第八章 探偵倶楽部の推参!
「ほら、集めてやったぞ」
イライラした様子を隠そうともせず、小山警部補がつぶやく。
「ありがとうございます」
姫君を出迎える王子様のように、阿久馬先輩は腰を折って返した。
二階の友恵さんの部屋には、ストーカー男を除く全員が集められていた。
友恵さんのお父さん、彼氏の吉城さん、そして妹の友美さんに刑事の小山警部補。部屋の中央で眠る友恵さんを囲むように、ぐるりと円を描いている。うん。これ、探偵もののアニメでよく見る構図だ。
つまり、クライマックスが近い。
「おい、ええ加減にせえよ、家に帰らしてくれや」
吉城さんが阿久馬先輩に食って掛かる。
「大丈夫です。私の話を聞いていただければ、無関係の人がわかります」
先輩はさすがの丹力、ヤンキー崩れの大学生など匙にもかけず、あっけらかんと言い放った。
吉城さんは「それなら、まぁ」的なことを言って引き下がった。
「それで?阿久馬、誰が犯人かわかったのか」
白髪まじりの髪をかきむしりながら、小山警部補。
「その前にまず、被疑者がどうやって友恵さんを殺害したのか、ご説明しましょう。警察も、防御創がないところには引っかかっているのでは?」
「まぁ、そうだな」
渋い口調と表情のわりに、小山警部補は思いのほかあっさり認めた。
「理由は簡単です。友恵さんは、抵抗ができない状態で絞殺されたのです」
「あー……そりゃ簡単だ。無抵抗なら、誰だってできる。できれば、無抵抗にするやり方を聞きたい」
「ワダソン君」
呼ばれた。僕はごくりと唾をのんで、先輩のそばに進み出る。優勝トロフィーを掲げるように、大きなビニール袋を頭上に持ち上げる。これは――
「――インスリン注射か!」
合点がいった小山警部補に、先輩はうなずく。
そう、先輩の命で僕が持ってきたこれは、友恵さん友美さん姉妹の父親、真司さんの部屋から持ってきた注射器のゴミ袋だ。
「健康体の人間にインスリン注射を、それも複数本行った場合、極度の低血糖状態になり、最悪の場合昏睡状態に陥ります。そうして被疑者は、友恵さんが抵抗できない状態を作り出したうえで犯行に及んだ」
この時点で、小山警部補と友美さんの視点が、お父さんに注がれる。
当然だ。この家でインスリンの処方を受けているのは上原真司ただ一人なのだから。
「ちょっと待てや、わしじゃない!たしかに友恵のことは好かんかったが、殺しはせん!」
真司さんはふけとシラミをまき散らしながら慌てふためく。もちろんそうなることを先輩はお見通しだ。先回りして僕に調べさせている。
「真司さんの処方箋と、実際に捨てられた注射器の数をうちのワダソンが調べてくれました。すると、どうしても数が合わないのです。未使用の注射器と使用済みの注射器を何度数えても、処方された数より三本すくない。その三本だけ、煙に巻かれたかのように消えているんです」
「わしじゃない!絶対にわしじゃ――」
「もう一つ、睡眠導入剤も足りなくなっている」
慌てふためく大入道をさえぎって、阿久馬先輩は続ける。
「残りの錠剤数と処方箋を照らし合わせたところ、ちょうど一シート足りないことになっている。注射器と違い、錠剤シートは普通ゴミで捨てられますから、あくまで推測の域を出ませんが」
「手順はこうです。被疑者はまず、友恵さんに睡眠導入剤を盛った。そして、睡眠導入剤が効き始めるまで待ち、浅い睡眠状態に入ったところで、インスリン注射を打った。最近のインスリン用注射器はほとんど痛みを感じないように作られていますから、友恵さんには気付かれなかったか、気付かれてもごまかすだけの猶予はあった」
「そして再度、インスリンが効き始めるのを待ち、首を絞めて殺害した。友恵さんは重度の低血糖状態にあったため、抵抗することもできず、そのまま死を迎えた」
「阿久馬、そりゃ無理だろう」
と言うのは小山警部補だ。
「睡眠導入剤で眠らせてからインスリン注射はわかった。でも、どうやって睡眠導入剤を飲ませたんじゃ、友恵さんが黙って飲むこともないじゃろうが」
「卵の殻ですよ」
先輩がそう言った時、あの人の目が見開かれる。
この部屋にいる誰しも、それに気づかない。
「は?」
当然、小山警部補には死角から飛んできた鉄砲玉だ。すぐには飲み込めない。
だから先輩は告げる。
その事実を、このトリックを仕掛けた張本人に。
「卵の殻です。私たちが食べたものには入っていませんでしたが、友恵さんのものは違った――そうですね?」
名探偵阿久馬志水の、すべてを見通すアメジストの瞳。
それが見据える人物は、足元に視線を落とし、ぶるぶる震えている。
「友美さん」
上原友美――亡くなった、いや、殺された友恵さんの双子の妹だ。
「最初からおかしいと思ったのですよ」
部屋にいる全員が固唾を飲んで見守る中、先輩は続ける。
「ストーカーを撃退するだけのはずだったのに、私たちの分まで昼食が用意してあった。それも、カレーや肉じゃがを作りすぎたとか、そういう次元ではない。卵焼きと野菜炒め、みそ汁まで。それを人数分、まるで、誰かを証人にするために、ここにとどめ置くかのように準備されていた」
「ちょ、ちょっと待って、阿久馬さん、なんで私が――」
「一つ言っておくが」
突然敬語をやめ、阿久馬先輩は低い声で言う。
「殺害の証拠はちゃんと握っているし、警察を欺いたトリックもわかっている」
友美さんの額に、どっと汗の粒が浮き出る。
「ただし、警察は騙せてもボクは騙せない。人が死んだ以上、報酬は関係ない。ボクは本件に対して、何が何でも真実を明らかにするつもりだ」
友美さんの顔が、雪女のように蒼白くなる。
そして、それ以上何も言わなくなった。
「あなたは、友恵さんが昼食を食べ終わる時間帯を狙い、ボクたちをアパートに招いた。友恵さんは思いもしなかったでしょう、自分の食事に睡眠導入剤が混ぜられているなど。あるいは、地下アイドルの仕事で夜遅くなって、もともと昼寝をする予定だったのかもしれない」
「いずれにせよ、友恵さんはあなたの狙い通り眠っていた。そしてあなたは一回目、真司さんに昼食を持って上がった時、友恵さんにインスリン注射を打った」
「食事を準備するのも、真司さんの部屋を掃除するのも、いつもあなたの仕事だった――そうですね?友恵さんは真司さんのことを毛嫌いしていて、あなたがするほかなかった――だからすんなりと準備することができたはずだ。あなたは真司さんのことについて口論になったと言っていましたが、実際は違う。あれは、注射のわずかな痛みで友恵さんが目を覚ましたことで、口論に発展したものだ」
説明の途中で、小山警部補が動く。膝をつき、遺体に顔を近づける。
ベテランの刑事だろうに、先輩は目もくれず口早に告げる。
「右の脇です。三本同時に刺しています。注射して、すぐ背後にでも隠したのでしょう。寝起きのまどろんだ頭では、何をされたのか瞬時に判断するのは難しかったはずです」
小山警部補の顔に「マジか」と書いてある。驚いているのか、恥じているのか、僕にはわからないが。
「そして二回目だ。真司さんが食事を終えただろうと偽って、あなたは二階に上がった。あとは簡単だったでしょう。友恵さんは低血糖状態で無抵抗、吉城さんはパチンコに没頭、真司さんはめったに部屋から出てこない、ボクとワダソンは優雅に食後のコーヒーだ。あなたは、友恵さんの首にロープをかけ、ドアの前まで引きずった」
阿久馬先輩はドアの方に歩いていき、ドアの枠、自分のお尻よりも少し低いあたりを指さした。
「そのまま素手で絞めれば、手のひらにロープの痕が残る。また、女性の力で絞殺すのは困難です。あなたはドアを半開きにして、友恵さんの頭をひっかけ、隙間からロープを外に出した。そして、自分の体にロープをたすき掛けにして、ゆっくりと、音をたてないように階段を下った」
「だから索状痕が前にしかつかなかったのか」
髪をかきむしりながら、小山警部補が降参にも似た声を上げる。
「そうです。友恵さんはドアと枠の間に押し付けられる形となり、窒息死した。ここに彼女の毛髪が残っています。おそらく、強い力でこすりつけられ、抜けてしまったのでしょう。警察はストーカーのことが頭にあり、侵入経路と思われるベランダ付近を入念に調べます。まさか内部、それもドアの枠までは調べない」
先輩が手に持っているのは、ペンのように細い懐中電灯だ。探偵七つ道具の一つだと言っていた。細くとも、強力LEDのおかげで失明しそうなくらい眩しい一品だ。古い木材特有のささくれに挟まった、わずか数本の長い毛髪を照らし出している。
「そう思って、後回しにしたのでしょう」
全員が毛髪を確認したことを確認し、先輩はペンライトをポーチにしまった。
「後回しぃ?」
小山警部補が懐疑に満ちた声を上げる。
「吉城さんです」
「はぁ!?俺!?」
「ご安心を、あなたが犯行を手助けしたとは思っていません。むしろ逆です」
先輩が人差し指を立てる。吉城さんは何か言いたそうにしていたが、こめかみにぐっと力を入れて押し黙った。
「友美さんの計画では、ストーカーの萩森雄三に罪をなすり付けるはずでした。あなたは友恵さんを殺害後、彼女のふりをしてベランダに出て、萩森に近づいてくるよう、誘いましたね?」
友美さんは答えない。
先輩は答えを待ってもいない。
「実に用意周到なトリックです。我々は、過去に一度、ストーカーがベランダに上がったという話を聞かされていました。まんまと引っかかった。萩森雄三なら、上ってもおかしくないと思い込んでいた」
「萩森に聞いた話では、ベランダに出てきた友恵さんに招かれ、そして、『家族にばれないように』『上がってきて』『プレゼントがある』と誘われたと」
「彼の証言に間違いはないでしょう、実際、上ろうとして、雨どいを破壊しているわけですから。事実と異なっている点があるとすれば――声をかけたのは、友恵さんではなく――友美さんだったということです」
「もともと、友恵さんと勘違いしてストーカーをしていた男だ。騙すのは簡単だったでしょう。そして、雨どいを上らせ、萩森は落ちた。もともと古くて壊れたのか、あるいは、自分が住んでいる家ですから、雨どいの取り付け部分に細工する時間はいくらでもあったでしょう。一階にいたボクとワダソンがその音を聞きつけ、追いかける。あとはゆっくりと証拠品を片付け、父親の部屋に食事を取りに行き、掃除をするふりをしていればよかった。だが――ここで予定外のことが起きた」
「それが吉城さんです。吉城さんが予想以上に早く帰ってきてしまったため、友美さんは慌てた。本来ならゆっくりと、用意周到に行うはずだった証拠隠滅を、急がざるを得なかった」
そこまで一気に語り終えると、阿久馬先輩は颯爽と窓際に歩いてゆき、バッターン!と窓を開けた。そしてベランダに躍り出ると、隣室との仕切り板の前に陣取った。
小山警部補が、吉城さんが、大入道が、先輩のあとについていく。ただ一人その場に残る友美さんを、僕は義務的に見つめ続ける。
「これがその証拠です」
言うが早いか先輩は、鎌を振り上げるカマキリのように、右膝を高く上げた。かかとが振り下ろされるはベランダの仕切り板だ。火災から避難する時しか開けてはいけないそれを、障子を破るクソガキのように嬉々とした表情で蹴破っていく。
本来ならば、突然の器物損壊を止めるべき警察官が、あっけにとられた表情で固まっている。
それもそのはず、破られた仕切り板の向こう側から出てきたのは、しめ縄のように太いロープと三本の注射器、そして白い、ナイキのシューズなのだから。
「盲点でしたね小山警部補。被疑者が萩森であったとして、まさか隣の部屋に証拠品を投げ込むとは誰も思わない。隣が空室だと知っている友美さんにしかできない判断です。手すりや仕切り板を調べれば出てきますよ、彼女の指紋がね」
「おい、その靴……」
その先の言葉を失って、小山警部補がうろたえている。
「そう、この靴こそ、彼女が萩森を呼び寄せた証拠に他なりません。よろしくお願いします!」
その呼びかけが合図だった。階下から、若い刑事に連れられて、萩森雄三が上がってきた。
萩森は、恐るおそるといった様子で部屋に入ってくると、横たわる友恵さんを一目見て小さく悲鳴を上げ、すぐそばに立っている友美さんを見てまた悲鳴のような声を出した。
「萩森さん、これはあなたの靴ですか?」
萩森はぶんぶん音を鳴らしながら、首を横に振る。
「では、あなたの靴を見せてください」
しょげかえる萩森の代わりに靴を差し出したのは、巡査部長だった。
その場にいた全員が、あっと声を上げる。
追い打ちをかけるように先輩が言う。
「萩森さん、先ほどお願いしたもの、見せていただけますか?」
刑事が突き飛ばすように萩森を放す。萩森はぶつくさ言いながらスマホを操作する。
「とっ、とと、ともりんが靴をプレゼントしてくれた時、と、時の写真……」
萩森のスマホには、プレゼントが入っているであろう袋を両手で持ち上げ、可愛い笑顔の横に添える友恵さんと、その隣でひきつった笑みを浮かべる萩森のツーショットが表示されていた。
小山警部補が小さな画面にかじりつくものだから、萩森は若干引いていた。
「これがどうした、別におかしなことなんてなにも――」
その通り、パッと見れば、地下アイドルとそのファン、お金を積めば撮らせてもらえるチェキ的な何かだ。ただそれだけの、なんともない写真だ。
だが僕は、そのありふれた日常の中にある、強烈な違和感に気づいた。
本来の僕なら、見逃していたであろう、小さなちいさな手がかり。
阿久馬先輩の話を聞いていたからこそ、その言葉は紡がれた。
「……ホクロだ」
写真の中の友恵さん――フリルのついたアイドル衣装――その首筋に、ちょうどドラキュラ伯爵なんかが噛みつきたくなる位置に、一つの黒い点があった。
よくできましたと言わんばかりに、阿久馬先輩が頷く。
「そう、この写真に写っているのは友恵さんではない。友美さん、あなたですね?」
小山警部補も、吉城さんも、そして姉妹の父親である真司さんまでもが、目を真ん丸に見開いた。彼らが凝視しているのは、ぶるぶると震えている友美さんだ。そして彼女の首筋、うっすらと流れる一筋の汗の先に、写真と同じ、黒いホクロがある。
「あなたはこのトリックを思いついたとき、何が必要か考えた。それは一つ、自分たち姉妹をストーカーしていた男を被疑者にまつり上げること。そのために、ストーカーが部屋に侵入した痕跡を残すこと。二つ、事件発生時のアリバイを作ること」
「あなた……お姉さんに変わって、何度かステージに立っていますね?萩森さんは、ともりんが冷たい時と優しい時、二つの顔があると言っていました。お姉さんの第一印象からして、その可能性もあると考えましたが、真実は違う。お姉さんが心変わりしていたのではなく、あなたが、お姉さんのふりをしてアイドル活動をしていたのだ。お姉さんに頼まれてやったのか、それとも黙ってやったのか……いずれにせよ、萩森さんに靴をプレゼントするタイミングはたくさんあったでしょう。そして、ストーカーするほど熱狂的なファンであれば、プレゼントした靴を履いてくる……いや、仮に、履かずにコレクション品にされても、あなたが『履いてほしい』と言えば、萩森さんは喜んで応じたはずだ」
「あとは、友恵さんを殺害した後、いつもと同じように友恵さんのふりをしてベランダに立ち、萩森さんをおびき寄せ、失敗させた。ボクとワダソンが萩森さんを追いかけている間に、ベランダの手すりに、プレゼントしたものと同じ靴を押し当て、足跡を残した。萩森さんが殺害を否認しても、物的証拠が残っている。警察の目も、ボクの目も、自然とそちらに向く」
「いや待て、いくらなんでも俺たちが気付くぞ」
我慢しきれないと言わんばかりに、小山警部補が声を荒げる。
「気付いてましたか?実際」
阿久馬先輩は何食わぬ顔で警察批判をする。
小山警部補はバツが悪そうに退散していく。
「おい、検視もう一回やるぞ。採尿と採血だ」
耳介の淵にわずかひっかかるくらいのめちゃくちゃ小さな声で、巡査部長に命じているのがかすかに聞こえた。
「もちろん、その可能性もあったでしょう。警察が検視の際に採尿や採血を行っていれば、インスリン注射を打った痕跡や睡眠導入剤の成分が検出される。そうなれば、萩森さんにこの犯行は不可能となる。そのことは友美さんも考えていた。これは二段構えのトリックです。それが、友美さんが二つ目に考えた〝アリバイ作り〟だ」
「ボクとワダソン、二人の証言と、真司さんの証言を合わせて、自分を無罪にする。つまり、事件発生の直前まではボクたちと一緒に食事をし、事件発生後は掃除をしていた真司さんの部屋から現れる。これで、事件が起きたまさにその時、あなたはその場にいなかったことになる。となれば、インスリン注射と睡眠導入剤の入手が可能な真司さんに疑惑の目が向く」
「あとは、頃合いを見て凶器のロープや使用済みの注射器を真司さんの部屋に忍ばせておけば、完璧になすりつけられます」
「父親の部屋を掃除してるなら、いつでも仕込めるってことか……」
無精ひげを撫でながら小山警部補。一から百まで先輩には言わせないぞと、警察官の意地のようなものを感じる。僕だけかもしれないが。
「そうです。だが、あなたはここで致命的なミスを犯している」
「それは、ボクのことを甘く見ていたということだ」
「ボクはあなたが二度目に二階に上がった時の時間をはっきりと覚えている。それを踏まえたうえで、真司さんにあの時聞いた」
僕は一階で行われた、真司さんへの事情聴取を思い返す。
あった。刑事と大入道の会話――昼食後、次に誰かと会ったのはいつか――ここに阿久馬先輩が首を突っ込んだ時だ。
『我々がコーヒーをいただいたのが十二時五十八分でした。そのあと友美さんは二階に上がっていきましたから、そのあたりでは?』
『ほうじゃったかいのう――』
「真司さん、私の言葉に引っかかることがあるのでは?」
アメジストの瞳を、今度は姉妹の父親に向けて、阿久馬先輩は聞く。その口調は強く、厳しく、質問と言うよりも尋問に近い雰囲気を感じさせる。
「お、おう……そうじゃな……」
当惑した様子で、真司さんは答える。
「真司さんはほとんどあの部屋にいらっしゃって、テレビを見ているとお伺いしました。昼食を召し上がっていた時は何を見ておられましたか?」
「連続テレビ小説よ、NHKの」
「友美さんは、連続テレビ小説が終わってからすぐに部屋に来ましたか?」
「……いや、十分以上はたっとったぞ」
阿久馬先輩の質問はそこで、唐突に終わった。
これでそろったのだ。
「連続テレビ小説は十二時四十五分に始まり、十三時ちょうどにニュースに変わる。おかしいですねぇ、十二時五十八分には二階に上がったはずなのに、真司さんの部屋にたどり着くのに、十分以上もかかったのですか?一体その間、何をしていたのでしょうね」
誰に言うわけでもなく、答えを求めるわけでもなく、先輩は言った。しかしそれは、間違いなくとどめにほかならなかった。
糸の切れた操り人形のように、友美さんがその場で崩れ落ちる。
「彼女の身体には残っているはずです。たすき掛けにしたロープの痕が」
神妙な面持ちをして、小山警部補が友美さんに近づいていく。
「女性警察官を呼ぶ。後でお身体、拝見しますよ」
「そんなことされたら、わかってしまうわ……ロープの痕が、残ってるんですもの」
友美さんは、肩にかけられた小山警部補の手を払いのけた。
「時間がかかったのは、姉を殺すので忙しかったからよ」
阿久馬先輩の方を見上げ、友美さんはわずかに首を振る。まるで、あきらめた心と、否定したい体が、喧嘩でもしているみたいに。
「すごいのねあなた、全部……全部お見通しなのね」
「すべてではない。ボクにわかるのは、現場の状況から導き出した真実だけだ。物的証拠は嘘をつかない。いつもありのままに僕を導いてくれる。だが――」
阿久馬先輩はアメジストの瞳を吉城さんに向ける。
「強いて言うなら、吉城さん――あなたは以前、友美さんと付き合っていましたね?」
吉城さんの顔に、ゲッ、の文字が浮かびあがる。
それを見て、友美さんは笑みをこぼした。僕には少し、自虐的にも見えた。
「なによ……わかってるじゃない」
「いくら双子の姉妹とはいえ、恋人の妹を呼び捨てにはしませんよ、普通。それに友美さん、あなたは吉城さんのことを、旧知の仲のようにお話になりました。吉城さんは一年前色々あったとおっしゃっていましたが、その時ですね、吉城さんとお付き合いするのが、友恵さんに変わったのは」
「そう……結局全部、姉の思い通りなのよ」
疲れきった、しかし、どこか安心したような表情で、友美さんはつぶやいた。
先輩に促されたわけでも、刑事に命ぜられたわけでもなく、自らジャージのジッパーを胸元まで下ろし、左肩のあたりをまくって見せた。そこには、ロープが食い込んだ痕のほかに――背中側だ。肩甲骨のあたり、おそらく、その下にもたくさん――誰かに殴られたような、痣があった。いくつもあった。真司さんの、汚い垢まみれの顔の奥で、寂しそうに眼が光ったのは、きっと見間違いではないはずだ。
「父の介護を私に押し付けて、家のこと、食事も掃除も、全部私。断るとそれはもう激しく怒ってね……何度もぶたれたわ……顔だけはぶたないの。他人にバレるから……ずるいでしょう?それでも、一生懸命勉強して、大学に入って、初めて彼氏ができて……あのころは私も、人生が楽しいと思ったわ……でも、それさえ許してくれないの」
「私の知らないところで吉城を誘惑して、気が付いたら、吉城の隣にいるのは、私じゃなくて姉だったわ。それで自分の時間が足りなくなったら、今度は代わりにステージに立てって脅されて……人前で踊りたくなんてなかったのに、無理やり歌詞も振り付けも覚えさせられて……気持ちの悪い男たちの相手をさせられた……私は姉の言いなり。昔からそう……お母さんがいなくなったあの日から、私は姉の奴隷だったのよ」
「お金もない、助けてくれる人もいない。あなたにわかる?十年も、姉にこき使われて、ボロボロになるまで働かされてきた私の気持ちが……ようやく……ようやく始まるのよ、私の人生――」
横たわる友恵さんを見つめる友美さんの瞳は、深い怒りと悲しみであふれていた。そこに一かけらの後悔さえないのが、彼女の人生の壮絶さを物語っていた。
「いいや」
だからこそ、阿久馬先輩は冷たく言い放ったのだと思う。
「人殺しの気持ちなんか、ちっともわからないよ」
ともすれば、冷酷とも捉えられかねない声色で、表情で。
「あなたの境遇は同情に値するし、お姉さんは、どこかで報いを受けるべきだったのかもしれない。だがそれはボクの範疇じゃない。ボクは裁判官じゃないし、検察官でも、警察官でもない。ましてや弁護士でも。ボクは探偵だ。ボクはボクの感情と関係なく、偽り、隠された真実を暴く。それが、ボクの使命だ」
「すごいわね……本当に高校生?」
枯れた百合のようなはかなさで、友美さんは微笑む。
「まだ選挙権もない十六歳さ」
阿久馬先輩は最後まで、表情を崩さなかった。
手錠をかけられている間も、小山警部補に連行される間も、友美さんはずっと、ずっと、寂しそうに笑っていた。
「そうだ」
パトカーに乗る直前、友美さんが思い出したように空を仰いだ。
「報酬、持って帰ってね」
「あぁ――」
ペコちゃんキャンディーの包みをはがしながら、先輩は律儀に答えていた。
「いただいておくよ」




