第九章 種明かしは突然に
爽やかな春の風。
我が校の目の前を走る細い車道、そこを挟んですぐ向こうには昔の城跡、つまりお堀があるのだが、日本で城、お堀と言えばほぼ例外なくソメイヨシノがたんまり植えられていて、当然僕らの街もおんなじで、僕が初めて探偵俱楽部にやってきたあのころは、それはもうきれいに咲き誇っていた。
入学してから半月もたたずに桜たちは、見事に儚げに花を散らしたわけだが、緑の葉を生い茂らせているわけだが、僕が経験した所業に比べれば、彼らの変貌は幼稚園児のおままごと、すなわち些事に過ぎない。
だって考えてみてほしい。
ただの密着取材のはずが、四月のお小遣いをすべて使いこまれ、ニワトリが鳴くより早くたたき起こされ、学校に遅れるのもお構いなしにゴミを漁らされ、おまけに目の前で人が死ぬときた。なんで何も無かったみたいにむぐむぐとみたらし団子を食べられるのですか――
「――先輩」
「ふぐ、らんらい?」
話しかけたタイミングが悪かった。反省しよう。この人は頭の回転が速すぎて、食べてる途中でも脳が反射的に答えてしまうのだ。
ちなみに、お茶として淹れられたのは阿久馬スペシャルコーヒーだ。僕は怖くて手を付けていない。
僕は先輩がきちんと飲み込むまでの間、使い捨てのコーヒーカップを撫でながら、窓から入ってくる春風に目を細めて過ごした。
久しぶりに何もない平和な昼下がりだ。たまには探偵活動を休止して、部室でのんびりしたっていいじゃないか。僕はここにいない記者俱楽部の先輩たちに言い訳した。
「本当は、どの段階でわかってたんですか?」
「ふぅむ、記者俱楽部の手先としては、当然の疑問というやつだね」
もっちゃもっちゃと次の団子をかみながら、たれのついた串を指揮棒のように振り上げて先輩は答えた。うんダメだ、タイミングの問題じゃなかった。シンプルに行儀が悪い。
「大小あれど、友恵さんを殺害する動機は全員持っていたからね、あの時はしびれたよ」
それ、みたらし団子がおいしいからですよね?その顔、あんまり嬉しそうにしない方がいいと思います。人死んでるんで。
「んまぁ、遺体の右わきに注射痕を見つけた時点で、インスリン注射に違いないとは思ったよ――脇のシワに沿ってうまく打っていたから、見つけるのには苦労したが――あの瞬間、ほぼ100%友美さんに決まったわけだ」
「え?なんでですか?父親の真司さんは?」
「真司さんには、インスリン注射に頼る利点がない」
先輩はきっぱりと言い切った。
「インスリン注射をする時点で、友恵さんに気付かれるリスクがあるわけだ。普通ならその時点で激しい抵抗にあう。それに、注射をしてから実際にインスリンが体に影響を及ぼすまで、数十分のタイムラグがある。女性よりも腕力で勝る男性が、リスクを負ってまで注射に頼る理由がない」
「あー……あー、なるほど……」
「コロンブスの卵と同じさ」
みたらし団子、最後の一本をねちゃあ、と持ち上げながら、阿久馬先輩は舌なめずりする。
「わかってしまえば、そんな簡単な……とね、誰しもそう言うのさ」
「問題なのは、一番最初にそれを思いつくかどうか、ってことですか」
おそらく団子を胃の中まで嚥下するためだろう、先輩は無言でうんうん頷いていた。
「その団子……どしたんすか」
僕は耐えきれずに聞いてしまった。
「馬屋原先輩にもらった。『お金がないから、これで許してくれないか』とのことだったが、許さない」
容赦ねえ。ていうか完全に忘れていたぞ。今回の騒動、もとはと言えば、馬屋原先輩が報酬逃れに友美さんを紹介したのが始まりだ。
「そういえば、結局、馬屋原先輩が二股を隠し通したトリックって、何だったんですか?」
「おや、君としたことが、まだ調べていなかったのかい」
「ストーカーのゴミを漁るのに忙しかったので……」
僕はひきつる唇と戦いながら、無理くり笑顔を作ってみせた。落ち着け、落ち着け、相手は一つ年上の先輩だ。敬意を持て、たとえそれが偽りでも。
「あっはっはっ、そういえばそうだったねぇ」
あっやっぱ捨てちゃおっかなー敬意、特にお金かかってないし。
「今回はワダソン君も頑張ってくれたし、特別に教えてあげよう」
ひとしきり笑った後、先輩はブレザーの内ポケットから一枚の写真を取り出した。
机の上を滑ってきたそれを、僕は指先で止める。
そこに写っているのは野球部のアイドルだ。ふわっとカールした茶髪をポニーテールにして、眉毛もまつ毛も一番かわいく見える長さで整えており、青く見える瞳はおそらくカラコンか何かだろう。小柄な体の割に胸が大きく、セーラー服の胸元がとても窮屈そうだ。なんと言うか、男受けしそうな見た目だ。隣で一緒にクレープを食べているのは……これは水原先輩だ。
「これって……馬屋原……先輩?」
「の、妹さ。双子のね」
「えぇ!?」
たしかに、言われてみるとうちはブレザーだ……しかしなんだ、双子はかわいく生まれる法則でもあるのかこの世界は。
「ま、まさか……」
「そう、友美さんと同じだよ」
「かっ、替え玉ぁ~?」
自分の口から魂が抜けていくのを見た。間違いない。あれは超常現象などではない。
「まぁ、馬屋原先輩的にはこの時一回限りのつもりだったはずだが、替え玉だった妹さんが、水原先輩に惚れ込んでしまったらしくてね。正体を明かす明かさないで姉妹間の戦争に発展しているよ」
なんだその因果応報。つーかそんなとこまで調べ上げてんのかよこの女。
「以上が事の真相さ。さて、今日は馬屋原先輩に、『今度こそ水原先輩にこの話を持っていきますよ』と脅す――じゃない――交渉しに行こう」
だんだん本性を抑えきれなくなってないですか。
どうせ聞いちゃくれないから、僕は心の中でひとり毒づいた。
「ところで先輩」
先を行く先輩の背中に僕は問う。
「ん、なんだい」
「なんでペコちゃんキャンディなんですか」
部室にいた時から――みたらし団子を食べるとき以外――先輩は常に不二家の飴を舐め続けている。それも、一本舐め終えるとすぐにポケットから次が出てきて、あれよあれよというまに口に放りこまれるのだ。事件現場でも何度も舐めていた。
「キミはデスノートを読んだことがあるかい」
藪からキャンディーの棒を突き出して先輩。
「けっこう古いマンガですね」
古いが、有名な少年マンガだ。映画化もされていて、父親がサブスクで見ていたのを、子供のころ隣に座って見ていた。松山ケンイチが糖尿病にならないか、そんなことばかり気になっていたことを思い出す。
「実写版でもいい。あれはいいぞ。知的好奇心を実によく満たしてくれる。ジェバンニは頑張りすぎだが――まぁ一応、ラストには納得した」
「ジェバンニが一晩で殺人ノートの複製を作った、ってやつですか」
「そうとも。だが、物理的に不可能なわけではない」
舐めかけの飴を指揮棒のように振るのはやめてください。毎度まいど、唾をよけるのが大変なんで。
「ボクは科学や化学の専門家ではないが?アインシュタインの提唱した特殊相対性理論というものを触りだけは知っている」
先輩は渡り廊下の途中で立ち止まり、グランドを見下ろす。
「つまり、だ」
トラックを走り回る陸上部員をぐるぐると視線で追った後、先輩はペコちゃんキャンディをまた口に含む。
「ジェバンニはノートを手に入れた後、極めて光速に近い乗り物に乗ったか、偽物のノートに書き写す際にあまりに急ぎすぎたため、無意識のうちに右手が光速に近づいていったのだよ。その結果、周囲の時間と進み方にズレが生じ、一晩で贋作の作成にこぎつけた……」
「それ、本気で言ってます?」
「本物の悪魔が出てくる世界観だ。リュークと特殊相対性理論、どちらが現実的だい?」
僕が答えられないでいると、先輩はふふん、と勝ち誇ったように鼻を鳴らし、歩き出した。
「世界一の名探偵Lが言っていただろう、『頭を使うには糖分が必要』だと」
「正確には違いますね、『甘いものを食べても頭を使えば太らないんですけどね』です。コミックス第五巻、弥海砂に対しての発言でした」
「君は本当に記憶力がいいねぇ。ま、とにかく、そういうことで、ボクは探偵活動中によく飴を舐める。これを舐めていないと推理力は40%減だ」
そのセリフもどこかで聞いたことあるぞ――コミックス第三巻――突っ込まない。突っ込まないぞ絶対に。
「そして不二家のポップキャンディは――」
先輩の話はまだ続くのか。油断していた。いや、待て、こんな人でも天才高校生と呼ばれる名探偵だ。デスノートの話はおちゃらけて見せただけで、なにか特別な理由があるのかもしれない。僕はホルスターに手を伸ばすガンマンのように、革張りの手帳に指を走らせる。期待に胸が躍る。友美さんの事件については、人が死んだ以上、詳細を明かすことができず、結果的に記者俱楽部への情報提供は無いに等しかった。いくら新人とは言え、そろそろ大きな特ダネが欲しいところ、それが噂の高校生探偵の内情につながるとなれば、これ以上ない棚から牡丹餅だ。さぁ、何を言うんだ?何を明かす?隠している?いったいどんな理由があって、この地域一帯の不二家ポップキャンディ年間消費量をかさ上げしているんだ?
「――薄いから、ポケットにたくさん詰め込めるのだよ」
とてつもないドヤ顔で、名探偵阿久馬志水は、ポップキャンディくらい薄っぺらいことを言ってのけた。
もしかしなくてもこの女、とんでもないアホなのかもしれない。
「志水」
「……はい」
ご遺体の横で、ボクは正座していた。正確に言うと、させられていた。
いや、それではまるで、師匠が外道のように聞こえてしまうかな。
もちろん、自分の意思で進んでやったさ。
正座を。
「なんで仕切り板、蹴ったの?」
「……すいません」
「現場壊しちゃダメって、言ったよね?」
「……盛り上がると思って、つい」
「盛り上げなくていいの」
「……はい」




