91.楔
「エクラタン王国は、あくまでリリアナを引き寄せるための『呼び水』に過ぎん。如何に常人を遥かに超えた魔力を持つエリファスであっても、召喚を成し遂げるには、魔力があまりにも足りないのだ」
愕然とする私たちに、苦々しく眉を寄せながらラヴォント殿下が説明を続ける。
「そこで奴は、国民すべての生命エネルギーを魔力に変換する手法を選んだ。そうすれば、成功する確率はぐっと跳ね上がる」
「……文字通り、国そのものを使い潰すということですか」
カトリーヌの顔にも焦燥の色が浮かぶ。ララに至っては、この世の終わりのような顔で首を振っている。
「私たち、他人の恋路の生贄にされるってことですか!? 冗談じゃありません、絶対にイヤーッ!」
「だから阻止しなければならないと言っているのだ」
私も心のどこかで「そこまで一途ならエリファスの好きにさせればよくない?」なんて思っていたけれど、全力で前言撤回だ。
何とかしないと国が滅ぶ。いや、国どころか私たちが死ぬ。ほんと、マジで。
「というか、精霊界の人たちは何でこんな一大事に何もしてくれないんですか!? 殿下や狐ちゃん任せにしないで、今すぐエリファスを何とかしてくださいよぉーっ!」
半べそで食ってかかるララに、写し狐が小さく溜め息を零した。ぺたんと垂れ下がるケモミミの幻覚が見える。
「何とかしたいのは山々なんだけど、例の『爆発縛り』があるんだよねぇ。千年前よりずっと昔に、精霊たちがこの世界で好き勝手しすぎたせいで、そういうルールができちゃったんだって……」
大昔の精霊ども、戦犯すぎるだろ!
爆発ルール誕生の衝撃秘話に、怒りで拳がぷるぷると震えてしまう。夢幻の鏡に引きこもり中のねぼすけコンビといい、どいつもこいつも自由気ままだわ。
人間ときっちり共存できている、我が家のフライパンと水差し丸の爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。精霊って爪あるの?
「というわけで、私と写し狐が精霊界から課せられた役目は三つだ。まず一つ、エリファスの現在の居所を突き止めること。二つ目、エクラタン王国を媒体とした大規模召喚を阻止すること」
ラヴォント殿下が人差し指と中指を立てる。
「そして三つ目は、可能であればだが……エリファスの捕獲」
それは今、ここにいる五人にとっての明確なロードマップとなる。……んだけど、正直言ってどれもこれも、難易度が高すぎやしませんかね?
相手は千年生きたバケモノだ。ここにいる若造どもに、一体何ができるというのか。
「まあ、エリファスがどこにいるのかはある程度目星がついてますけどね!」
絶望を吹き飛ばすように、写し狐がむふんっと鼻を鳴らす。
「そうなの!?」
「その質問に答える前に、まずは先ほどのプレアディス公爵の疑問に答えよう」
驚く私にそう言って、ラヴォント殿下がカトリーヌ様に視線を投げた。
「あらゆる情報は再現できているのに、精神の再現にはムラがある……これについては私と写し狐で検討したのだが、理由は存外、単純なことだと思っている」
「多分、個人差とかじゃないかなぁ。プレアディス公爵様みたいに最初から『完成』している人もいれば、ある日突然中身が書き換わっちゃう人もいる……みたいな」
写し狐が自分のこめかみを指先でトントンと叩く。
その様子に、私は小さく息を呑んだ。カトリーヌも同じ考えに思い至ったようで、目を大きく見開いている。
「それじゃあ、リラ様が豹変したのも……」
「恐らく、千年前の人格に精神を上書きされたのだろう。だが、私を連れてエスキスへ逃げたあの夜だけは、母上は正気を取り戻していたのだ」
ラヴォント殿下は、痛みを堪えるように目を伏せて言った。
たとえ同じ魂だとしても、それはもう完全に別人だ。自分の母親の中身が、いつの間にか知らない誰かにすり替わっている。
想像するだけで悍ましい話だわ。そう考えると、私も前世の記憶を取り戻した拍子に、元々の『アンゼリカ』の人格を……?
背中を嫌な汗が伝う私を尻目に、ラヴォント殿下は言葉を続ける。
「だが、エリファスとて魂を千年前と寸分違わぬ人間に転生させ、すべてを復元させるのは困難なはず。そこで彼は再現性をより強固なものにするために、あるものを『楔』として魂に打ち込んだ」
「……名前、ですね」
カトリーヌが確信を持ったように言い切る。
名前って……話の流れ的に、千年前と同じ名前を付けたってことよね?
だけど、生まれたばかりの赤ちゃんに狙った名前をつけるように、親たち全員を操るなんてことが可能なのかしら。
「あっ!」
その時、ララが何かに気づいたように声を上げた。
「つまり授名の儀式ってことですね!!」
「あっ、王都の神殿で名前をつけてもらうってあれね。今日のララってば、とっても冴えてる~!」
「えへへ、それほどでもありますよぉ」
私に褒められて、いい笑顔のララさん。
……ん? でも、ちょっと待てよ?




