97.コンピュータウィルス
私がシラーに気付いたように、向こうも私の存在に気付いていたらしい。
アドレー夫人と店に向かっていると、近くに王城で使われている馬車。それも、お忍びの時に使われるタイプの車種(?)が停まっているではないか。
王族の誰かが利用しているのかと思えば、カーテンの隙間から私の顔がちらりと見えたそうだ。
「しかも、何やら凄まじく険しい形相をしている。だから夫人に会計を任せて、話を聞こうとしたんだが……」
「……カーテンを閉めていて薄暗かったせいで、そう見えていただけだと思いますわ」
説明を一通り聞いてから、私は弱々しく白を切るので精一杯だった。
ちょうどパニクっているところを目撃されたのだろう。そんなヤバい顔をしてたんかい、私。
自分にあらぬ疑いをかけられていたとも知らず、シラーは澄ました顔でコーヒーを啜る。私も平静を取り繕って、ミルクたっぷりのカフェオレを口にした。
真実が明らかになった後、アドレー夫人は「私はお先に失礼しますね」と紙袋をシラーに渡して、にこやかに去っていった。
その際、少し申し訳なさそうな顔でこちらを見ていたので、多分私の心情を察したのだと思う。あなたは何も悪うございません。私が勝手に早とちりして、勝手に焦りまくっていただけです。
弁明をする間もなく、私とシラーは近くの喫茶店に場所を移した。写し狐には「ごゆっくり~」と安心しきった顔で送り出された。
「……ちなみにあの御者は何者だ?」
窓の外をちらりと見ながら、シラーが低い声で尋ねる。不貞を疑っている、というより何かを警戒するような厳しい目つきだ。
「あんな男、王城に在籍していなかった気がするが」
「そうですの? 最近入った新人さんかもしれませんわよ。カトリーヌ様も特に不審がっている様子はありませんでしたし」
探りを入れるような言葉に、私はさらりと切り返した。あとでカトリーヌが上手く話を合わせてくれるはず。
そう信じてマグカップを傾けていると、城を出発する前に義姉と交わした会話をふと思い出した。
『エリファスの件を、シラーに話すつもりはないのか。奴なら迷うことなく手を貸すだろう。ラヴォント殿下も、口には出さずとも弟の助力を求めている。それはお前も分かっているはずだ』
自分で勝手に言いに行くのではなく、まずは私に話を通そうとする。そんな生真面目さは弟そっくりだな、と思う。
カトリーヌの言うことは尤もだ。信頼できる味方は一人でも多い方がいいに決まっている。
そう理解していても、私は首を縦に振れなかった。
『えっと、その……旦那様に話すのは、もう少し待っていただけますか。こんな悠長なことを言っている場合ではないのは分かっています。でも……お願いします』
『理由を聞いても……いや、愚問だったな。今の話は忘れてくれ』
不満そうな素振りも見せず、カトリーヌはあっさりと踵を返した。
深く追及せず、私の意思を尊重してくれる彼女の優しさが身に染みる。それと同時に、理由を打ち明けられない後ろめたさが胸に残った。
エリファスは千年前のエクラタン王国を蘇らせようと企んでいる。
けれど私の勘が正しければ、その計画は崩壊しつつあるはずだ。
根拠は三点。
まずはリラがかつての魂との同化を拒み、現在は深い眠りに就いていること。
エイボン館長は彼女が記憶の混濁で壊れてしまわないように、封印したんじゃなかろうか。
二点目はナイトレイ伯爵家がピンピンしていること。
本来なら平民の反乱が起きている時期なのに、実際はめっちゃ平和だ。
そして三点目。マティス伯爵家が事実上没落したこと。
伯爵夫妻には親族もいるけれど、この状況下で家督を継ごうなんて猛者はおらず、領地も分割されて近隣の領主たちが管理する流れになるのだとか。
リラやナイトレイ家の件はともかく、マティス伯爵家の消滅はかなりマズい。
ドカスの兄に似ているけれど腕は立つ『騎士団長の弟』属性がなくなり、このままではただの『いい子なクロード』だ。私がエリファスの立場だったら、きっと今頃頭を抱えていると思う。
どうしてこうなった、と。
私だ。
私という存在が、エリファスの千年計画に現在進行形で特大のバグを叩き込んでいる。
ナイトレイ伯爵家に嫁ぎ、シラーたちの協力を得て冤罪を晴らし、逆にマティス伯爵家の権威を失墜させた。
それから、以前降った『悪魔の雨』。あれだって対策を一歩間違えれば、領民の不満が爆発して反乱の火種になっていたはず。だけど、水差し丸が生成したスポドリもどきであっさり回避してしまった。
お家事情が180度変わってしまって、もはや魂の同化どころではないだろう。
エリファスにとっては、私は自作プログラムに突如発生したコンピュータウィルスのようなもの。一刻も早くデリートしたいと憤っているはずだ。
本音を言えば、今の私はシラーと一緒にいたくない。エリファスが、私を消すついでに彼までまとめて消そうとする恐れがあるからだ。
何せ、本来の計画通りであれば、シラーはすでにこの世にいないはずなのだから。




