第29話 通学路ゆっくりあるき、山岬町 Ⅱ
コトッ。ジリッ、コトッ。ジリッ、コトッ。ジリッ、コトッ。
「あっつぅい……」
鞄の中からハンカチを取り出し、汗を拭いつつ、彼女はのんびりというよりも、ダラダラと歩いていた。
(二時間目が始まるまでに着くようにすればいい、かな。どうせ焦っても間に合わないんだし。二時間目までは、あと40分くらい。ちょっと、中途半端、かな。けど、二時間目が始まっても学校に行かなかったら、もうそのまま、今日サボっちゃいそうだし。流石に、未だ一か月も経ってないんだし、五月病には早いかなぁ)
日が高くなってきており、暑さが増してきたというのもあるが、汗の理由はそれだけではない。
彼女は体力が無かったのである。見掛けの通りに。ぷにっと柔らかい、スポーツしていない体つきをしており、それに加え、足元すら隠してしまう程のたわわな胸を持つのだから当然である。
未だ住宅街の坂道すら中頃程度だというのにこのざまである。
「はぁ……」
のそり。
彼女は足を引き摺るように後ろを向いた。
南から北に掛けて町を俯瞰していくと、海岸、工場群、山河鉄道の路線と駅、駅付近以外を除いて北部沿線に沿った僅かに残る山林、申し訳程度の繁華街、東西に長く南北に短い住宅街、山林と学校群、となっている。
(昔の人って、よくこんなところに町作ったよね。……って、この町できて未だ十年いかない位だっけ?)
海岸以外、元は全て山林だった。そこが、工場群の設立の為に平地にされ、同時に山河鉄道の路線と駅ができた。続いて、北部沿線に沿ったやたらに土が固い部分を残し、その北側約0.7キロ程度までを住宅街として開発。
(のんびりしてて、田舎過ぎる訳でもなくて、いいところだけど、)
そして、更に北部の山林を切り開き、幾つかの学校群が作られ、駅以北と駅以南で人の流れができ上がった。そして、生活に必要最低限程度の繁華街ができ上がった。海岸沿いが、海浜公園として整備され、今の形となった。
(色々、刺激っていうのが足りないんだよね……)
しかし、その海岸は、海水浴場として盛んになるような規模ではない。町には観光地一つ無い。名物の類も当然無い。そういう意味で、労働や勉学に打ち込むには非常に適しているといえるだろう。
携帯端末を出して、時間を確認する。
(あと30分くらい、かぁ。ちょっとのんびりし過ぎたかなぁ。このままだと、二時間目にも遅刻しちゃいそう。住宅街を抜けて、その先に、)
前を向くと、進行方向先に遠巻きに見える、幾つかの小さな山々。そのうちの、右寄りの一つ、その頂に聳える目的地を彼女は見つめる。
(あの長い長い坂の途中で、やっぱり今日はもういいや、ってなっちゃいそう)
この町にある他の学校と比べると、距離もしんどさも、高校としては一番ましであるが、彼女のような、元からスポーツなどしていおらず、さほど通学に慣れていない学生にはそれでも十分にきつい。
住宅街を抜けた先の数本に分かれた道から始まる坂登りは、この町の学校に通う大概の学生にとって、通学の最大の関門である。
小さな山々と、それらを切り開いて作られた道と、各山々の頂の学校である。つまり、舗装されたきちんとした道が敷かれているとはいえ、山道であるそれらを頂まで登り切らないと学校へは到達できないのだ。しかも、バスの類は走っておらず、多段変速付きのロードバイクやマウンテンバイク、もしくは電動自転車といった特殊な自転車でもない普通の自転車では登り切る気が失せる程度に、どの学校へ向かうにしても険しい道を行くことを迫られるのだ。
(この辺りで一番の公立の進学校だからって碌に調べもせずに決めたのはダメだったかなぁ……。けど、この坂と電車以外は、物凄くいい感じなんだけどなぁ。それに彼もいるんだし。うん、やっぱり頑張ろう。間に合うように。できるだけ早く、彼とお話、したいし!)
「よしっ! 頑張るぞぉ~!」
そうやって彼女は、両手の拳を握り、脇を閉めるように腕を引き、胸を揺らしながら気合を入れて、
コト、コト、コト、コト――
先ほどまでとは違い、とろとろじゃない歩調で歩き始めた。
(ちょっと張り切りすぎちゃったかもだけど、誰もいないから、恥ずかしくないもんね)
「はぁ、はぁ、しんどぉい……」
足を止めて、激しく息をする彼女。彼女の体力の無さは、割とどうしようもないレベルだったのだ。そして、
(何で、今日に限ってこんなに疲れるんだろう……。思ったよりも昨日、疲れ溜まってたのかなぁ? それか、あの夢で体力使ったとか? いや、無いか、それは。……、あっ、)
グゥゥゥゥ……。
活動時間が長くなった分の燃料を、お腹の計算に入れてなかったのだ。
(早起きした分と、だらだらだけど動いてた分で、エネルギーが足りないんだ……。どうしよ? 今お弁当食べちゃおっかなぁ? いや、せめて、住宅街抜けてからにしよっと)
あとちょっと、と彼女は、
コトッ、コトッ、コトッ、コトッ――
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、レンガ道終わるまで、はぁ、はぁ、あとちょっと」
後数十メートルだろう坂を登る。前は見ない。もし未だ続いていたら嫌だから。それに、未だ未だ続く先が見えてしまうだろうから。それでも自身で決めた、二時間目には間に合わせるというラインのこともあるので、歩みの速度はダラダラでなく、普段の程度の速度を絞り出す。
「はぁ、はぁ、あと、ちょっと、はぁ、はぁ、」
ぽたぽた、煉瓦の地面に落ちる汗。もうハンカチで拭うことすら止めてしまっていた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、あと、じょっどぉぉ」
それでも彼女は未だ頑張って、
コトッ、コトッ、コトッ、コトッ、
(っ! やった、あとちょっと作戦、成功だぁ)
コトッ、ザスッ、ザスッ。
地面の色が変わると同時に、足音も変わる。そして彼女は立ち止まった。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、――」
大きく口で息しながら、両掌を少しばかり曲げた両膝に付け、頭は上げず、下を向いたまま、汗垂らしながら、彼女は爽快な気分になって、笑った。
(やっ、たぁぁ)
そして、息を整え、汗もハンカチで拭った彼女は、
(さてと。ラストスパート頑張りますか)
上体を起こし、頭を上げ、前を向いて歩き出す。
(ここから暫くの土の道が終わったら、走ろっかな? やっぱりやめとこっと。多分まだ時間あるだろうし)
ザスッ、ザスッ、ザスッ、ザスッ―ー
50メートル程度先。人が三人いるのが見えた。
(ん? 誰かいる? 三人、かな?)
ザスッ、ザスッ、ザスッ、ザスッ――
30メートル程度先。三人は学生であると分かった。
(全員、制服着てる。女の子じゃなさそうだから、全員男の子かなぁ?)
ザスッ、ザスッ、ザスッ、ザスッ――
10メートル先。
「そろそろいい加減理解して欲しいのだが。俺はお前らと違って暇ではないのだから」
(っ、ああああああっ!)
ザッ!
その特徴あり過ぎる声と口調と態度に心当たりがあった彼女は、驚きの余り、足を止めて、
バサッ!
鞄を落とし、残り体力なんて考えず、その三人のうちの一人へ向かって駆け出した。




