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探偵倶楽部の推参!  作者: 影宮 閃
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第六章 捜査の邪魔はしないように

 すっかり夜が更け、あたりは暗くなっていた。

 だがこのアパートだけは違う。

 白黒の警察車両(パトカー)、シルバーの覆面、そして大きな純白の救急車。彼らがぐるぐると回す赤い灯火で照らされている。

「では、搬送はせず、ということで」

「そうですね、すでに死亡状態です」

 救急隊を見送る制服の警察官を、阿久馬先輩が怠惰に飴を舐めながら見ている。

 こんな状況でペコちゃんキャンディを舐められる先輩を、尊敬したらいいのか罵倒したらいいのかわからない。

「なんだい」

 艶やかな声がする。たぶん、確実に。

「いえ」

 アメジストの瞳を見つめ返すことができたのは、声をかけられてから十秒もたってからだった。

「まだ信じられなくて」

 僕は手のひらで顔を洗う。

「友恵さんが亡くなったことがかい?」

「……はい」

 赤色灯を消して、救急車が静かに去っていく。

「あんなことがあったのに、動揺しないなんて、先輩は流石です」

 阿久馬先輩はカラン、と飴を転がす。

「まさか」

 唇の端から白い棒をのぞかせ、笑う。

「まさか」

 笑顔なのに一ミリも笑っていないことに、僕は遅れて気が付く。

「人が死ぬのを見るのは、気持ちのいいものではないよ。ましてやそれが、自分の腕の中でなんてね」

「……すいません」

「いや、謝る必要はない」

 阿久馬先輩はキッパリと言い切る。そして笑顔のまま、矢継ぎ早に続ける。

「ボクはもう一つ、死者には絶対顔向けできない感情に支配されているからね」

「キミと同じく心臓は早鐘を打っている」

「しかし、キミとはすこし、理由が違う」

 理由?僕は頭の上に疑問符を浮かべる。

 まるでそれが見えているかのように、先輩は僕の方を見て「ふふ、」と声を漏らす。ちゅるん、と飴を引き抜き、パトカーの赤色灯に合わせてくるりと回す。

「人が突然死ぬには、必ず理由がある。病死か事故死か、はたまた自殺か……そのどれでも、探偵は必要ない」

 僕は不安を飲み込んで、赤い光に照らされるペコちゃんキャンディを、その表面に張り付くぬらぬらとした唾液を見つめる。

「その……どれにも、当てはまらない時は……?」

 唾液の主は、今度こそ感情を込めて笑うのだった。

「探偵倶楽部が推参すべき時が来たのだよ、ワダソン君」




 さて、先輩は意気揚々とアパートの中に戻ったが、事件現場――今のところ、阿久馬先輩が言うにはそうだ――である二階には上がらず、お昼をいただいたちゃぶ台におとなしく戻った。

 てっきり現場に行くものだと思っていた僕は面食らってしまって、玄関を入ったところで固まった。

「どうしたんだい?座りたまえ。先は長いよ」

「いえ、現場に行かないんだなって、思って」

「アニメの見すぎだよワダソン君。ホームズの時代ならともかく、現代は指紋に足跡(そくせき)、DNA……証拠となるものを収集する技術が高度なレベルに達している。無暗に現場をうろついたら、警察の邪魔になるのは言わずもがな、被害者の無念を晴らす機会まで奪ってしまう。ボクに言わせれば、コナン君も金田一も邪魔者だね」

「いや邪魔者って――」

「キミも思ったことあるだろう?コナン君に、このクソガキ!って」

 思ったとしても言わない約束じゃないだろうかそれは。おっちゃんがぷりぷり怒るだけならまだしも、読者がクレーム入れたらお話が成立しなくなるぞ。

「救急隊が現着(げんちゃく)したのが13時42分、心肺蘇生を試みるも反応なし、その場で死亡確認がなされた。死因は頸部(けいぶ)を圧迫されたことによる窒息死とみられている」

 先輩が突然すらすらしゃべりだしたので、僕は手帳でお手玉をする羽目になった。

「もっとも、正式な死因となるかは警察の検視待ちだが、窒息死に間違いないと仮定したうえで話を進めよう。あっ、頸部(けいぶ)っていうのは首のことね」

 シャツの襟もとがすこしめくられる。僕のじゃない。襟を引っ張っている細い指も、あらわになる白い首筋も目に毒だが、先輩は真面目な話をしているのだ。えっと、床の模様でも見るか……。

 僕が嘘の咳をし終えるまで、先輩はジト目で待っていてくれていた。そして、パッと襟を離すと、赤ちゃんをよしよしするように、手のひらを床と同じ角度にした。

「索状痕が水平についていた」

「サクジョウコン……?」

「首を吊って自殺した場合、あるいは絞殺(こうさつ)――すなわち――首を絞めて殺した場合、頸部(けいぶ)を強く圧迫することにより、ロープや紐の痕が残る。それが索状痕(さくじょうこん)だ。首吊りの場合、体重が下に向かってかかるから斜めに、顎のラインに沿って痕がつくのがほとんどだ」

 僕は先輩と初めて会った日のことを思い出す。一瞬の出来事ではあったが、衝撃的な内容であったおかげで記憶は鮮明だ。写真を見返すのと同じくらい造作もないことだ。


 健康ぶら下がり器に結び付けたロープで首を吊っている先輩。僕はテーブルの淵に沿って歩き、近づく。見上げる。日本人とは思えないほどきれいに整った顔だ。鼻息一つたてずに眠っている様は、ディズニー映画のプリンセスと言われても不自然はない。黙っていれば、誰が今世紀最大の奇人だとわかろうか。違う、今は見とれてる場合じゃない。これは映画のトリックを再現したものだから、首に巻いたロープは絞まっていない。とはいえ、首吊りの形式はきちんと模倣されている。首元にフォーカスすると、たしかにロープは、先輩のきれいな顔に――また余計を――顎のラインに沿って上がっている。


 なるほど、つまり――

「それが水平ってことは――」

「彼女は自ら首を吊ったわけではない」

 合点がいった僕と、得意げな先輩の視線が交錯する。

 先輩は頷き、一つの事実を淡々と告げる。

「つまりこれは、殺人ということだ」

 殺人――その言葉が、僕の背中をさっと走った。木枯らしのように冷たく、突然走った。

「やっぱり……お姉ちゃんは殺されたってことよね!?」

 数時間前に聞いた悲鳴と同じ声が、階段のたもとからする。そこには、青い顔をしたままの友美さんがいる。

「あー、いや、まだ疑いというか」

「確信しています」

 言っちゃったこの人。探偵ジャンキー。被害者の実の妹になんとあけすけな。せっかく取り繕うとしたのに台無しだ。

「確信が持てないのは、〝誰が殺したのか〟というところです」

 先輩の言葉に、友美さんがビクッと肩を震わせる。

「完全なアリバイがあるのは私と、助手のワダソンだけです。それ以外の方々は――失礼ですが、友美さんも含めて――全員に可能性があると、私は思っています」

「待って、あのストーカーじゃないの?」

 友美さんの大きな瞳が、さらに一回り大きくなる。

「もちろん彼も、その可能性はあります。ですが決めつけるには話を聞かないと。全員から」

「おいおい待てよ、俺は違うぜ?」

 軽薄そうな声が友美さんの後ろから現れた。阿久馬先輩はすかさずアメジストの瞳でぎょろりと睨みつける。

「第一発見者は桜井吉城さん、あなたでしたね?」

 ヨシキはぞっとしたような表情で後ずさり、口をもごつかせる。

「いや、そうだけど……ていうかお前なんなんだよ」

「探偵俱楽部をやってる()なの。知り合いから紹介してもらって、ストーカーのことで相談に乗ってもらってて」

 憔悴しきった顔で、しかし友美さんは健気に先輩のことをかばってくれる。

「なんだよ、ガキじゃねーか」

「でも、天才中学生って、呼ばれてたそうよ」

「なんじゃそりゃ、アホらし」

 ヨシキは全く取り合う気がない。友美さんが困り果てた顔でこちらを見る。

 僕は阿久馬先輩が怒り出してしまうのではとハラハラしていたが、幸いなことに先輩はいたって冷静だった。冷静にヨシキを睨みつけていた。

「私のことはなんとでも、お好きにお呼びになって結構です。しかしなんですか?聞かれたらマズい話でもあるのですか?」

「いや、ねーけど……」

 ヨシキが再び口をもごもごさせると、先輩はようやく頬を緩めた。

「それはよかった。では私が同席しても問題ありませんね?警察の事情聴取に」

 滅茶苦茶口をはさみそうで心配です。はい。

「よしワダソン君、準備したまえ」

「えっ――」

「お姉様の検視にはまだしばらく時間がかかるだろう。その間に、別の刑事が事情聴取をするはずだから、そこに同席するのさ」

「その前に、ケンシってなんですか……」

「不審死したご遺体に対して、その死因や事件性の有無を調べるのが検視だ。今回のように明らかに他殺の証跡がある場合、通常時に比べてより念入りに調査されるから、時間がかかるのだよ」

 は~あ、そうなんですか。あいにくこっちは眉間にしわを寄せるだけで精いっぱいです。で?なんですか?ちょうど若い刑事さんが玄関ドアを開けて入ってきたんですけど、この方の事情聴取に同席しろってことですか?それはとんだ名案だなぁ。

「えーっと、それでは、まず第一発見者の桜井吉城さんから、よろしいですか」

「はい、大丈夫です」

 …………なんで先輩が答えるんですか。




 若い刑事は巡査部長という階級らしかった。刑事と言えばビシッとしたスーツに七三分けを想像していたが、この刑事はツーブロックで、シャツの上に作業着を羽織っていた。

 そして、仏頂面をしている。

「はあ」

 露骨にため息をつかれた。気持ちは大変わかりますごめんなさい。

「では、桜井吉城さん、まずは上原友恵さんとのご関係について教えてください」

 刑事が話しかけたのは、ちゃぶ台の反対側にいるヨシキだ。片膝ついて、なんとも態度の悪い。

 阿久馬先輩はというと、刑事とヨシキの両方が見えるよう、ちゃぶ台の側面に陣取っている。きれいに背筋を伸ばして正座し、座禅中の僧侶のようにすっと目を閉じているのだが、その状態なのに神や仏ほど存在感があるから不思議だ。ちなみに僕は、阿久馬先輩の斜め後ろで、陰に隠れるようにして身を縮めている。

「えっと、友恵とは付き合ってました。彼氏っすね」

 小指で耳をほじりながらしゃべるな。

「いつ頃から?」

「一年くらい前っすね、同じ大学で、あー、色々あって。それ言わなきゃダメっす?」

「いえ、まぁ、では、発見時のことを教えてください」

「昼前にちょっとケンカして」

「喧嘩?」

 刑事の声が鋭さを増す。余計なことを言ってしまったと、ヨシキの目が語っている。

「いや、大したことじゃないっすよ、全然――」

「どんな内容だったか、教えてください」

 刑事の圧が強まる。ヨシキは窓を割ってしまった小学生のように黙り込む。

 この次に何が起こるか、不幸にも僕は知っている気がする。

「お金の貸し借りでは?」

 そうですよね、先輩が口をはさんだ。

「お金?」

 刑事がすかさず反応した。

 ヨシキは特大の舌打ちをした。

「本当ですか?桜井さん」

「まー、ちょっとだけっすよ、ほんとにちょっとっす」

「具体的な金額を教えてください」

「いやいや、関係ないじゃろ!なんでそんな個人ジョーホー喋らんといけん――」

「人に言えないくらいの金額を借りている。と……支払いを免れるための犯行かな、ワダソン君、メモしておきたまえ」

 絶対に(・・・)ヨシキに(・・・・)聞こえる(・・・・)ように(・・・)、先輩が僕に耳打ちした。

 ヨシキがぐっ、と頬を筋張らせる。

 僕は苦笑いしながらペンを走らせる。

 先輩は両目をつむり、すました顔で背筋を伸ばす。

 刑事は、へ、とため息をつく。

「……三百」

「はい?」

 刑事が顔を上げる。

「三百万っす」

 普通に大金じゃないかこのクズ。大学生がしていい借金の額じゃない。

「友恵さんとは返済のことで口論に?以前からあるんですか?そういったことは」

「はい。でもいつも口だけっすよ、俺は。むしろよく殴られてて」

「友恵さんから?」

「っすよ、ほら、今日もここ……」

 ヨシキは赤く腫れあがった頬を指さす。殴られたと言っていたが、どちらかと言うと張り手気味だ。

「それがお昼前なんですよね、今日は」

「はい。で、そこの二人と友美が来たんで、いったん外に出ました」

 刑事が上半身をねじる。阿久馬先輩の頭が、年代物の赤べこのようにこっくりと傾く。

「外に出て、そのあと戻ってきたんですよね、どこにいたんですか?」

「コンビニ――と、パチンコっす。すこしだけやって、金無くなったんで、帰ってきたんすよ」

「それで、友恵さんが倒れているのを発見したんですか?」

「いや、倒れてるっていうか、寝てんのかと思ったんすよ、最初は」

「と言うと?」

「帰ってきたら、そこの、ほら、ぶつかりそうになって」

 ヨシキに指さされたので、僕は軽く会釈する。刑事もそれを見て小さくうなずいた。

「まぁでも玄関の鍵開いてて、入ったら誰もおらんかったんで、そのまま二階に上がったんすよ。で、友恵の部屋に上がったら、普通に、布団の中で目ぇ閉じてたんで」

「その時点では、部屋の中には友恵さんと桜井さんの二人だったんですね?」

「いやだから!俺は殺して――」

 ヨシキがちゃぶ台を殴りつけても、刑事は冷静だった。阿弥陀如来のように手を挙げて、ヤンキー上がりの大学生をそれ以上叫ばせなかった。

「二人だったのかどうかだけ教えてください」

「……二人でしたけど」

「はい。では、どの時点でおかしいと思いましたか?」

「話しかけても起きんし、肩をゆすったんすよ、それでも起きんのんで、おかしいと思って、布団めくったら、首に痕が」

 ヨシキは自分の首に手を当てる。

「それで、息しとらんし、あいつの名前を呼んだんすよ、けっこう大きめに。そしたら友美が入ってきて、『きゃー』って」

「その叫び声は我々も聞きました」

 先輩が答えたので、僕も錆びたロボットみたいにうなずく。

「なるほど、わかりました。あぁ、最後に」

 刑事はヨシキの方に向き直りながら、思い出したようにつぶやく。

「アパートに帰ってきたのは何時ころのことですか?」

「コンビニからまっすぐ帰ってきたんで……あっ、レシートあるっすよ」

 ヨシキはズボンのポケットを――前と後ろと何か所も――まさぐった。

 ちゃぶ台の上に置かれたくしゃくしゃのレシートには、13:02の表記。

「コンビニからここまで、歩いて十分くらいっすかね」

「私から、いいですか」

 阿久馬先輩が、ヨシキというよりは、刑事に対して手を挙げている。背筋をピンと張ったまま、右手が天井に突き刺さるのではと心配になるくらいまっすぐに。

 刑事もヨシキもいい顔はしなかったが、不承不承といった様子でうなずいた。

「友恵さんとお付き合いしているのはわかりましたが、一年前にあった色々というのはなんでしょう」

「いや、だから色々あったんだって」

「ふぅむ、なるほど」

 はぐらかすようなヨシキの返答だったが、先輩はなぜか合点がいったようだった。自分のあご先を撫でて、アメジストの瞳で、じぃ、とヨシキを見つめていた。

「なっ、なんだよ」

「いえ、大丈夫です。ありがとうございました」

 なんだったのだろう。




 次に刑事が事情聴取を行ったのは、友恵さん、友美さん姉妹の父親だった。最初、僕は大入道の部屋で行うものだと思っていたので身構えていたのだが、刑事はドアを開けるなりその選択肢を排除してくれたので助かった。

 散らかっているなんて言葉では表現しきれない。何年前から敷きっぱなしなのかわからないせんべい布団と、画面のひび割れた――そのうえ、茶色の液体が飛び散ったような――テレビ、その他大小色とりどりのごみ袋の数々、あの中に足を踏み入れていたと思うとゾッとする。

「友恵さんのお父様ですね、上原真司(しんじ)さん、お歳は四十で間違いありませんか?」

 大入道はノミやシラミを弾き飛ばしながら無言でうなずく。

「この度はお悔やみ――」

「そんなんええけん、(はよ)う終わらせてくれえ」

 無理やり寝床から引っ張り出され、その巨体で壁をこすりながら一階まで歩かされ、大入道は大変に不機嫌だった。

 刑事は一瞬言葉に詰まったが、ちゃぶ台の上に置いた書類に何かを書き込み、話を続けた。

「……では、友恵さんが発見された前後の時間帯に何をしていたか教えてください」

「そりゃあ聞かにゃあいけんのんか」

「そうですね、あの時間帯、アパートにいた方全員に話を聞かなくてはなりません」

 大入道がふん、と不満そうに鼻を鳴らす。同時に、左の穴から特大の鼻くそが飛び出す。

 先輩はヨシキの時(ついさっき)と同じ位置で座禅僧侶を決め込んでいるのに、ひょいと身をかがめて回避していた。きっと、ニュータイプの家系か親戚にスパイダーマンがいる。

「昼飯を食っとった」

「お昼ご飯を、何時ごろですか」

「注射を打ったのが十二時前じゃったけん、飯を食うたのは十二時十五分くらいじゃ」

「注射……?」

 その単語に、刑事は当然引っかかる。大入道はより一層面倒そうな顔になって、バリバリと腹をかくと、そのまま不潔なTシャツをまくり上げた。

「わしゃ糖尿じゃけえ、食う前に注射がいるんじゃ」

「インスリンですか」

「ほうよ」

 先輩が右目だけでジロリと見ている。つられて僕も見てみると、大入道の腹は不自然に盛り上がっていた。いやもちろん――大入道と言うだけあって――上原姉妹の父は対一般人比でかなりの脂肪をため込んではいるのだが、下腹部、特におへそから下あたりがボコッ、ボコッと出ている。言うなれば、小ぶりなお尻をお腹にくっつけたみたいだ。


『インスリンボールだね。インスリン注射を繰り返し行うことで、皮下脂肪が増大したり固くなるんだよ』

 後日、先輩がそう教えてくれた。

 ただ、制服をたくし上げてボールペンをおなかに突き立てるのはやめてください。目のやり場に困るんで。


「ちなみに、いつ頃からですか?その、インスリン注射を始めてから」

 大入道のおなかと書類を交互に見ながら、刑事が問う。

「嫁と別れたくらいじゃけえ……もう十年くらい前じゃ」

 ぶっきらぼうに答えながら、大入道はこれまたぞんざいにシャツを戻す。

「処方されているのはインスリン注射だけで?」

「それ、必要なんかいな」

「ご家族の関係や健康状態もお聞きする必要がありますので」

「……眠剤(みんざい)(もろ)うとる。仕事しとらんけん、寝れんのよ」

「飲んでおられるお薬はなんと言いますか?」

「覚えとらん、部屋に処方箋あるけん、勝手に見いや」

「……はい。わかりました。それで大丈夫です」

 投げやりな回答だったが、刑事はさらっと流した。これが大人か。僕だったらキレるかやる気をなくしている。

「話を戻しますが、お昼ご飯を食べている間、お父様はしばらくお独りで?」

「ほうよ」

「その間、ずっとお部屋の中に?」

「ほうよ、悪いんか」

「いえ、そういうわけでは……次に誰かと会ったのは、いつ頃になりますか」

「友美が食器を取りに来た頃じゃけん……一時過ぎくらいか、いや、もうちょい後じゃったか……」

 大入道が首をひねったわずか0.2秒後、我らが探偵倶楽部部長が動いた。

「我々がコーヒーをいただいたのが十二時五十八分でした。そのあと友美さんは二階に上がっていきましたから、そのあたりでは?」

 この人、イベントごとにタイムスタンプでも押してんのか、PC(パソコン)、いや、ロボット、むしろアンドロイドか?

「ほうじゃったかいのう……まぁ、あれの男が騒ぎだして、友美が走って行ったんよ、そしたらぎゃあぎゃあ騒ぎ始めて……」

 これ以上苦痛なことはないと言わんばかりに、大入道は顔をゆがめる。

「あー……失礼ですが、娘さんがお亡くなりに……」

「ほうよ、じゃけえ喜んどるんじゃ」

 あっけらかんと言ってのける大入道に、刑事もさすがにドン引きしていた。

 阿久馬先輩はアメジストの瞳をきらりと光らせている。おそらく、両目でしかと大入道を見たのはこの時が初めてではないだろうか。

「殺したいと思うとった相手が勝手に死んだんじゃ、儲けもんじゃろうが」

 ぐっふっふっ、と鼻の奥を鳴らして大入道は笑う。その声をかき消すように――実際、かき消したかったのかもしれない――刑事が慌てたように口を開く。

「あっ……真司さん、あなた――」

「どう思おうがわしの勝手じゃろうが?それとも警察は、わしが腹の中でどう思うかまであれこれ言うんか」

 そう言って大入道はすごむ。まるで絵巻物に書(本物の)かれた妖怪(大入道)みたいに。

 刑事も僕も、言葉どころか血の気まで失せてしまったとういうのに。

 阿久馬先輩は彫刻のように動かず、動じず、じっと大入道の観察を続けていた。




「よろしくお願いします」

 最初の二人とは打って変わり、柔らかい物腰で刑事は言った。まるで素手で豆腐を運ぶような丁寧さだ。

「あっ、はい」

 ちょこんと正座すると、友美さんは眉にかかった髪をさらりとかきわけた。泣きはらした目は真っ赤に充血していたし、表情も疲れ切ったものではあったが、美しい所作に僕はひととき見とれた。

「上原友美さん、お歳は二十一歳、お姉様とは双子の妹という関係で、間違いありませんね?」

「はい」

「この度はお悔やみ申し上げます。残念ながら友恵さんは何者かに――」

 先の二人と同じような説明を刑事が始めたので、僕は先輩にささやきかけた。さすがに三度目は聞かなくても怒られないと思ったのだ。

「ふぅ、次は友美さんですか」

「そうだね」

 予想通り先輩は、かすかに笑みを浮かべ、横目でうなずいてくれた。

「今のところ、男二人はしっかりしたアリバイはありませんね、そして二人とも、二階で友恵さんと二人きりになるチャンスはあった……」

「おや、それは友美さんだってそうだよ」

 微笑み顔のまま、先輩は冷たく言い放つ。友美さんに聞こえてやしないか、僕は不安になる。

「そんな、だって、ほとんど僕たちと一緒だったじゃないですか」

「その通り、ほとんど(・・・・)だよ」

 ほとんど、という言葉をことさら強調して先輩は答えた。

 僕はとたんに先輩がとても意地の悪い人に思えて、口をつぐんだ。

 先輩はからかうような表情でこちらを見ていた。僕は目を合わせるのも嫌になって、刑事の話に再びフォーカスした。

「――友美さんも、おつらいところ申し訳ありませんが、ご協力をお願いいたします」

「……はい」

 ずず、と鼻をすする音がリビングに響く。

「友美さんが、ここにいる阿久馬さんたちと一緒にいたことは――」

 こちらに向けられた刑事の顔は、般若のようにしかめっ面だった。

「――すでに伺っています」

 友美さんに向き直った時、刑事の顔は営業マンかと見間違うくらい爽やかなものに戻っていた。ま、そうだよな。

「それ以外の時間帯で、特に二階にいた時間を中心に教えてください。まず、お独りで二階に上がったのは、お父様に昼食を運んだ時ですね?」

「はい。十二時過ぎだったと思います」

 刑事がさりげなく阿久馬先輩に目配せを送っている。タイムスタンパー阿久馬志水は、無言でうなずきを返している。なんで先輩が偉そうにしているのかは不明だ。

「阿久馬さんの話では、その時、お姉様と口論になったとか」

「……はい。父に昼食を渡して、そのあと、部屋から出てきた姉と鉢合わせになって」

 こめかみのあたりを抑えながら、友美さんはどうにか答える。

 生前、お姉さんと交わした最後の会話だ。憔悴しきった表情を見なくてもわかる。思い返すのはつらいはずだ。野郎ども(男二人)が自分勝手な分、友美さんの反応が新鮮に感じられるが、肉親が死んだらこうなるのが普通ではないだろうか。

「何か話を?」

「父のことで……父は糖尿病を患ってるんですけど」

「えぇ、聞きました」

「…………姉は何年か前から、その、父に対して、よくないことを思っている節があって……」

「というと?」

 メモする手を止め、刑事が目つきを険しくする。

 友美さんは苦しそうに息をのみ、キツネに睨まれたウサギのように短い呼吸を繰り返した。そして、胸の奥につかえていたトゲを引き抜くように、ゆっくりと言葉を絞り出した。

「……何度か話を持ち掛けられたことがあるんです。『殺そう』って」

 その瞬間、刑事と阿久馬先輩の両方に緊張が走ったのを、僕は感じた。

「それは――」

「もちろん否定しました!母と離婚してからはあんな感じですけど、私たちの父親ですから……!」

 友美さんは懇願するように叫んだ。後にも先にも、彼女が声を張り上げたのはこれが唯一だった。

「でも、私が拒否してから、姉はどんどん機嫌が悪くなっていって……父と直接怒鳴りあってるのを何度も聞きました」

「それは日常的に?」

「――はい。下の階に聞こえるくらい、大声で……『死ね』とか『殺してやる』とか、それで隣の部屋から苦情がくることもありました。私はもう気が気ではなくて……」

 刑事がまた、ちらりと阿久馬先輩を見る。先輩は短く頷き返す。

 これに関しては僕も激しく同意する。友美さんのお姉さんを直接見たのは今日が初めてだが、あの口と態度の悪さから容易に想像がつく。実の妹に対してあぁだったのだから、親に対してもしかりだろう。

「そうですか、そのあたりのことは、お隣に聞いても大丈夫ですか?一応、参考として――」

「いえ、今は空室なんです。うちがあんまりうるさかったものですから、何か月か前に出ていかれて……」

 刑事の表情(かお)が一瞬、「くそ」と毒づく。

「――なるほど。とにかく、一度目、上に上がった時は、お父様のことで、お姉様と口論になったと。内容は、お父様のことについて、と」

「はい」

「お姉様はその後……?」

「私は一階に下りたので、わかりません。でも昼寝をすると言っていたので、寝てたんじゃないかと思います」

「わかりました。二度目に上がった時は?お姉様の部屋には寄りましたか?」

 友美さんは首を横に振る。

「いいえ、父の部屋にまっすぐ行って、食器を回収したんです。ついでに部屋の掃除をしようと思って……放っておくとすぐにゴミ屋敷みたいになるものですから。それと、注射器も回収しなくちゃいけませんでしたし」

「それは、お父様のインスリン注射の?」

「はい、そうです。普通のゴミでは捨てれないので」

「そうですよね」

 同意する刑事、無反応の阿久馬先輩――たぶんこの人は知ってるな――僕は一人置いてけぼりをくらっている。これも後で馬先輩が教えてくれたが、注射器は医療廃棄物になるらしく、一般ゴミとして捨ててはいけないらしい。この地域では、原則として医療機関に返却するルールだとか。

「それで、注射器を回収してる時、吉城がお姉ちゃんを呼んでる声が聞こえて、見に行ったら……」

 そこから先の言葉を、友美さんは紡げなかった。

 彼女の大きな瞳にみるみるうちに涙がたまっていくのを、僕は胸が締め付けられる思いで見ていた。

 さすがの刑事も、すぐに声はかけられなかったようだ。さめざめと泣く友美さんの、寂しいさびしい呼吸の合間に、そっと質問を織り交ぜた。

「吉城さんはどうでしたか?お姉さんに対して、何かしていたとか……」

「わかりません。私、気が……パニックに……なっちゃ……なっ、なって……でも、肩のあたりを揺さぶって、ずっと名前を呼んでいたと思います」

「お体には触れていた?」

「そうだと思います……はい、そうです」

 ハンカチを鼻に押し当て、くぐもった声で友美さんはうなずく。

「その時、お父様はどうでしたか?こう、悲しんでいたとか、吉城さんみたいに、お姉さんの名前を呼んでいたとか……」

 ハンカチで鼻を抑えたまま、ちゃぶ台をじっと見つめ、友美さんは首をわずかばかり傾ける。

「どうだったんだろう……すみません、覚えてないです。あの時はホントにいっぱいいっぱいで、父のことまで気が回らなくて……」

「いえ、わかります。大変でしたね」

「でも」

 ふいに、友美さんの言葉に力が宿る。

 不自然なくらい強い力が。

「でもたぶん、父は、姉が死んでも悲しまないと思います」




 人生で初めてのことだが、僕はパトカーに乗った。いわゆるセダンタイプの大きなパトカーではなく、小さなワゴンタイプではあるが。阿久馬先輩曰く、交番のミニパトはこのタイプが多いらしい。しかし間違えている。乗車定員を間違えている。後部座席の真ん中にストーカーの萩森雄三を座らせ、右側に若い巡査部長(ツーブロックの刑事)が、左側に先輩が、それぞれ萩森を挟み込むように腰かけているのだが、僕は先輩の足元のわずかなスペースにつま先を立てて、天井に頭を押し付け、いわゆるつっかえ棒の要領で何とか立っている。運転席は言わずもがな、助手席にも無線機があるから一般人は乗ってはいけないらしく、無理やりこの形になった助けてほしい。

 ていうか僕、外で待ってちゃダメなの?

「今日の流れを教えろ。何時にここに来て、何時に部屋に入った」

 今までの事情聴取と違い、刑事の口調が荒い。

 萩森は露骨に嫌そうな顔をする。

「なっ、なっ、なんで、そんなこと聞かれなきゃいけないんですか」

「しらばっくれな、人が死んどるんじゃ」

 マぁジで丁寧語をかなぐり捨てている刑事。普通に怖いです。

「死んだ!?本当にともりん、死んだんですか……?」

「お前、もうちょいマシな演技せえや」

 刑事は指先で自分の眉間をつまんだ。

「ふぅむ」

 阿久馬先輩の吐息が耳にかかる。僕は背中に走るむずがゆさと、腰の痛みと戦う。すこしでも気を抜くと先輩の上に倒れこんでしまいそうなのだ。そればっかりは流石にまずいと、僕の中の全理性が訴えている。

「違う!本当に違う!ともりんが死んだなんて信じられなくて!嘘なんでしょ!?」

 萩森は泣き始めた。ように見える。表情の割に、こけた頬にも、地雷原のようなニキビの上にも涙は見えない。

「友恵さんは亡くなった。お前は重要参考人じゃ」

 刑事は無慈悲に言う。萩森は悲鳴のような声を上げ、体を前後に激しくゆすり始めた。ミニパトのサスペンションがぎっしぎし軋み、車体が唸りあげる。あいや違う。これは萩森が唸っているのだ。ゔーっ、ゔーっ、と、怒りなのか悲しみなのかよくわからない声を上げている。偏見はよくないが、正直気持ち悪い。

「現場の鑑識も今しとる。証拠も出るで。俺に言い残したことないか?伝えとかんといけんこと、ないか?ほんまにええんか?」

「そっ、そもそも、ともりんを殺す理由なんてない!」

「お前、接近禁止命令出した時、泣きながら悔しがっとったろうが。俺はあの時の刑事じゃ」

 刑事が吐き捨てるように言う。萩森はびくっと肩を震わせる。

「それは友恵さんに対するストーカー行為に、ですよね?」

 阿久馬先輩が対岸の刑事に問いかける。刑事は斜めにうなずく。

「まだ覚えとるぞ。大声で泣きわめいて『そんなはずない』『結婚するはずだったのに』『何かの間違いだ』って……接近禁止、()けとらんじゃろうが。お前、殺人以前に、ストーカー規制法違反の疑いかかっとるんで、正直に話せ」

「嘘なんかつっ、つつつ、ついてないです……!だって、ともりんとは、結婚する予定で……」

 絵に描いたようなストーカーに、僕は辟易してしまう。しかし、阿久馬先輩に素早く目配せを送られる。それが何の合図かわからないが、おそらく距離が近いとの苦情と請け負った。頑張ってミニパトの天井にへばりつく。

「お前の妄想はもうええけぇ」

「妄想!じゃ!ないぃ!」

 駄々をこねる子供のように、萩森が癇癪を起こす。

「ともりんは昔から!うっ、うっうっうっ、鬱なんだ!付き合ってたんだから、僕にはわかる!優しい時と、機嫌が悪い時で、色々あって……でも優しいともりんが本当のともりんだから、僕は我慢できた……!」

「お前のう……」

 あきれ返る刑事に対し、ここで阿久馬先輩が動く。

「よろしいですか?」

 先輩が時折見せる、確信をついたような眼差しだ。あの瞳に、アメジストの瞳に見つめられると、誰しも言うことを聞かざるを得ない。少なくとも僕はそうだ。そして刑事も、そうだったようだ。不承不承といった感じではあったが、頷いた。

「萩森さん、あなたは先ほども、ともりん――友恵さんが、仕事で疲れた時は機嫌が悪いとおっしゃっていましたね。友恵さんとのお付き合いは長いので?」

 刑事の口が「お前の」という口をかたどったが、先輩は小さく首を振った。

「けっ、結婚を前提に付き合ってた!昨日で三ヶ月だ!」

 刑事が「それは接近禁止になってからじゃろ」と呟いたのが聞こえたが、阿久馬先輩は無視した。

「それは優しい時の友恵さんが、そう言った?」

「そうだ!」

 怒りとも喜びともつかない叫び声が、僕の鼓膜を突き破った。

「では逆にお聞きしますが――優しくない時の友恵さんはどうなるんですか?あなたに対して」

 先ほどの興奮から一転、萩森はぶすっとして黙り込む。再び口を開くまで、先輩は根気強く待ち続ける。

「アイドル活動で疲れてるんだともりんは」

 ふてくされたようにつぶやくストーカーに、先輩は重ねて聞く。

「具体的には?あなたに暴力を振るったりは?」

 萩森は激しく、何度もうなずく。

「あとは、約束したことを――忘れたり、怒りっぽくなったり、でも、それも疲れてたからで」

「疲れてない時は、いつもの優しい友恵さんに戻った?」

 萩森はやっぱり激しくうなずいた。

「優しい時はいっぱい言ってくれるんだ。ぼっ、僕のこと、すすす、好きだって……!」

「ふぅむ、では、今日は?」

「今日ぅ?」

 答えたのは刑事の方だった。

 阿久馬先輩は無視した。

「あなたは先ほど、うちのワダソンに言いましたね。友恵さんがベランダに出てきて『上がってきて』『プレゼントがある』と」

「そ、そうだ……」

「それはどんな感じでした?優しい時の友恵さんでしたか?」

 萩森は汗の粒をまき散らしながらうなずいた。

「そうですか。しかし普通に考えて、ベランダに直接上がってこいというのはおかしな話です。たとえそれが一階だろうと、二階だろうと関係なく。常識外れだ」

「ととと、ともりんが言ったんだ……!『家族には内緒ね』って!」

「それは、一度ベランダに上がったことがあったから?不思議に思わなかった?」

「ベラッ――ベランダ?ベランダになんか、今日が初めてだ!」

 また萩森の嘘が始まった。僕はそう思ったし、刑事の顔にもそう書いてあった。

「ともりんはアイドルだから!バレッ……こ、恋人っ……とっ、がいるなんて!ババ、バレ、バレたらだめだから!だから!」

「だから、家族にもバレないよう、ベランダに招いた?」

 激しくどもり始めた萩森の言葉を、先輩が引き継いだ。

「お前のぅ……」

 刑事が舌打ちする。萩森がおびえたように小さな悲鳴をあげる。

「殺された本人が呼んだじゃあ、プレゼントがあるじゃあ……くだらんこと言っとらんで!ホンマのことしゃべれぇや!」

「ちっ!ちがっ――」

「ベランダには上がったんじゃろうが!あぁ?」

「あああ、上がってないです!あがっ……あがっ、る……上がる前に……」

 刑事の追求が激しくなり、パトカーの中は萩森の繰り出すひぃひぃという声でいっぱいになってしまった。

 ここにおいて先輩は――あきらめたのか、必要な情報が取れて満足したのか不明だが――あっさりと萩森に見切りをつけ、パトカーを後にするのだった。




 事情聴取は終わった。殺された友恵さんに金を借りていた恋人、実の娘に殺意を抱くほど忌み嫌っていた父親、唯一の良心か双子の妹、そして嘘をつくストーカー。長く息の詰まるようなやり取りから解放され、僕はようやく、冷たい夜の空気を肺いっぱい吸うことができた。

 四月とはいえ、日が落ちればまだ肌寒い。狭い車内で火照った身体も、三十分もすれば冷えてしまうだろう。できれば中に入りたいところだが、先輩は玄関ドアの横にもたれかかったまま、一向に中に戻る気配がない。仕方ないから僕は聞くことにした。ペコちゃんキャンディーをしゃぶりながら一人悦に入る探偵に。

「どうですか」

「どう、とは?」

 わかっていたくせに、待ってましたと言わんばかりにアメジストの瞳が輝く。

 僕は少々うんざりだ。

「犯人の目星、つきそうですか?」

「ふぅむ、そうだね……正直、僕はもうあの人(・・・)が犯人じゃないかと思っている。確証をもって言えないのは、証拠がないからだ」

 阿久馬先輩は両手で顔を包み込むと、しまりのない顔で笑みを浮かべる。

「一番もどかしい時期だよ、答えにたどり着く要素が羽を生やして飛び回っている。ボクはそれを捕まえようと、必死になって飛びついたり、網を振り回したりするんだ。楽しいね。ピースの足りないパズルを解いているような気分だよ」

 ピースが足りないなら一生完成しないんじゃないだろうか。例えが下手すぎて何を言っているのかさっぱり理解できない。それとも、探偵的には鉄板ネタなのだろうか。

「記者としては失格なんでしょうけど」

 保険という名の前置きを、僕は丁寧に形を整えて置いておく。

「友美さんがかわいそうで……お父さんのこともほら、お世話して、大事にされてますし、お姉さんのことも、あんなに落ち込んで」

「ふふ、たしかに記者失格だね。探偵の助手としても失格だ」

 ペコちゃんキャンディーの棒をタバコのように咥え、先輩は白い歯を見せる。

「検視が終わったら現場を見に行こう。なにかわかるかもしれない」

「それは、足りないピースを探しにですか?」

「そうだね、最後の一つだ。ピリオドを打つための」

 そう言うと、先輩はちゅぽんと音を立て、ペコちゃんキャンディーを口から引き抜いた。

 指揮棒のように振られ、僕の眼前に突きつけられたキャンディーは、それはもうべっとりと唾液まみれで、ぬらぬらと怪しく光っていた。

「期待外れだったかい?名探偵と呼ばれるボクの取材が、思ったよりも味気なくて」

「いえ、そんなことは」

 僕はこの時生唾を飲み込んだのだが、それはなにも、先輩の唾液に欲情したからではない。まるで真剣を向けられたような緊張感が、背筋に走っていたのだ。

 大事なことを言うから、黙って聞いていなさい。

 そう言われた気がしたが、これは僕の確信である。

 ただの飴で人を黙らせられるのは、阿久馬志水を差し置いてほかにいない。断じていない。何度でも、何年後でも証言する。

「安心したまえ、こんなところであきらめるボクじゃない」

 ふ、と笑うと、先輩は再び飴を口に含み、後ろ手を組んでゆらり、ゆらりと歩き出した。

「かつて怪盗キッドは探偵を批評家と言った。それは間違いないだろう。ボクもそう思うよ。そして怪盗は鮮やかな芸術家だと」

 月夜に紫のきらめきを残して、先輩の長い髪が弧を描く。

「ではどうかな、キミ、人殺しは何だと思う」

 僕は答えられない。先輩は僕の答えを待ってもいない。

「ただの人殺しは愚かな人間さ。感情に支配されて、理性を保てないしかし、用意周到な人殺しは違う。彼らは巧みな小説家なのさ。人を殺す、そして捕まらない。そのクライマックスを迎えるために、ありとあらゆる伏線を張って、自らにつながる証拠はおろか、疑いだって抱かせない。まさにベストセラー作家さ」

「……ベストセラーにされたら、ダメなんじゃないですか」

 ねばつく口でようやくそれだけ答えると、先輩は満足げな笑みを返してくれるのだった。

「そうとも、そのために批評家はいる」

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