第34話 やっと知った互いの名前、やっと始まる二人の関係 Ⅱ
ザァァァァ―ー
(風の、音。……私、寝て、る? 何だか、とっても落ち着く。いい匂いのする枕。低反発。布団は被ってない。……。外?)
そうして女の子は目を開けて、
「……。夢?」
未だ焦点の合わない瞳で、半ばまどろみに囚われた意識で、独り言のように、思考を声にする。
(ピンクと青の空。誰かの顔。ん……? ……)
そして、気づく。自身が今どうしているのかを。
低反発枕の正体、今の自身のシチュエーション、キスの距離程ではないが、極めて近くにある、未だぼやけてはいるが、それは、少年の顔。だから彼女は、
「あぁああああ、ほ、朴木く…―」
彼の名を口にしながら、気を動転させながら、顔を真っ赤に染めていきながら、慌てて起き上がり、
ガンッ!
彼の頭に自身の頭をぶつけてしまう。
彼女は彼の頭がびくりともしなかった分、その反動に返されるように再び彼の膝の上に頭を着地させながら、かなり痛かった衝突部を押さえて、ぅぅぅ、と小さい声でちょっと痛がる。
彼は全く痛がることなく、困った顔をするでもなく、彼女に衝突された頭部の部分を押さえることもなく、素面で、膝の上の彼女を唯、じぃぃっと見つめている。
彼女は今回は赤くはならなかった。どんどん気まずいという感情が強くなっていき、額から冷たい汗が流れる。
「……」
「……」
二人の間に沈黙が流れた。彼は彼女を膝枕しつつ、素面で彼女の顔を見ている。凝視するでなく、目を合わせている、様子を窺っているという風である。彼女は彼を見上げている。仰向けに寝そべって、両足を少しだけ曲げて、腰を捻って、頭は上を向いている。何故か目を逸らさず、気まずい表情で彼を見ている。
「頭ぶつけちゃって、ごめんなさい……」
やがて彼女は沈黙を破って謝った。膝枕されたまま。
「謝る程のことでも無いと思うが。寧ろ、俺が君を膝枕してたからこうなった訳で。目を覚ましたらいきなりこんなだった訳だから、よくよく考えると、いや、そう考えなくとも、動揺しそうなものだと分かっておくべきだったんだ。済まない」
それが、隼人の素面の理由だった。彼は、そもそもどうして向日葵が起きていきなり、自身へと頭をぶつける羽目になったのかについて思考していたのだ。その答えが出るまで態度を保留していたのだ。そして、隼人は、自身が悪いと結論を下した。だから、こう続ける。
「君は倒れた訳なんだし、無理することはない。もう少し、そうしているといい」
優しく、撫でるような、穏やかな声で。
「うん。そうするね」
向日葵は小さな声で、微笑を浮かべて、頬を少しばかり赤く染めて、再び目を瞑った。彼は彼女の頭に触れた。そうすることがまるでとても自然なことのように作為なく、自身の掌を、彼女の髪と前頭部に撫で滑らせる。優しく丁寧に。
(あれ? 何でだろう。恥ずかしくもないし、嬉しくもない。唯、物凄く、落ち着くなぁ)
まるで、頭を撫でられて、気持ちよさそうにしている猫のように、彼女はそれに一切の抵抗をしなかった。
「それとさ、何か、お話しない?」
彼女はそう言葉を続け、彼は頷いた。そして、
「俺と君の頭上の"これ"。君はどう思う? 中々見事なものだと俺は思うのだが」
彼女にそう尋ねた。そして、彼は撫でるのを止め、彼女は少しばかり残念そうにするが、彼はそれには気付かない。
そんな二人のいる場所。それは、大きな桜の木の下だった。
一つ一つの花は小さいながらも満開であり、白から淡めのピンクまでのグラデーションを持ち集まっており、まるで、レースの沢山ついたウエディングドレスの裾広がり部分を形成するかのように、枝に花を沢山咲かせているのだ。淡い色のお蔭でどぎつい印象などはない。
派手さもない。だが、確実に人目を引くくらいには美しい。少々遅咲きのこの桜。その品種は、世界三大美女の一人、楊貴妃の名を冠ざしている。
ヒュゥゥゥ。
爽やかな風が吹き抜ける。
ヒラヒラヒラ、ヒラリ、ヒラリ、ヒラリ――
桜吹雪、舞い降りる。
二人は共に、無言で上を見た。
木の下にいる彼と彼女も含め、それはまるで、絵画の中のような光景。
「きれいだね、桜」
彼女はそう言いながら、彼の膝の上で寝そべったまま、手を翳し、
ぴとっ。
「これ、何ていう品種? とっても薄くて、小さくて、でも、何だか力強いかも」
「はは、だろう? これは、楊貴妃という品種の桜だ」
「楊貴妃って、あの楊貴妃?」
「そう、それだ」
(何だか、凄い名前の桜だなぁ)
「白とピンクのグラデーションが、まるで、ドレスみたい。一つ一つの花がちっちゃいからとっても繊細」
彼女はそう言いながら、手にした花びらと、頭上の花の束を見比べる。
「まさか未だこの辺りで桜が咲いている、それも、満開を迎えているものが存在しているとは思わなかったからな。昨日はあれだけ雨が降っただろう? 普通どれもこれもすっかり落ちてしまっていると思っていたが、これは本当に儲けものだった。君のお蔭さ、向日葵ちゃん」
そう、彼は笑う。
(素敵だなぁ、本当に。見れてよかった。桜もそうだけど、朴木君がこうやって自然に笑うのも。こういうのが好きなんだなぁ。とっても風流)
「こちらこそ、ありがと、朴木君」
彼女は名前呼びに赤面することなく、微笑みながらそう言った。謝るでもなく、お礼を言った。相手の顔色を見てでない、とても自然な遣り取り。
(私はそういう教養そんなに無いけど、それでも、遠いなっては思わなかった。気遣ってくれたんだろうな。私に分かるように、分かりやすいようにって。普段の私なら、きっと、今、また謝ってた。でも、そうじゃなかった。全然朴木君の顔色なんて窺わず、どう思われるなんか考えず、ふっと自然にそう口から出た。居心地いいなぁ、朴木君の傍って)
スッ、
ぴと。
彼も彼女を真似して、落ちてくる花びらを掌に乗せた。そして、嗅ぐ。
「ほぼ何も匂いはしないな。俺の鼻でもこれとは。昨日の雨の影響をこの桜も受けていた、ということか」
(こうやってゆっくり話をしたのは未だ二回だけなのに、もうずっと前からこういう距離感が関わり方が日常だったみたいに)
「向日葵ちゃんもやってみるか?」
「そうするね」
(匂い、か。朴木君はそれも好きなんだよね……。匂い、……。やっぱりまだ、思い出すと恥ずかしい。けど、羞恥って程じゃない。……。どうしてか、現実でこうやって朴木君を見てて、しかも、こうやってとっても近くで、朴木君の膝に触れてて、それでも、変な気持ちにはならない。今頭に浮かぶのは、私、汗臭くないかな、ってこと位。朴木君も汗かいてるけど、その匂い、とっても落ち着くいい匂いだし。朴木君も、そんな感じで、私を嗅いで落ち着いてくれてれば、いいなぁ)
「すぅぅぅ、すぅぅぅ。……。う~ん、匂い、しないね」
ぎゅぅぅ、ぎゅぅぅ。
彼女は花びらを強く擦り潰してみる。そして再び、
「すぅぅぅ、すぅぅぅ。……。桜餅の葉っぱよりも、桜の匂い、しないね」
嗅いで、疑問を顔に浮かべた。
「そういうものさ」
彼は微笑んだ。
(今度はウンチク言わないんだ。何でだろう?)
「ん? どうした、向日葵ちゃん。俺に顔に何か付いてるか?」
「うんん、何でもない。ホント、綺麗だね。楊貴妃」
「だなぁ」
そして二人は言葉で示し合わせるでもなく、自然と再び頭上を見上げ、その場の穏やかな空気に解け込むように浸るのだった。




