第二章 野球部の与太話
日本は証拠裁判主義である。
証言のみでは有罪にならず、また、証拠の入手経緯が違法であれば、証拠能力そのものが否定される。
必要なのは物的証拠。
言い逃れのできない証拠それのみである。
では、探偵の存在する意味とは――
「暇つぶし」
「ひぃ!まぁ!つぅぶしぃ!」
僕は飲みかけのコーヒーを盛大に吹き出した。
「もうちょっとまともな理由、ありません?」
彼女は足を組みなおし、ふんぞりかえった。
少し含みを持たせた後、はつらつと言ってのけた。
「ないね!」
なんと気持ちの良い開き直りだろうか。だるい。
「キミはボクに何を求めているんだい?」
しかも逆に質問される始末だ。
「――――記事になる話題ぃ……ですかね?」
「建前上は、キミはうちの部員なのだがね」
「ですが目指しているのは記者です」
「ふうむ、うまいかわし方だな、ワダソン君」
「なんですかそれ」
いつのまにかあだ名?みたいなものができている。
「キミの苗字は和田だ」
「……はい」
知ってます。
「そして探偵の助手と言えばワトソンだ」
なんと浅はかな。
「それはもう百年以上こすり続けられてますよ」
「定番とも言う」
それをやりだすとPixivでの検索が大変になるのでやめた方がいいです。なに言ってんだ僕。
「なんにせよ、ただ単に和田君と呼ぶのは無味乾燥というものだ」
日常会話で四字熟語使う人って本当にいたんだ。小説の中だけだと思ってた。
入部を認められた翌日、僕は阿久馬先輩の基本情報を知るべく取材していた。
しかし家庭環境をいきなり聞く間柄でもないし、部活動以外の学校生活については教えてくれなかった。友達いなさそうだし、言いたくないのかもしれない。
「絵になる話を仕入れたいのなら、ボクのところに来るのではなく、もう少し話題性のある部活の取材をお勧めするよ」
「……うちは進学校なので」
部活動より勉強に力を入れているせいで、全国大会はおろか県大会ですらまともに勝ち進めないんです。という言葉は飲み込んでおいた。
「今、この学校の部活動すべてを敵に回したね」
察しのいい先輩は当然答えにたどり着く。僕は返答しない。無言が答えになっているかもしれないが。
「ボクに言えることは一つ、野球部に注目だ」
「野球部ですか?」
僕は手帳をめくる。野球部に関する情報は特にない。
「あぁ、あそこの女子マネが、エースと4番と二股してる」
僕は盛大にコーヒーを噴き出した。さっきからまともに飲めていない。飲みたいわけでは、けっしてないが。
「なんなんですかそれ!」
「彼女は三年のアイドルさ、芸事に通ずる人の情事について、不必要なところまでほじくりかえすのが記者という生き物だろう?」
「そんなこと校内新聞に書けませんよ。ていうか、言っていいんですかそんなこと、探偵なら守秘義務があるんじゃ――」
「簡単なことだよ。エースは彼女の浮気を疑っていた。そして探偵俱楽部部長であるボクに調査依頼を出した。ボクはきちんと仕事をこなしてやったのに、依頼主のエースは『彼女はそんなことしない!』とかほざいて、報酬を支払わなかった。だから今、情報を買ってくれそうなキミに話をしている」
ハイエナみたいな女だ。机にばらまいたコーヒーのしぶきをハンカチで片付けながら僕は思う。
「ていうか先輩、高校生ですよね、正式な探偵業じゃないのに、報酬なんかもらっていいんですか」
「法令には違反しないようにしているよ、ほら」
言って先輩は、背後の段ボール箱を指さした。
「えっまさか」
まさか、部室を埋め尽くす大量の段ボールは――
「依頼人が感謝の気持ちを示すため、よく心ばかりの品を贈ってくれる。ことにしている」
さらっととんでもないこと言ったなこの女。
「じゃあこれ、全部探偵活動の謝礼なんですか……」
「そうだな、そっちの山はレトルトカレー、そっちはパックご飯、あいや焼き鳥の缶詰だったかな……フルーツ缶かも……隅の箱はスポドリだ。飲む前に冷蔵庫で冷やすといい。あれはおさがりなんだが実によく冷える。そういえばコーヒーメーカー、新しいのもらわないといけないなぁ、キミも不味いって言うし――」
なんなのここ、適正に集められたものはないの。証拠裁判主義の話がリニア新幹線も顔負けの速度で説得力を失っていく中、僕はインディ・ジョーンズが探し当てた宝物庫みたいな部室を見回す。ここにあるのは黄金ではなく段ボールだが。
「まっ、そういうことで」
うわぁい、どういうことだろう。
「野球部に突撃しよう」
そら、わかっただろう?そう言いたげな顔で、阿久馬先輩は笑った。
「ばっちこーい!」
球児たちのかけ声がグランドに響く。
ちょうど守備練習をしているところだ。ノックを打っているのは顧問の先生だろう。
先輩はボールを追いかける彼らに目もくれず、水場で給水タンクを洗っている女子生徒に近づく。
可愛い女だ。遠目からでもわかる。ふわっとカールした茶髪をポニーテールにして、つるんとしたおでこが見えるよう、前髪をヘアピンでとめている。眉毛もまつ毛も一番かわいく見える長さで整えており、青く見える瞳はおそらくカラコンか何かだろう。小柄な体で一生懸命タンクを洗っているが、割に胸が大きく、ダイナミックに揺れている。なんと言うか、男受けしそうな見た目だ。
「こんにちは、馬屋原先輩」
「……はい?ってあっ!」
警察に見つかった犯人みたいに、馬屋原先輩は飛び上がった。
依頼主はエースであって、この人ではないはずだが、姿を見ただけで飛び上がるほど阿久馬先輩は有名らしい。
「単刀直入に言ますよ。先輩の彼氏が――球を打つ方ではなく、投げる方の彼ね――私への報酬を払ってくれないんです」
よかった、阿久馬先輩、ちゃんと目上の人には丁寧にしゃべれるんだな。会話の内容には目をつむって、僕は胸をなでおろす。
「なっ……えっ……なんの話?」
馬屋原先輩はぶりっ子気味にしどろもどろする。
「先輩が二股かけてる話です」
ゴロン、ゴロンと転がる給水タンク。
石像みたいに固まる馬屋原先輩。
おいバタコ、新しい顔よこせ、と言わんばかりに片手をあげる阿久馬先輩。
「ワダソン君?」
「いやわかんないっすけど……」
「おいおい、言われなくても請求書くらい持ってこないと。壁際のレターケースに入れてあるだろう?」
初耳です。あと壁際には段ボールしかありませんでしたからため息やめてください。
「まぁいいや、彼氏の責任は彼女の責任。健やかなるときも、病める時も、彼を愛し、敬い慈しむことを誓った関係なのだからね」
それは恋人を飛び越して結婚というやつに片足突っ込んでいないだろうか。
「おぉい!」
阿久馬先輩は片手をメガホンに、グランドの端の方へ呼びかける。そこには守備練習とは別メニューをこなしている生徒がいて――野球素人の僕が見てもわかる――キャッチャーを座らせたピッチャーが、投球練習をしていた。そしてピッチャーの方が、阿久馬先輩の姿を見てその場で飛び上がった。すぐさまこちらに向かって走り出す。
「あぁそうだ、ワダソン君には言ってなかったね」
土煙を上げてやってくるピッチャーを眺めながら、思い出したように阿久馬先輩は言う。
「今球を投げていたのが今回の依頼主、エースの大谷先輩だ」
なるほど、見るに、かなりの高身長だ。けっしてうらやましいわけではないが、あれなら手足も相当長いだろうから、スピードのある球を投げられそうだ。けっしてうらやましいわけではない。
「そして球を受けていたのがもう一人の彼氏、4番の水原先輩だ」
なるほど、見るに、かなりがっしりとした体格だ。上だけでなく横もでかい。あれならスタンドまで豪快にボールを飛ばせ――んっ?今なんつった?この女。
「あの二人の活躍で、去年は珍しく県大会決勝まで勝ち進んだのだよ。なのになぜか、最近は二人の呼吸がうまく合わないらしい」
他人事のように呟いているが、馬屋原先輩が胸の前で両手を握りしめ、ふるふると震えだしたぞ。
「おい!なんでこんなところにいるんだ!」
大谷先輩はシュッとしたイケメンだった。これでエースなのだから、学年のアイドルが惚れるのもわからんでもない。しかし今は、ちょっとばかし怖い顔をして、斜め上から阿久馬先輩を睨みつけている。
「以前お話しした通りです、先輩。働きにはそれ相応の報酬をお支払いいただかないと」
男の先輩にすごまれても動じないのはさすがと言うほかないが、心ばかりのお礼設定はどこに行った。
「いやっ……だから……あれは事実無根だったわけで……」
大谷先輩は奥歯に何かが挟まったように口をもごもごさせる。そりゃ、彼女本人の前で二股を疑ってましたなんて言えるわけがない。
「先輩のご依頼通りこちらは調べました。その結果、馬屋原先輩の二股が発覚しました」
あっ言っちゃったこの女。
「ふっ、二股なんてしとらんし!」
小動物みたいに震えながら訴える馬屋原先輩。かわいい。
「ていうか、依頼ってなに!?」
うまい責任転嫁だ。褒められた話ではないが、次に震えだしたのは大谷先輩だ。
「いや、なんでもない!なんでも――依頼なんてしとらんし――二股、しとらんのじゃろ?」
「う、うん!うちが好きなのは健一だけ!」
大谷先輩の切り返しに、馬屋原先輩は猛烈にうなずく。妙に痴話げんかめいた空気になってきたぞ。
「そら見ろ!いいか阿久馬、俺は先週、水原にカマをかけた――」
「はぁ」
「『俺は今週の日曜、彼女とデートするから部活を休む』そう言ったんだ」
「おめでたいことですね、頭が」
阿久馬先輩の思考回路がおめでたいです。
「そうしたら、水原のやつ、なんて言ったと思う?」
阿久馬先輩も馬屋原先輩も黙り込んでしまった。たぶん、片方はあきれてものが言えなくなったのだと思う。しかたなく僕が聞く。
「えっと――なんて言ったんですか?」
「『俺も彼女とデートだ』と、あいつはそう言ったんだ」
「なるほど」
「それで実際、日曜に舞衣は来た。つまり!」
「二股は無理、だと」
僕が引き継いだ結論に、阿久馬先輩は首を横に振る。
「はいはい、わかりました。ではこちらの調査結果を――」
「しとらん!二股なんか!うちがやるように見える?健一?」
「い、いや――」
ぶりっ子からの上目遣い、瞳うるうる攻撃だ。大谷先輩はいとも簡単ににやけ顔になった。
「ほ、ほら!裕す――じゃない、水原君!待っとるよ!はよ戻らんと!」
「おっ、そうだな、練習戻るよ」
……何か引っかかる。何か引っかかるが、大谷先輩がそれでいいならまぁいいか。
遠ざかっていく大谷先輩の背中を見て、馬屋原先輩は肺の中の空気を全部押し出すようにため息をついた。
「まったく……お互い彼女の名前を出さなきゃ、なんの証明にもならないだろう。頭にデッドボールでもくらったのか?」
かいつまんで言わなくても『バカか』ということだろう。阿久馬先輩はタバコを探す会社員のようにブレザーのポケットをごそごそやる。
「役者ですね、先輩」
馬屋原先輩の両肩がびくっと跳ねる。
「彼が二股疑惑をかけて、ボクに調査依頼を出したこと、ホントは気付いてたんでしょう?」
阿久馬先輩の手に握られているのはペコちゃんの棒付きキャンディだ。赤い色のイチゴ味。ビニールがぺりぺりとはがされ、飴は口の中に放り込まれる。
馬屋原先輩は地面をじっと見つめたまま、ピクリとも動かない。
「一つ言っておくが」
突然敬語をやめ、阿久馬先輩は低い声で言う。
「二股の証拠はちゃんと握っているし、彼を欺いたトリックもわかっている」
馬屋原先輩の額に、どっと汗の粒が浮き出る。
「彼は騙せても、ボクは騙せない。報酬が支払われない場合、ボクは本件に対して何ら責任を負うつもりはない」
誰が聞いても最後通告だった。馬屋原先輩はじわりと目を閉じると、覚悟の決まった表情で顔を上げた。
「……何が目的なの」
「働きに見合った報酬です。本来の依頼主が支払う気がないようなので、話がこじれているだけで」
学生の身分で恐喝まがいのことをするから話がこじれているのではなかろうか。
「……わかったわ」
馬屋原先輩は観念したように呟いた。
もし今後、人生初のモテ期が来たとしても、絶対に二股だけはやめておこう。
誰に言うわけでもなく、僕は誓った。




