光に包まれながら、私は繋いだ手にキュッと力を込めた。
ルーサー様もまた、嬉しそうに目元を和ませ、私へと視線を重ねる。
誰もが確信していた。
この光が二人の体に馴染み、神聖なる婚約の紋様となって刻まれることを。
私たちが完璧な絆で結ばれることを。
――だが、その瞬間だった。
バチッ!!??
「っ……!?!?」
静寂を切り裂いたのは、耳を突く凄まじい放電音だった。
祝福の温かかった光の粒が、一瞬にして刺すような赤黒い異形の魔力へと変質する。
私の手に注がれようとしていた光が、猛烈な「拒絶」の力となって暴走した。
「な、なんだ――」
ルーサー様が目を見開いたのと、衝撃が弾けたのは同時だった。
目に見えない強大な不可視の壁が、二人の間に容赦なく割り込む。
繋がれていた手が弾き飛ばされ、強烈なショック波がルーサー様の胸元を直撃した。
「ガハッ……!?」
「ルーサー様――っ!?」
私の悲鳴が響く中、ルーサー様の巨体が吹き飛ばされ、硬い石造りの床へと激しく叩きつけられた。
ゴロゴロと数メートルも転がり、壁の手前でどうにか動きを止める。
「ひっ……!?」
「殿下!?」
静まり返っていた大聖堂に、聖職者たちの悲鳴と動揺が渦巻いた。
舞い散っていた魔力の粒は、まるで不快なものを拒むかのように霧散し、女神像の光も無惨に失われていく。
「ルーサー様! ルーサー様っ!!」
私は父の制止を振り切ってドレスの裾を掴み、床に伏したルーサー様のもとへなりふり構わず駆け寄った。
肩を抱き上げようと手を伸ばしたが――バチッと不快な衝撃が走り、まるで目の前に透明な壁が存在するかのように拒絶された。手先が痺れ、いくら力を込めても、彼のドレスの生地に触れることすら叶わない。
「な……っ!?」
混乱に目を見張る私をよそに、ルーサー様は苦しげに胸を押さえ、荒い息を吐きながら血の気の引いた顔で私を見上げた。
「ジェ……ナ……? なぜ……手が……届かない……?」
その瞳に浮かんでいたのは、身体的な痛みなどではない。
「え……どうして……?」
信じられないほどの動揺と絶望だった。
「……あり得ぬ……こんなことは……」
静まり返った大聖堂の中、震える声を絞り出したのは、呆然と立ち尽くしていた大神官だった。
青ざめた顔で女神像と私を交互に見つめ、信じられないものを見る目で呟く。
「女神……聖女アネット様が……誓いを拒絶された……?」
大神官のその虚妄に満ちた言葉が、凍りついた大聖堂の中に重く冷たく響き渡った。
神官や聖職者たちが動揺に震え、互いに顔を見合わせてざわめき始める。祝福の場が一転して混迷と不穏の渦へと呑み込まれていく中、私は弾き飛ばされた彼への不安で胸が押し潰されそうになり、ただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
「きっと、これは――兄上に下された呪いに関わっている。聖女アネットの手記に謎を解く鍵があるはずだ。大神官、神殿の禁書をすべて読ませてください」
身体を起こしながら、低く鋭い声で告げたのはルーサー様だった。
先ほどの大聖堂での激しい放電のショックでドレスシャツの胸元は乱れ、呼吸はいまだ荒い。私との間に生じた「見えない壁」のせいで近づくことすら叶わないというのに、彼は自身の肉体の痛みなど気にも留めず、血の気の引いた顔で大神官と国王陛下を鋭く見据えていた。
「か、危険すぎます殿下! あれは解読不能の禁書! 仮に伝承が真実だとしても、聖女様の怒りは永久に解かれぬ呪いとして記録されて――」
「聖女が建国の王を罰したのがいつだったのか、貴殿は知っているか?」
(ルーサー……様……?)
思わず息を呑む。
口元に滲んだ僅かな血を指背で拭いながら、ルーサー様は大神官の言葉を容赦なく遮った。
その瞳に宿っているのは、普段の彼からは想像もつかないほど冷徹な分析力と、私を諦めないという激しい執念だった。
「聖女アネットとライナス王は、八人の子を設けたはずだ。八人も子を成すには、それ相応の年月を要する。……つまり、天罰を下されたのが王の晩年でない限り、二人は必ずどこかで『仲直り』をしている。引っこ抜かれた象徴すら元に戻させた術式が存在した以上、あの呪いには必ず解法があるはずだ」
私の胸の奥が、ぎゅっと締め付けられるように痛む。
同時に、熱い何かが溢れ出しそうだった。絶望的な状況の中で、彼は私と触れ合う道を力づくでこじ開けようとしてくれているのだと悟ったから。
「禁書庫の鍵を渡せ。――今すぐにだ」
第二王子としての絶対的な威厳と狂気が入り混じるルーサー様の命令。
その圧倒的な気迫に気圧され、大神官はもはや言葉を失い、蒼白な顔で小さく首を縦に振るしかなかった。
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