第30話 不良漫画シチュ、逃避行 in 山 Ⅰ
スタタタタタタタ――
少年は山を駆け抜けている。乱立した樹木を避け、蛇行するように、上へ、北へ、登っていく。女の子を抱えながら。
そうなって、数十分が経過している。
「なぁ……、何でこんなことになってるんだ……?」
少年は困惑した顔でそう言った。胸元の、自身が抱えている女の子に。名前も知らぬ、しかし、助け助けられた関係の、この数日深く関わり合った彼女に。彼が額からかく汗は、運動負荷によるものではない。
「私が知りたいよ、それ……」
そう、同じように困惑した風にそう言う彼女ではあるが、内心は違う。幸せな煩悩に塗れていた。
(夢なんかよりも、ずっといいシチュ。お姫様抱っこしてくれることになるなんて! 躊躇の無さと、私を意識してくれてなさも、逆にいい、と思えちゃう。とっても厚いな、彼の胸板。彼の心拍は落ち着いている。とっても、落ち着く。とっても太いな、彼の腕。ごついそれで、優しく抱えられてると感じると、はぁぁぁ、幸せぇ)
そして、彼がそれに気付く素振りは無い。
「だよなぁ……。ん? あれっ?」
彼は彼女の返答を、尤もだと肯定しつつも、すぐさまあべこべになっていることに気付く。当然である。彼女の乱入がこの事態を引き起こしたのだから。
(ここで終わりになっちゃったら、イヤだなぁ。なら、)
「考えるのは後にしよっ」
(こうしちゃえ!)
そして、彼女はしれっと押し切る。
「だな。もっと早く見切り付けて、こうしてれば良かったな。ん……? あれっ? まあ、いいか、はは」
再び抱いた疑問を振り切って、胸元の彼女に彼は微笑む。彼女はそれを見て赤面した。
(私の白馬の王子様ぁ)
そして、割と近く、後ろから聞こえてくる声。彼女には見えないが、その距離は5メートルもない。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、おらああああああ、待てやぁあああああ」
「女抱えて何、はぁ、はぁ、余裕こいてんだこらぁあああ」
(うるさいわねぇ……。でも……、あの人たちのお蔭で、彼にお姫様抱っこして貰えてるんだよね。ありがと、不良さんたち)
彼と彼女を追う、二人の鬼だ。彼と彼女がやっているのは鬼ごっこ。彼と彼女は逃げる側。そして、追い掛けてくる鬼は二人。言葉遣いの通り、不良である。今時、そこまでコテコテなのは珍しいという位の。だから、こんな山道を駆ける彼の追跡を数十分も続けられているのだ。
(でも、そろそろ、終わりかなぁ?)
そんな中でも、彼は割と余裕があるようである。息を切らすことなく、走りながら、彼女を抱えながら、両腕に自身の分と彼女の分の鞄を持ったまま、涼しい顔して、彼女と話すらしてみせているのだから。
彼は息すらあげておらず、不良たちは息を切らし気味。だから、追いかけっこはそろそろ、彼と彼に抱かれた彼女の逃げ切りという結果で終わるだろうことは明らかだった。そして、
「一旦振り切って、隠れるとしよう。見つからない場所に心当たりがある。少々強く抱くぞ。そして君も、俺に抱き着くようにしてくれ。速度を上げる。躓いたときは、まぁ、済まん」
(えっ、えっ? 何で、隠れるのぉ? 十分振り切れるでしょう? でも、ここは言う通りにしよっと)
「じゃあ、抱き寄せて。私がしがみつけるように」
「ああ。少し浮かせるぞ」
グッ。
彼は、彼女の体が自身に腕部分で垂直に交差するように抱き寄せ、彼女が自身にしがみつけるようにした。
(ひゃぁぁぁ)
自身の胸が、強く押し付けるかのように彼に当たるのを感じた彼女は、頬を染めつつ、
(ふふふふふ)
ギュッ。
彼に両手両足でしがみついた。スカートの乱れすら気にせずに。
タタタタタタタタタ――
「ふざけん……はぁ、はぁ、なぁあああ、お姫様抱っこして、はぁ、はぁ、はぁ、なんでそんな速度で走れるんだよぉおぉ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、てめぇはぁああああ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
「無理してるだろう? 絶対無理してるだろう! お前の足止まったら、絶対追いついてやんから、はぁ、はぁ、はぁ、なぁあああああ!」
(汗の匂い。彼の匂い。がっちりとした筋肉。それに、彼から熱を感じる。彼の厚い胸越しに、鼓動が激しくなってくるのが聞こえる。それにこれは、彼が私の為にしてくれる全力疾走なんだ! あぁぁ、蕩けそうっ)
不良二人の足は止まったらしい。彼の逃げ足に付き合うには、走力・持久力共に足りなかったようで。そして彼は、
タタタタタタタタ――
速度を緩めることもなく、走り抜けていく。これまでは、あの、数本に分岐する別れ道を無視して、真っ直ぐ北へ、彼女をお姫様抱っこして山の斜面を蛇行しつつ、ひたすらに駆け登っていたが、
「そろそろいいだろう。右に曲がって、降りるぞ。そして、道に出る。俺たちの学校へ続く道へ、な。はは、ふははは、あんな馬鹿共の相手、まともにしてられるか、ってなぁ!」
とても楽しそうに笑う彼にそう言われ、彼女は気分を高揚させながら答える。
「全部振りだったんだね、キミってホント、凄いよぉ」
「君のお蔭さ。普段の俺のやり方よりもずっとスマートで面倒の無いやり方を取れた。もう三限目が始まってしまう時間だ。今更焦っても仕方が無い。ゆっくり登校するとしよう。どうやら互いにサボるつもりは無いようだし」
こくん、と、彼女は嬉しそうに頷く。
(『君のお蔭さ』だって、ひゃぁぁぁ! でも、ってことは、そろそろ終わりかぁ、お姫様抱っこ。もう少し、王子様に抱えられて追っ手から逃げるお姫様気分味わっていたかったんだけどなぁ。でも、ゆっくりお話はできそう)
「それに、いつまでも逃げ続けるというのも不味かったからな。流石に、そろそろ、汗も掻き始める頃合いだったから。いつまでも君を抱えていたら、俺のせいで君を汗だくにしてしまうからな」
(私としては、君の汗に塗れたいんだけどなぁ)
タタタタタタタタ――
「だいぶ前からあいつらの足音も声も途絶えている。そして、前方の、道。目的地だ。すがすがしい位に上手くいったな!」
森が開けて、アスファルトで舗装された、通学路というには余りにも細い、農道染みた細い道が見えた。不良たちに待ち伏せされている気配もない。
「そうね、ふふふ」
(あぁ、最っ高ぅ!)
そうやって、彼と彼女は不良を撒いて、逃げ切った。
「じゃあ、下ろすとしよう」
道に降り立った彼が言う。
(やっぱり、もうちょっと、このままがいいなぁ)
ぎゅぅ。
「どうした? まさか、あいつら撒けてなかったのか?」
彼女が自身に強く抱き着くので、
スッ、ギョロ、スッ、ギョロ――
彼は慌て始め、彼女を抱えたまま、周囲を見渡す。
「はぁ、大丈夫、か。どうやら杞憂のようだぞ。良かったよ。こうやって、一旦運動を止めたりすると、汗は一気に噴き出るものだからな。山での全力疾走は流石に疲れるからな」
「うん。そうだね。私の為に、ありがとう」
彼女は不満を隠してそう笑った。
(無欲なのか、鈍いのか、それとも私なんて、意識してくれないってことなのかなぁ……って、それは無いか。じゃあ、鈍いってことかぁ……。でも、私を抱えてたから疲れたみたいなことは言わないし……。だどうだっていうんだろう……。はぁ……)
彼は彼女を優しく下ろした。そして、荷物は彼女の分も持ったまま。彼は彼女の彼女の大腿と背を感じながらも、胸を押し当てられても、彼女の匂いを胸元で濃く感じても、無欲だったのだ。役得など考えない紳士なのだ。少なくとも、彼女の目から見たら。




