第11話 パパ!
入口に足音がした。
篠宮玲が大股で入り、座敷の局面を一目掃いて、足が止まる。
きらのほうが早い。
「パパ!」
小さな砲弾が走り、脚に抱きつく。
篠宮玲は屈んで抱き上げ、千回抱いたみたいに自然だった。
その場に固まった。
「いつ……」
「昨夜だ」
きらを抱いたまま、一目くれる。
「お前が寝たあと、来た。きらは起きてた。俺を待ってた」
「あなたたち……」
きらが首に腕を回し、耳元へ寄り、巨大な秘密を分けるみたいに声を潜める。
「ママ、面接したよ」
「……面接」
「あなたは誰、って聞いた。五年隠してた人かもしれない、だって。だから、パパになりたいなら、ぼくの面接を通ってから、って」
私:「……」
子どもを抱いたまま顔は動かないが、耳の根が赤い。
「母さん」
篠宮玲が口を開く。
「何も言うな」
夫人が遮り、声が硬い。
「五年前は守れなかった。五年後は子どもを連れて私を追い込む? 成長したわね」
「追い込んでません」
きらを下ろし、手を引いて夫人の前へ。
「見てほしかっただけです」
「何を。あなたに似てること?」
「孫だということです」
篠宮玲が言う。
「半生望んでいた跡取りが、四歳です。鈴原 煌。鈴原が先、煌が後——」
一度止まる。
「その煌は、母さんが付けた字です」
夫人の全身が震える。
「……何ですって」
「俺が生まれたとき、母さんが付けた幼名です。きら」
見据える。
「六年、呼ばれました。寮に入れられてから、呼ばれなくなった」
「大学で昭に言った。子どもができたら、煌にしよう、と。覚えていた。一人で産んで、母さんの字で五年呼んだ」
夫人が頭を下げ、きらを見る。
きらは見上げ、少しも怯えず、ふいに言う。
「おばあちゃん、目が赤い」
顔を逸らす。
「泣かないで」
きらが言う。
「泣いたら、ママが辛くなる」
座敷は、銀杏の葉が落ちる音まで聞こえるほど静かだった。
長いあと、夫人が戻り、声がひどく掠れている。
「こっちへおいで。おばあちゃんに顔を見せて」
きらが私を見る。
小さくうなずいた。
きらが歩き、夫人の膝の前に立つ。
夫人はしゃがんだまま——この生涯、ほとんどしゃがまなかったはずだ——指できらの顔を、一寸ずつ見る。眉から、口角まで。
「似てる」
言う。
「お父さん小さい頃と、そっくり」
言いながら、ふいに笑った。笑っているうちに、また目が赤い。
「ママが……いい名前を付けたわ」
門まで来たとき、夫人に呼び止められた。
振り返る。
内から出て、何かを手に、きらの前でしゃがむ。
「はい」
玉の墜。古い羊脂の白、紅い紐。
「お父さんの満月に、打たせたもの」
声は硬い。
「数日で痛いと言って外した。三十年近く仕舞ってあった——あなたに」
「おばあちゃん、これ、高いの」
「高くない」
夫人が言う。
「家に伝わるもの」
「うん」
きらが真剣に着け、仰ぐ。
「ありがとう、おばあちゃん」
口角が動いて、その笑いを広げさせない。
出口まで歩き、きらが突然振り返り、力いっぱい振る。
「おばあちゃん、また来るね!」
夫人は縁側に立ち、小さな背中を見て、黙っている。
扉が閉まる直前、ごく小さく聞こえた。
「……馬鹿な子」
帰りの車、きらはチャイルドシートで玉を弄び、弄んでいるうちに眠った。
車内は静かだ。
「母さんの馬鹿な子は」
篠宮玲がふいに口を開き、目は前方だ。
「人生で人を褒める、最高位だ」
「見てた」
私は言った。
「浮かれるな」
ハンドルを握る指が一度締まる。
「父は、まだ知らない」
横顔を見る。
「どういう意味」
「母さんの関は、お前の勝ちだ」
間を置く。
「父の関は——」
「本番は、これから始まる」




