第三章 地下アイドル?の悩み
「へぇーっ!いきなり特ダネじゃん!すごいすごい!」
岸谷先輩がぽんぽんと頭を撫でてくれる。僕はちょっと小躍りしたくなる。免疫がないので。
「でも、これではまだ、馬屋原が二股をしていたという証拠がない」
対照的に固い表情をしているのは佐治編集長だ。手にしているのは、僕がまとめたレポートだ。
「それが、そこだけは阿久馬先輩が教えてくれなくて……」
僕は来客用ソファの上で貧乏ゆすりする。
『キミたち記者が一番得意とするところだ。よく調べたまえ、答えは案外、すぐ近くに転がっているよ』
舐めかけのペコちゃんキャンディを振り回し、阿久馬先輩はそれだけ言った。でもこれはおそらく――
「自分がその支払いとやらを受け取るまで、我々にすっぱ抜かれたくないのだろう」
編集長の言う通り、それが狙いだろう。馬屋原先輩の二股が明るみになれば、阿久馬先輩は報酬ゲットのための人質を失う。
「ふぅん、次はどうするって?しーちゃん」
岸谷先輩はどうやら、阿久馬先輩のことをあだ名で呼ぶらしかった。あのきつい性格からして、とても友達がいるようには見えなかったが、意外と仲がいいのかもしれない。番記者変わってくんないかな。
とはいえ、仲良さそうに見えて実は裏で腹の探り合いをしているのが女だとも聞いたことがある。今はまだあまり触れないでおこう。
「えぇと――」
僕は手帳をめくりながら、阿久馬VS馬屋原の続きを思い出す。
砂だらけになった給水タンクを水道水にさらしながら、交渉は続いていた。
『代わりに別の依頼主を紹介するっていうのはどう?』
馬屋原先輩は天啓を得たとばかりにしたり顔をする。かわいい。
『ふむ、それもいいが、それではこちらは新たな仕事を請け負うことになる。そこで支払われる報酬は新たな依頼に対するものであって、本件とは無関係だ』
『そんなっ』
『二股っ』
阿久馬先輩はカニの真似をする子供のように、両手のピースサインをわきわきと動かした。
『ぐっ……』
あぁ、馬屋原先輩が、美少女がしてはいけない表情をしている。
『だが、支払いを猶予してやってもいい。ボクたちは新たな依頼主から仕事をもらい、対価として報酬を受け取る。その間に、先輩は本件の報酬を用意する』
『ねぇそもそも、私が払う必要が――』
『ない。すべての責任は大谷健一にある』
『じゃあやっぱり――』
『借金をするには保証人が必要だ。借り逃げされないように。それとも水原裕介にこの話を持って行った方がいいかな?』
阿久馬先輩はこれ見よがしに体を回転させ、二、三歩踏み出した。馬屋原先輩は代走の切り札ばりのスタートダッシュで阿久馬先輩にかじりつき、ちぎれんばかりに首を振り始めた。ちょっぴりかわいい――じゃない――かわいそうだと思ったのは内緒だ。
『ボクに対する依頼も同じ。あなたはちょうどいい保証人というわけだ』
それ、本人に直接言うことですか――
「つまり――馬屋原先輩から次の依頼主を紹介してもらう……ってこと?」
「はい――」
「よかったじゃん!取材続行だ!」
岸谷先輩はまた頭をぽんぽんしてくれる。先輩に褒められると、胃のあたりがふわふわと浮き上がるような感覚を覚える。癖になりそう。
佐治編集長は僕のレポートを卓上に戻すと、碇ゲンドウのようにメガネを光らせた。
「で?それはいつになるんだい?」
日付は進んで土曜日、高校生活初の土曜だ。僕はベッドに二パターンの服を広げ、悩んでいた。
「うーん……」
片方は中学まで着ていた英字の入ったシャツ、もう片方は母さんが買ってきた白いTシャツと半そでカーディガンのセットだ。
「なーに朝っぱらから悩んでるんだ」
「ぅわっ!」
突然聞こえてきた声に僕は飛び上がった。それも、フィギュアスケートみたいに体を回転させながら。
「かっ!かかか、勝手に入ってくんなよ!」
「何回呼んでも返事がねえからだ」
へらへら笑っているのは父さんだ。この人、自分も男のくせに、思春期男子の部屋に勝手に入ることが万死に値すると知らないのか。
「なんだ、もう女作ったのか」
「デートじゃなくて取材だよ」
「女なんだな」
にやにやすんな、うざい。
「そんな感じの人じゃないよ、なんか怖いし」
「あー、こりゃやめとけ、もう高校生だろ」
「あぁっ!」
お気に入りの英字Tシャツがゴミ箱に放り込まれる。
「女子とのお出かけでテンション上がるのもわかるが、飲まれんなよ」
父さんは突然まじめな顔をする。
「よくある話だ。番記者が対象者と親密になりすぎて、本来の業務を忘れたり、逆方向に情報を流しだしたり――いいか、飲むのはこっちだぞ、忘れんな」
拝啓、お父様。僕はしばらく飲まれそうにありません。
北里柴三郎が消えた財布を見つめ、僕は立ち尽くしていた。
「部費があるだろう?記者俱楽部の」
阿久馬先輩、僕は探偵俱楽部の部員です。お忘れですか。
財布をひっくり返してみる。
数枚の小銭がちゃりん、と悲しく鳴くだけで、お札は一枚も落ちてこない。入場料とワンドリンク代、高かったな……。
ここは薄暗いライブハウスだ。
薄暗いと言っても、身体が揺れるほどの爆音に合わせて様々な色のライトが点滅を繰り返しており、決してどんよりしているわけではない。むしろ視覚的にも聴覚的にも五月蝿い。
なぜ高校進学後初めての休日にライブハウスくんだりに来ているのか、甚だ謎である。
僕の隣には得意げな顔で腕を組む阿久馬先輩がいる。先輩は今日も変わらず美人だが、休日にも関わらず制服姿だ。普段と違うことと言えば、黒いレザー生地のポシェットを肩にかけているくらいで、おしゃれとかそういったこととは無縁だ。
「先輩」
「なんだいワダソン君」
紫の髪を右耳にかけながら先輩。
「なんでライブハウスなんですか」
「ん?なんだい?ワダソン君」
ダメだ音楽うるさすぎて聞こえてねえ。
「なんで!ライブ!ハウス!なんですか!」
父さんの言ったことは正しい。いや、そりゃ阿久馬先輩はただの取材対象であって、憧れの人でもなければ友達ですらない。しかし女子と二人きりでお出かけだ。それは世の中の全高校生男子があこがれるイベントと言っても過言ではないわけで――絶対に墓場まで持っていくが――まったくドキドキしなかったと言えば嘘になる。それが開幕から北里柴三郎の略奪という憂き目にあえば、テンションが下がるのも必然というもの。理由くらい教えてほしかった。
結局、パチンコ店をも凌駕する騒音の中では会話が成り立たず、先輩はフラッとどこかへ消えてしまった。帰ってきたとき、その手にはコーラの入ったプラカップが握られていた。僕の北里柴三郎が転生した姿だ。
「あっちでもらえるよ、ワダソン君」
「……はい」
ダメだ、微塵もドキドキしねえ。僕はあきらめてオレンジジュースを召還した。
面の良さだけで人は恋をしないと、齢15にして悟った瞬間だった。
ライブハウスはこぢんまりとした規模のものだが、客の入りは上々だ。男性ばかりだが、2,30人はいて、光る棒を手に持って謎の舞を舞っている。
ステージ上で彼らの視線を一手に引き受けているのは、僕らとそう変わらない年に見える女性だ。遠くからでもわかるくらいまつ毛が長く、瞳が零れ落ちんばかりに大きい。フリルがいっぱいついた衣装に身を包み、ポップな曲に合わせて身をくねらせている。歌声はあざといアニメ声優みたいだが、男性客にはそれが効くのだろう、彼女のポニーテールが尾を引く度、いちいち歓声が上がる。つまるところ彼女は地下アイドルというやつなのだろう。
「なかなかかわいい人ですね」
当然化粧もしているだろうし、薄暗いライブハウスの雰囲気込みでだろうが、そう見えた。
「おや、ワダソン君はあぁいう女性が好みなのかい?」
そう言って茶化しながら、阿久馬先輩はスマホをパシャパシャ鳴らす。
「いっ、いや!違いますよ!あくまでも世間一般的な――そう、一般的な感想を述べたまでで――」
「何を本気にしているんだい?冗談だ」
ズゾゾッ、とコーラを飲み干すと、阿久馬先輩はスマホをしまい、ライブハウスを後にした。
この先輩嫌いだ。
「先輩!」
昼下がりの飲み屋街を、先輩はパルコの方に向かって歩く。
「先輩!」
僕は遅れてライブハウスを飛び出し、先輩に追いすがる。
「もう出るんですか……?なんでわざわざライブハウスに――」
北里先生を四人も犠牲にして――
「今回の依頼の関係者がいたんだ。現地で確認するのは基本中の基本だろう?」
先輩は顔の右半分だけで振り向き、答える。
「関係者って……あのライブハウスにですか?」
「すぐにわかるよ」
まさかコーラ飲みたかっただけじゃないだろうな。
整った先輩の横顔に、僕は疑いの目を向けた。
依頼主との待ち合わせ場所はパルコのすぐ隣にあるスタバだった。先に席を確保しろと言われたので、僕は二階のテーブル席で先輩と依頼主を待った。
しかし参った。スタバに入るのは人生初なのだ。周りはおしゃれな服に身を包んだ客ばかりだし、彼ら彼女らが手にしている飲み物のも無駄におしゃれだ。窓際の女性がちびちびやっているやつなんて、カフェオレ的な飲み物の上にもこもこのクリームが乗っている。クリームソーダしか知らない僕には斬新な飲み物のように思える。
「やぁ、お待たせ、ワダソン君。コーヒーでよかったかな?」
「あ、ども」
僕はソファ席の左側にずれ、阿久馬先輩のために右側を開けた。先輩は代わりにホットコーヒーをくれた。
机の反対側には、紙製のカップを手に持った、20代前半と思しき女性が座る。なんというか、清楚感あふれる人だ。白いニット姿で、長い髪を後ろに束ねた――
「あっ!」
僕は思わず叫ぶ。
「さっ――さっきの――」
そう、目の前に座った女性は、ライブハウスで歌い踊っていた地下アイドルその人だった。明るいスタバではびっくりするくらい印象が違うが、長いまつ毛や大きな瞳は間違いない。
「あっ、どうも、姉のライブ、見に来てくださったんですね」
くすくすと笑いだす女性に、僕は首をかしげる。
「……姉?」
「そうだワダソン君、この方は上原友美さん、馬屋原先輩のご近所さん――いわゆる幼馴染で――先ほどライブハウスで公演していた友恵さんの双子の妹さんだ。すいません、ご馳走になって」
阿久馬先輩はトレイから自分の飲み物をとる。それは窓際の女性が飲んでいるのと同じカフェオレ版クリームソーダだ。この女、僕にはただのコーヒーを買っておいて、自分は高いの頼んだな。
「いえ、いいんです。これくらいさせてください」
友美さんははにかむように笑った。はつらつとしていたお姉さんと違い、しっとりとした美人だ。きっといい人だ。僕にはわかる。
「舞衣ちゃんとは仲がいいんですか?」
「えぇ、それはもう」
おいこら、嘘つくな、そこ。
「よかった。昔はよく一緒に遊んでたんですけど、私たちが大学に入ってからは疎遠になってて――舞衣ちゃん、元気にしてます?」
「えぇ、それはもう」
おいこ――いや、馬屋原先輩はすこし元気がすぎるかもしれない。
「そう、それはよかった。それにしても、かわいらしい探偵さんですね、お二人はお付き合いされてるんですか?」
「へあっ!違いま――」
「違います」
阿久馬先輩は実に冷静にクリームをすすった。
「探偵は私で、彼は助手です」
僕は自分を落ち着かせるためにマグカップを口に運んだ。先輩のせいでコーヒーに対するボーダーラインが地獄の底まで下がっていたから、全米が泣き出すほどおいしいと思った。
「それで、依頼と言うのは?」
「あー……舞衣ちゃんからは何も……?」
「ある程度はうかがっています。しかし、伝聞情報には必ずノイズが入ります。不可抗力でそうなる場合もありますが、やはり、正しい情報を入手するには本人から聞かないと」
「そうね、そうよね」
友美さんは胸に手を当て、すーはーと深呼吸した。
それはまるで、愛の告白を決意した乙女のようで、僕は思わず見とれてしまうのだった。
「一言で言うなら、ストーカーなの」
いきなりヘビーなやつが来た。
「姉がああいうことをしてるでしょう、それで、熱狂的なファンがついてしまって――」
「熱狂相まって、ストーカーになってしまったと」
阿久番先輩が察しよく引き継ぐ。
「はい」
「でもなんで、お姉さんじゃなくて、友美さんが依頼主に?」
僕は当然の疑問を口にする。
「問題はそこなんです。姉の方は警察にも相談していて、接近禁止命令?そういうのを出してもらったみたいなんです。ただ――」
友美さんは困ったように眉をひそめる。
「私たち、顔が似てるでしょう?だから――」
「お姉さんと間違えて、あなたをストーキングしている?」
友美さんはこっくりとうなずく。
たしかに、ライブハウスにいたお姉さんと友美さんは瓜二つだ。化粧の感じや照明の違いこそあれど、何も言わずに目の前で並ばれたら、どっちがどっちかわからない自信がある。
「警察にも行ったんですけど、対処は難しいって」
「法の抜け穴、いや、ざるの網目から零れ落ちたかな」
先輩は顎に手をやって、クリームのなくなったカップを見つめる。そうやって真面目ぶってると探偵みたいに見えるから不思議です。
「どういうことです?」
僕はささやき声で聞く。
「ストーカー規制法で行為者たりえるのは――特定の者に対する恋愛感情その他の好意の感情又はそれが満たされなかったことに対する怨恨の感情を充足する目的で――」
「すいません日本語でお願いします」
あともうすこしゆっくり喋ってください。
「かいつまんで言えば、〝好き〟という感情、もしくはその〝好き〟が満たされなかった時の〝怒り〟や〝恨み〟、〝憎しみ〟などの感情があって、初めてストーカー規制法の対象となるわけだ。しかし本件の場合、ストーカー行為はあくまでもお姉さんを目的として行われており、友美さんに対して行われた行為はただの勘違い。そこには見当違いの想いがあるだけで、友美さんには何の感情も抱いていないのだろう。これはストーカー本人に聞いても、おそらくそう認めるのではないかな?」
「な、なるほど……?」
「もちろん、その行為がお姉さんの気を引くために行われたものであれば、事情は異なってくるだろうが……それを立証するのは困難を極めるだろうね」
「私も色々試してみたんですよ、姉と違う髪形にしてみたり、服の趣味も変えてみたり……でもつきまといは終わらなくて……警察は、一度相手と話をして、自分とお姉さんは違うと明確にしないと動けないって言うんですよ!」
「それは……無茶を言いますね」
苦笑いするしかない僕の隣で、阿久馬先輩は考え込むように口元を手で覆った。そして声を落とすと、とんでもないことを言い出した。
「ふむ、好都合じゃあないか」
友美さんに聞こえてないよなマジで。
「先輩、それはあまりにも無慈悲が過ぎます」
「何を言ってるんだいワダソン君」
僕が悪いのかよ。
「法の不備によって警察が介入できない事態だ。法の外側にいるボクたちにしか解決できない」
ついにご自分がアウトローだとお認めになりましたか。じゃあ僕はこれで。
「こらワダソン、話は終わってないよ。いいでしょう友美さん。あなたを悩ませているストーカー問題、この阿久馬志水が解決してみせます」
高らかに宣言すると、阿久馬先輩は足を組んでふんぞり返り、アメジストの瞳で友美さんを射貫くように見つめた。
友美さんは前のめりになり、まるで神様でも見つけたみたいに顔を輝かせた。
「じゃあ……受けてくれるのね?」
「ちょっとお高いですが」
「いいえ、身の安全を買うんだもの、すこしの出費くらい安いものだわ」
これ言った方がいいのかな、友美さん、今あなた騙されてますよ。
翌日曜日、僕と阿久馬先輩は住宅街の一角で塀の陰に隠れていた。
僕は母さんの買ってきた別のTシャツに身を包んでいたが、先輩はやっぱり制服のままだった。黒いポシェットもそのままで、昨日と違うことといえば、縁の四角いサングラスをかけているくらいだ。
「あの……」
「静かに――」
「いや、先ぱ――」
「しっ!」
阿久馬先輩は人差し指を立て、塀の陰から通りをちらりと見る。
「よし、いいぞ、話したまえ」
サングラスをおでこに乗せながら、先輩が許しをくれる。
「えっと、僕らはいったいなにを……」
「なにって、ストーカーをやめさせるに決まっているじゃあないか」
そんなことはわかってんだよ、どうやってそれを実現するか聞いてんだよ。
「警察が動けないなら、ボクらにできる手段をとるしかあるまい」
「それって合法ですよね?」
「……脅す」
よぉし、もう違法だ。
「といっても、それは最終手段だが」
阿久馬先輩はお茶目に笑う。言っておきますが、かわいいから許されるのは小学生までです。
「まずは件のストーカーを特定しなければなるまい?」
「それはまぁ……」
先輩が陰から身を乗り出し、歩き出す。手招きされるのを待って、僕はついていく。
視線の先にいるのは、バッグを肩にかけた友美さんだ。今日はクリーム色のニットを着ている。左右に揺れる彼女のポニーテールを、僕らは一定の距離を開けて追い続ける。
「まずは彼女の行動を観察し、周囲に怪しい人物がいないか探す」
サングラスをかけなおしながら先輩は早足で歩く。
「しかし、そんなすぐにわかりますかね……」
電柱の陰で腰をかがめながら、僕は独りこぼす。
「候補はこの中にいる。見つけたら教えてくれたまえ」
先輩はスマホを放り投げる。お手玉してそれを受け取ると、薄暗いライブハウスの写真が表示されている。左右にスワイプしてみると、様々な角度から観客を撮影しているのがわかる。なるほど、昨日ライブハウスに入ったのは、コーラが飲みたかったからではなかったのか。
「頭の中に叩き込みたまえ」
「えっと、あぁ、はい……」
生返事をしながら、先輩のスマホを凝視する。阿久馬先輩は見事なもので、昨日集まっていた観客全員の顔がわかるように様々な角度から撮っていた。その数、実に28人。薄暗い中、顔の特徴がよく写っている。ていうかこれ、最新機種のスマホじゃないか。まさか――
「最近のスマホは便利だ。カメラの知識や専用機材がなくてもプロ並みに撮れる」
僕の視線を感じ取り、聞くより先に解説してくださったのは素直に感謝です。でも僕が聞きたいのはそこじゃありません。
「AIによる補正が大きいから、証拠写真となり得るかは議論の余地があるがね。さ、覚えたかい?」
「はい、一応……」
「わからなくなったらまた言いたまえ。見せてあげるから」
「いえ、覚えました。今日一日はとりあえず大丈夫です」
普通のことを言ったつもりだったが、阿久馬先輩を驚かせてしまったらしい。サングラスの隙間からアメジストの瞳をのぞかせ、こちらをまじまじと見ていた。
「すごいね、瞬間記憶の類かい?」
「そんなたいそうなものじゃないですが……数日くらいなら、ちょっと見るだけで覚えていられます。ずっと覚えておくなら、もっとじっくり見ないとですけど」
「宝の持ち腐れだね」
「へっ?」
「思うに君は、記憶力は優れているのに、観察眼が磨かれていない。対象者のことをくまなく見る癖をつけていれば、友美さんと友恵さんの違いにも気付けたはずだ」
「そんなまさか、瓜二つの双子ですよ」
「ホクロだ」
言って先輩は、自分で自分の首筋を指さした。ドラキュラ伯爵なんかが噛みつきたくなる位置だ。先輩の肌、透き通るようにきれいな――余計なことが一瞬頭をよぎり、僕は思わず唾を飲み込んでしまう。
「キミぃ、思春期なのはわかるが、反応が正直すぎやしないかい」
「えっ、いや!そうじゃなくとぅえ!えっと、ホクロ?そんなとこにありましたっきゅえ?」
「あったよ、友美さんの方にね」
やれやれとかぶりを振りながら、阿久馬先輩は友美さんの監視に戻った。
「むっ!隠れろ!」
先輩の手に頭を押される。僕は素早く腰を落とし、電柱の裏にかじりつく。
恐るおそる顔を出すと、100メートルほど先を行く友美さんを、後ろからじっと見つめる背中がある。ちょうど、僕らと友美さんの間くらいの位置だ。
黒いしなしなのポロシャツを着ていて、髪はぼさぼさ、耳の上にはメガネのつるが見える。猫背なので確証はないが、おそらく身長は阿久馬先輩よりも高い。全体的にヒョロヒョロな印象を受けるのは、半そでからのぞく二の腕が僕と同じくらい細いせいだ。肩からかけた大きなショルダーバッグには友恵さんの缶バッジがいくつもついていて、熱心なファンであることが一目瞭然だ。なにか念仏のようなものが聞こえているが、どうも彼がつぶやいているらしい。
「いきなりビンゴかな?ワダソン君」
阿久馬先輩が右手を何度か振り下ろす。
僕は指示通り右手の通りに駆け込み、一本、いや二本先の路地に先回りする。
ちょうど、友美さんが目の前を通過するところだ。彼女の額に一筋の汗を認める。落ち着いてほしくて、僕は彼女に向って大きくうなずく。
友美さんは小さくうなずいて、そのままの歩幅で歩き続ける。僕は素早く息を整え、元の通りに戻る。ごく自然な感じで、インスタとかⅩのタイムラインを確認する高校生を演じながら、友美さんと逆方向、つまり阿久馬先輩の待つ方へ向かって歩き出す。
すれ違いざま、前髪の隙間から男の顔を盗み見る。男は友美さんを見つめ続けたまま、こちらのことは気にも留めていない。僕はもうすこし顔を上げ、より詳細に観察する。こけた頬、剃り残しのある顎髭、脂ぎった鉤鼻、地雷原のようなニキビ痕――阿久馬先輩が見せてくれた写真をすばやく洗う。いた、13番目に写っていた男だ。振っていたライトは赤、シスの暗黒卿と同じ色だ。
男と完全にすれ違ったことを確認すると、僕は先輩に向かって親指を上げた。
ややこしいことこの上ないが、それからの僕らは、友美さんをストーキングする男をストーキングした。
男は常に友美さんと一定の距離を保っていたが、あからさまに身を隠したりするわけではなく、堂々と後をつけていた。信号の変わり目なんかには普通に走っていたし、バレてもお構いなしといった様子だ。実際、友美さんは男の存在に気付いているはずだが、それについては事前に阿久馬先輩と打ち合わせをしている。今日に限っては好きにつきまとわせるのだ。
お昼過ぎ、僕らが電柱に隠れて軽食をとっていたころ、友美さんが自宅についた。入っていったのは、お世辞にもきれいとは言えないアパートだった。築うん十年だろう、二階建てだが、一階にだけ薄そうな木製のドアがあり、二階は窓だけだ。一階と二階でひと世帯分なのだろう。後で調べたら、こういう構造はメゾネットというらしい。また一つ世の中のことを知った。
「さぁて、どうするかな」
むぐむぐとあんパンを咀嚼しながら、阿久馬先輩がサングラスを額にかける。しかしなぜにあんパンと牛乳なのだろう。令和も平成も飛び越えて昭和だ。しかも探偵じゃなくて刑事だ。
男はアパートの駐車場前で右往左往し始めた。念仏は相変わらず唱えているようだが……あっ、アパートに近づいていくな……ひょっとしなくてもよくないぞ……。
「ワダソン君、時間」
スマートフォンのカメラを望遠モードに切り替えながら、阿久馬先輩。
僕はショルダーバッグから手帳を取り出し、腕時計を確認する。13時14分――敷地内に侵入――書いていて気付いたが、電柱にもたれかかるようにスマホを構えているせいで、先輩はお尻を大きく突き出す体制になっていた。いや、違う、ズボンだと余計に体のラインが強調されるというか、そういうことが言いたいのではなく――
「ワダソン君?」
「はいっ!かきっ――書きました!」
「いや、郵便受けに悪さをし始めたから、その時間を――」
「13時15分ですね!」
先輩はジト目でこちらを振り返り、小さくなったあんパンを口に放り込んだ。僕は努めて知らぬふりをした。
郵便受けへのちょっかいを終えた男は、アパートの裏手、駐車場に移動した。そして友美さんの部屋がある方を一心不乱に見つめていた。口元が高速で動いていたのが見えたので、おそらく念仏はそのままだ。
すごいのは阿久馬先輩の集中力だ。色のついた石像と言われても違和感がないくらい、じっと男を見つめ続けている。右耳にかけていた髪が風に吹かれ、はらりと落ちたが、身じろぎ一つしない。ていうか、生きてる……よな?立ったまま気絶してるとかじゃないよね?あぁ、大丈夫だ。呼吸に合わせて、肩がわずかに上下している。
「探偵はスナイパーと一緒だよ」
僕の心を見透かすように、阿久馬先輩は言う。視線は男に向けたまま。
「スナイパー?ですか」
「スナイパーは、狙撃するターゲットが現れるまで、10時間でも20時間でも待ち続ける。ボクたち探偵は、ターゲットが動くまで、10時間でも20時間でも待ち続ける。大切なのは、忍耐力と、ここぞという時の行動力だよ」
サングラスをつまみ、得意げな顔をする先輩は、確かに必殺のスナイパーのように頼もしく見えた。
「さぁて、ぐふふふふ……どこに行くのかな……」
前言撤回、ただの探偵ジャンキーだこの人。
にやけた口元からはだらしなくよだれが垂れ、両手はわきわきといやらしい動きをしている。心なしか両目がガンダムみたいに光っている気がするが、ひょっとして、サングラスをしていたのはこの光を隠すためだったのだろうか。
太陽が傾き、空は茜色に染まっていた。男は友美さんのアパート観察をやめ、住宅街をつかつか歩いていた。それを追う阿久馬先輩が、変態ストーカーに豹変したのだ。
「ぬふふふふ、普段使ってるのはそのスーパーか」
「好みの惣菜はから揚げか……それとコーラを買うのか、悪い子だ……悪い子……」
「ポイントカードは作らないタイプ……いまどき現金決済か……モテないぞ?」
いや、まあ、わかんないけど。一応メモはとった。あと、大人になったらクレカを作ろうと心に決めた。
「先輩、あの」
「なんだいワダソン君」
血走った目で男を凝視しながら、阿久馬先輩。
「よだれが――」
「おぉっとじゅるり……いけないことをしていると思うと、興奮してこないかい?」
探偵俱楽部は解体した方がいい。できる限り早く。
「おっ」
阿久馬先輩の足が止まる。
ちょうど男が、こぎれいなアパートに入っていくところだった。
「ワダソン君――」
「はい」
さすがにそろそろわかっていたので、時間をメモした。17時18分――おや?先輩がアパートに近づいていくぞ……
「ちょっと……!」
僕は慌てて小声で叫ぶ。
「ん?」
心外そうな顔で先輩は振り向く。
「どうしたんだい、ワダソン君。そんなに慌てて」
あっダメだ。純粋無垢な眼をしてるぞこの女。
「いや、なにしてるんですか……!」
「調査活動の一環だが」
「バレたらどうするんすか……!」
「なにを言っているんだい。バレないようにやるんだよ」
そもそも探偵は前提条件が違った。
先輩はアパートの入り口付近に並んだ郵便BOXに近づくと、肩から掛けていた黒いポシェットに手を突っ込んだ。
しばらくごそごそしていたかと思うと、白い手袋のようなものを取り出し、現場に入る鑑識や手術前の医師のようにかっこよく装着した。そして男が入った部屋と同じ番号、103の郵便受けを自分家のようにためらいなく開けた。
「ふぅむ、帰宅時、毎回確認するわけではない……性格はズボラ、面倒くさがり……おまけにNHKの料金未払いだ」
まるでそうすることが当然だとでも言わんばかりに、先輩は中身をあさっている。今手にしているのはNHKからの支払い催促の封筒だ。
「ワダソン君、この地域のゴミの収集日を調べてもらえるかな」
そんなことより、いつ男にバレてしまうのか気が気ではない。僕は103号室の扉をちらちら確認しながら、汗びっしょりの手でスマホをいじる。
「燃えるゴミが火、金、プラゴミが水曜です――資源ゴミは二週に一度、木曜に――」
「それなら火曜だ。朝五時に集合」
とんでもなく悪い予感がする。主語や目的語が省かれると、そこに隠された真意を疑ってしまう。今回は〝誰が〟〝どこに〟、そして〝何のために〟が不明だ。5W1Hが大切だって、英語の授業で習わなかったのかなこの女。
「……なにをする気ですか」
一応、確認するために僕は聞いた。答えが最悪なことは、なんとなく察してはいた。
「確認するに決まってるじゃあないか」
「……なにを――」
「ん、お宝」
語尾にハートマークがつきそうな笑顔で、阿久馬先輩は言うのだった。




