第二十七話 十字架だけを誇る
吹雪は少しずつ静まり始めていた。
厚い雲の切れ間から、かすかな夕暮れの光が雪原を淡く照らしている。それはまるで、天がわずかに目を開けたかのようだった。白い世界に柔らかな陰影が生まれ、遠くの木々が輪郭を取り戻し始める。風も弱まり、先ほどまでの激しさが嘘のように、世界は静けさを取り戻していた。
二人は変わらぬ歩調で歩き続けていた。足元の雪はまだ深かったが、道は確かに前に延びていた。レオは長い間、一言も口を開かなかった。胸の中では、フランチェスコの語った情景が何度も繰り返されている。
門を閉ざされること。侮辱されること。打ち倒されること。そして、それらを喜びとして受け入れること。あまりにも遠い境地だった。自分には到底たどり着けそうもない。そう思うたびに、心が重くなった。しかし同時に、その遠さこそが、彼を前に進ませる力でもあった。
そのとき、フランチェスコが静かに言った。
「レオ兄弟。」
「はい、父よ。」
「結論を聞きなさい。」
レオは姿勢を正した。いよいよ、父の言葉が核心に達しようとしている。その予感が、彼の心を引き締めた。
「キリストがその友らに与えてくださる聖霊の賜物は数え切れない。」
フランチェスコは穏やかに語る。その声は、疲れているはずなのに不思議な力に満ちていた。
「知恵もある。学びもある。説教の力もある。奇跡を行う力もある。だが、それらはすべて神から授かったものだ。」
レオは静かに頷いた。たしかに、自分の努力だけで得たものではない。神が与えてくださったからこそ持ち得る賜物である。知恵も、学びも、すべては神からの贈り物だ。自分が努力したとしても、その土台は神が備えてくださったものだった。
「だから、それを自分のものとして誇ることはできない。」
フランチェスコは少し微笑んだ。その微笑みは、自分自身に言い聞かせるようなものだった。
「使徒パウロも言っている。」
――あなたが持っているもので、神から受け取らなかったものがあろうか。受け取ったのであれば、なぜ自分のものであるかのように誇るのか。
その言葉は、冬の澄んだ空気の中へ静かに響いた。レオはその言葉を、心の中で繰り返した。確かに——すべては神からの賜物だ。自分が何かを成し遂げたとしても、それは神が与えてくださった力によるものだ。そのことを忘れて、自分の功績のように誇るのは、傲慢以外の何ものでもない。
二人はまた歩き始める。雪を踏む音だけが続く。それは規則的で、まるで時を刻むようだった。
やがてフランチェスコは胸に手を当てた。その仕草は、自分自身の心臓の鼓動を確かめるかのようだった。
「しかし、一つだけ。私たちが誇ることのできるものがある。」
レオは顔を上げた。フランチェスコの瞳は、まっすぐ前を見つめている。その目には、深い確信があった。
「それは。」
一呼吸置いて言った。
「キリストへの愛のために、自ら進んで耐え忍んだ苦しみだ。」
「不義も。屈辱も。拒絶も。悲しみも。」
「その十字架を、主とともに担うなら。」
フランチェスコは穏やかに微笑んだ。その微笑みは、彼自身がどれほどの苦しみを耐え忍んできたかを物語っていた。
「それだけは、誰から借りたものでもない。神への愛をもって、自ら引き受けたものだからだ。」
レオは、その意味をゆっくりとかみしめた。奇跡よりも。知識よりも。人々の賞賛よりも。神は、一人の人間が愛ゆえに耐え忍ぶ心をご覧になっている。その心は、誰から与えられたものでもない。それは、自分自身の選択によって生まれるものだ。苦しみを避けることもできた。しかし、あえて選んだ。その選択こそが、人を真に自由にする。
そのとき初めて、父が繰り返し語ってきた「完全なる喜び」という言葉が、胸の奥で一つにつながった。それは、苦しみを好むことではない。苦しみの中でも神への愛を失わない、自由な心だった。その自由は、外部の状況に左右されない。誰かに与えられるものでもない。自分自身の内側から湧き上がるものだ。
吹雪はいつしか止み、雲の向こうから淡い光が雪原を照らし始めていた。その光は暖かくはなかった。しかし確かに、そこにあった。まるで、彼らの行く手を祝福するかのように。
二人は何も言わず、その光の中を歩き続ける。サンタ・マリア・デリ・アンジェリは、もう遠くなかった。レオはその光を見つめながら、父の言葉を心に刻んだ。十字架だけを誇る——それは、彼の生涯の指針となる言葉だった。
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*この章で、フランチェスコは「完全なる喜び」の教えを結論づける。彼は、聖霊の賜物はすべて神からの贈り物であり、人間が誇るべきものではないと説く。しかし、一つだけ誇ることが許されるものがある——キリストへの愛ゆえに耐え忍んだ苦しみである。それは、誰から与えられるものでもなく、自らが選び取るものだからだ。この教えは、フランチェスコの霊性の極みである。彼は決して苦しみを美化しなかった。しかし、苦しみを神と出会う場へと変えることを知っていた。その変容の力こそが、彼の生きた証であり、私たちへの遺産であった。彼の生涯は、この一つの真理を体現していた。十字架だけを誇る——それは、彼の最後の言葉にも通じるものがある。*




