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探偵倶楽部の推参!  作者: 影宮 閃
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第一章 探偵倶楽部へようこそ!

 日本は証拠裁判主義である。

 証言のみでは有罪にならず、また、証拠の入手経緯が違法であれば、証拠能力そのものが否定される。

 必要なのは物的証拠。

 言い逃れのできない証拠それのみである。

 では、探偵(彼女)の存在する意味とは――




「暇つぶし」

「ひぃ!まぁ!つぅぶしぃ!」

 僕はシャンパンのコルクが吹っ飛んだように吹き出した。しまりが悪くて、ボールペンのお尻で頭をかく。

「もうちょっとまともな理由、ありません?」




「かつて怪盗キッドは探偵を批評家と言った。それは間違いないだろう。ボクもそう思うよ。そして怪盗は鮮やかな芸術家だと」

 月夜に紫のきらめきを残して、先輩の長い髪が弧を描く。

「ではどうかな、キミ、人殺しは何だと思う」

 僕は答えられない。先輩は僕の答えを待ってもいない。

「ただの人殺しは愚かな人間さ。感情に支配されて、理性を保てないしかし、用意周到な人殺しは違う。彼らは巧みな小説家なのさ。人を殺す、そして捕まらない。そのクライマックスを迎えるために、ありとあらゆる伏線を張って、自らにつながる証拠はおろか、疑いだって抱かせない。まさにベストセラー作家さ」

「……ベストセラーにされたら、ダメなんじゃないですか」

 ねばつく口でようやくそれだけ答えると、先輩は満足げな笑みを返してくれるのだった。

「そうとも、そのために批評家はいる」

 探偵倶楽部の推参!




 四月――桜散る中、僕は心躍らせながら通学路を歩いていた。

 入学したのは県内有数の進学校だ。受験勉強は、そりゃあもう頑張った。

 僕がこの学校に執着した理由はただ一つ、県内でもこの学校にしかない、ある部活に入ることだった。

 それが――


 記者倶楽部


 扉の上に掲げられたプレートを見て、僕は舌なめずりする。ようやく来たのだここまで。

 深呼吸を二回、右手を挙げて、扉をノック、二回。

「はいどうぞぉ」

 生ぬるい声を聴いて、戸を開ける。中に入る。

「んーっ?」

 今度は古いコントラバスのように渋い声だ。メガネをかけた男子生徒が振り向く。ネクタイの色からして上級生だ。

「ありゃ、一年生だ。なになに、入部希望?」

 わたがしみたいにふわふわと声がこっちにやってくる。部屋の奥から現れたのは、お盆を持った女子生徒だ。彼女も上級生だが、男子生徒とは色が違う。

「あっ、えっ、と、はい」

「んあ~、いつでも大歓迎だよ?ほら、座ってぇ、座ってぇ」

 記者倶楽部には立派な応接セットが置いてあって、僕はそこまで背中を押された。メガネ先輩と女子生徒がはす向かいに座る。

「記者倶楽部にようこそ!えっとぉー、お名前はぁ……」

和田(わだ)真之介(しんのすけ)です」

「古風な名前だねぇ、あ、だからあえての金髪?」

「あ、いえ、これは地毛で……」

 僕は控えめに頭をかく。

「へぇ、ふうん」

 絶対に信じていない声で女子生徒は頷いた。

「私は岸谷(きしや)鈴音(すずね)、二年生でーす。記者俱楽部では主に企画を担当してまぁす」

 ビシッと敬礼する岸谷先輩。サラサラのロングヘアはミルクティーみたいな色だし、カチューシャと瞳の色はひまわりみたいな黄色だ。おそらく染めてるし、カラコンだ。もう何歩か踏み外さなくてもギャルだ。

「僕は三年の佐治(さじ)、ここの編集長兼部長をしている」

「編集長、名前歌彦(うたひこ)って言うの。古風よねぇ」

「岸谷さん黙って」

 編集長はメガネを光らせると、岸谷先輩の淹れたお茶をすすった。

 四角い縁のメガネが曇る。編集長は髪形も角刈りだ。申し訳ないが古風と言わざるを得ない。

「ほんとはまだ他に部員がいるんだけど、ごめんねぇ、みんな取材にでちゃってて」

 おっ、ようやく記者倶楽部らしい話題だぞ。僕は早くも前のめりだ。

「やっぱり、実践重視なんですね」

「なんだかんだ言ったって、書かなきゃ上達しないからな。岸谷さん、なにか彼に振れそうな仕事、ある?」

 え、展開速くない?普通体験入部とかじゃないの!?ていうか振るってなに?仕事?これ部活だよね?

「んん~、そもそも我が校(うち)、そんなに話題が……あっ、阿久馬(あくば)さんの番記者なんてどうですかぁ?この四月で清水さんもやめちゃっ――てない。お休みいただいてぇ」

 ひょっとしなくても不穏なことを言わなかっただろうか、この人。

「あー」

 編集長はタバコでも吹かすみたいに息をはいた。

「いいんじゃない?」

 よくないだろうよ、その間は絶対よくないだろうよ。

「やったね!真之介くん、いきなり番記者だ!」

 完全に他人事の喜び方だ。

 僕は少々諦めモードに入りながら聞いた。

「えっと……阿久馬さん?ってのは誰なんですか」




 探偵俱楽部




 校舎の片隅で、僕はドアプレートを見あげている。

 歴史ある記者俱楽部と違い、真新しい感じのプレートだ。字は濃いしホコリもかぶってない。

 周囲に生徒は一人もいない。そりゃそうだ、だってここは校舎の片隅。それも、一学年五クラスもあって、部活棟が別で設けられていて、その部活棟には地上四階の渡り廊下を通らなければたどり着けなくて、というかそもそも本棟の一階はピロティになっていて教室ゼロ、おまけにデザイナーだか何だかが設置した上りのエスカレーターが校舎のど真ん中を貫いているという、地方都市にしては無駄に凝った上にデカい校舎の片隅だ。その、普段誰も来ない端っこのはじっこ、使われていない空き教室だか倉庫だかよくわからない部屋の前に、僕は一人で立ち尽くしているのだ。

 なぜこんなところにいるのだろう。いや、ここまで来た経緯はわかっているのだが。



『探偵俱楽部』

 編集長がメガネをクイッと上げ、重々しい声で言う。

『昨年、我が校にできた新たな部活だ』

『はあ……って去年!?』

『その唯一の部員にして部長なのが阿久馬(あくば)志水(しすい)。洞察力の高さを生かして警察の事件捜査にいくつも協力し、解決に導いてきた神童――世間では、天才中学生なんて呼ばれていたかな。話題になると躍起になった校長の采配で推薦入学したと噂される――まぁ、鳴り物入りで我が校に入学してきた変人さ』

 天才で変人なんですね。それはそうと、

『部員一人って、部活動の規定を満たしていない気がするんですが……』

 校則なんざ読んだことはないが、おそらく一人で部活を名乗れないのは万国共通だと思う。それを覆しているとすればまさに萬國驚天掌ばんこくびっくりショーだ。

『それも校長が認めたって噂、特例さ』

 うわあい、萬國驚天掌ばんこくびっくりショー

『それで、前任者がやめたというのは……』

 岸谷先輩があからさまにギクリと肩をこわばらせた。

『や、やめてはないんだヨ?ちょっと、部活、お休みいただいてるだけって言うか』

 声が上ずってますよ先輩。

『阿久馬志水は気難しいことで有名だ。これまで何度も番記者をあてがってきたが、昨年の秋以降、二か月と続いた者がいない。とはいえ、去年一年間だけで警察からもらった感謝状は延べ18枚、校内新聞のネタとして、うちも情報は喉から手が出るほど欲しい』

『事情はわかりましたが……僕に務まりますかね……?』

『大丈夫だよ!真之介君かわいいし、年下だし』

『かわっ……え?』

 思うのだが、男子に対してカワイイは褒め言葉ではない気がする。

『いやっ、ほらっ、今までは同年代か、先輩しか阿久馬さんの番記者やってこなかったでしょ?それでうまくいかないってことはぁ……きっと阿久馬さん、年下好きなんだよ!』




 いや考えるな。きっと、一人前の記者になるには、これくらいのハードルを悠々と乗り越えなければならないのだ。僕は自分に言い聞かせる。

 深呼吸をして、本日二度目のノックを二回。

「すいませーん」

 返事はない。もう一度ノックする。

「すいませーん、記者俱楽部の者なんですが」

 やはり返事はない。

 マジかよ、いきなりつまったぞ。ドアに耳を押し当ててみる。無だ。音もしなけりゃ人の気配もない。

 ドアに手をかけてみると、なんの引っ掛かりもなく数センチ開いた。

「マジか……」

 いいのか?これ。抜き足、差し足、忍び足、探偵俱楽部の内部に入る。

 カーテンを閉め切っているのか、中は蒸し暑く、薄暗かった。大量の段ボールが所狭しと積み上げられていて、うっそうとした森のようだ。息が詰まる。そのまま内部まで歩を進めると、女子生徒が首を吊っていた。


 もう一度言おう、女子生徒が首を吊っていた。


「ぅわっ!」

 当然の帰結として僕は尻もちをついた。段ボールの山に激突し、ドミノ倒しのように入り口まで全部崩壊した。だがそれどころではない。

 女子生徒の頭はカクンと下を向き、すでに安らかな顔をしている。マズい。一刻も早く下ろさなければ、いや、あれ?先に救急車?それとも先生を呼ぶべきか?

「えぇえぇえぇと、きゅっ、救急車キュウキュウシャきゅうきゅ――」

「キミ、なにをしているんだい?」

「なぁにって!救急車――ぁを――」

 首を吊っている女子生徒と目が合った。

 もう一度言う。何度だって言う。首を吊っている女子生徒と目が合った。

「……え?」

「……ん?」

「いやいやいや!生きてる!?ぅんですか!?」

「うん」

「うんじゃないんだがぁ!?」

「あっはっはっはっ、面白いね、キミ」

 首吊ってんのに、腕を組んで笑い始めたぞこの女。

「なっ、ななな、なにが……なんで……?」

「死んだと思ったのかい?それは浅はかだよキミ、ほら、まず、索条痕(さくじょうこん)がない」

 濃い色の髪をはらりととかし、女子生徒は首元をあらわにする。索条痕が何か知らないが、たしかにロープはゆるゆるで、彼女の首筋はすべすべの真っ白だ。

「そして当然だが、呼吸も止まっていないし、脈も止まっていない。そういった簡単な確認もせず、見た目でいきなり決めつけるのは愚か者のすることだよ」

 なぜ僕は初対面の人に怒られているのだろう。しかも、部室で首を吊っている女に。

「まあいいや、ところでキミ、降ろしてもらえるかな」

「……はい?」

「だから、降ろしてくれないかとお願いしているんだ」

 僕は思わず眉間をつまんだ。

 えっと、今なんつった?

「…………いや、降りられないんすか?」

「そうだな。これは2009年に公開された映画、シャーロック・ホームズで使用されたトリックを再現したものなのだが」

 マシンガンのような早口だ。一言も頭に入ってこない。

「あまりにも忠実に再現しようとして、脚立を蹴飛ばしてしまったのだ」

 彼女の足元を見ると、上履きが見事に空中浮遊し、ゆっくり回転している。その下に、小さな脚立が横倒しになっている。

「よくそんな危ないことしますね……」

「別に危なくはない、首が絞まらないよう、腰のベルトにフックを――」

「うわわわわわわ!」

 彼女が突然ブレザーをたくし上げたので、僕は大いに驚いた。

「……ピュアがすぎないかい、キミ」

 半分呆れたようなジト目で、僕は見下される。

「いやっ……はぁっ……」

 僕の心臓は超高速ドラムビートだ。

「小学生じゃないんだから。ちゃあんとシャツは着ているよ」

「いや、まっ……そうかも、しれませんけど……」

 恋人などいたことのない僕にとって、女性が服をたくしあげるという行為そのものに免疫がない。あと、両手で掴めてしまいそうな細いくびれも目に毒だ。

 しかし事実、彼女の腰には、ズボンのベルトとは別にもう一本、太いベルトのようなものが巻き付いていた。背中側には大きな金属製のフックがついており、そこには太いロープが結わえてあった。つまり、首がしまらないよう、腰のところで浮かせていたということなのだろう、身体(からだ)全体を。

 僕はため息をついて脚立を手繰り寄せた。

「失敗したらどうするつもりだったんですか、ホントに死にますよ」

「失敗するわけがないだろう、このボクがやるのだから」

 なんなんだこの人。どこからその自信が湧いてくるのだ。だって一人で降りられずに――いや突っ込まない。突っ込まないぞ絶対。

 僕は彼女が脚立の上に立つのを待って、首につながっているロープに手を這わせた。

 ロープの先は健康ぶら下がり器に結ばれていて、こいつがとんでもなく固かった。なぜ部室に健康ぶら下がり器があるのかは考えないことにした。

「ちょっと、すいません」

「ふむ、いいだろう」

 なんでちょっと得意げなんだよ。

 僕は脚立を半分借りる。彼女はバレリーナのようにつま先立ちになり、脚立の端に寄る。首のあたり――肩かもしれない――からふわりと甘い香りがして、一瞬、心臓が高鳴る。顔も近い。何度も言うが免疫がない。

 どぎまぎしながらロープを外すと、彼女は短く礼を言って脚立から飛び降りた。




「いやあ、助かったよ、新米記者君。おかげでボクの推理に対する理解はより深まり、知的探求心も実に満たされた」

「は、はあ」

 部室の真ん中に置かれた長机にぶっといロープをボロン、と置いて、彼女は背を向けた。僕は机の反対側に陣取る。

「あの、どうして僕が新米記者だと?」

 カーテンが開けられ、室内の電気がついた。おかげで彼女の姿がよく見えた。

 髪は肩下くらいの長さ、結んだり、ヘアピンを付けたりはしていない。競うように着飾る女子高生にしては珍しい。

「ボクの番記者はついこないだ解任になったばかりだ。そんな折、緑のネクタイをぶら下げた学生が、記者倶楽部を名乗って訪ねてくる理由は一つしかない。名前は?」

「和田真之介です」

 つーか聞こえてたなら返事してくれよ。

「そうか和田君、しかしキミ、なかなかいかつい頭をしているね」

 そう言う先輩の髪も、光の加減で淡い紫に見える。

「よく言われますけど地毛なんです……誰もわかってくれないですけど」

 僕は金色の前髪をつまみ、こより(・・・)を作るようにねじった。

 彼女は両手に使い捨てのコーヒーカップを持って帰ってくる。湯気の向こうに見える瞳はアメジストを幾重にも重ねたように綺麗で、ライトアップされた鉱脈のように神秘的な光を宿している。思わず吸い込まれそうになる。目鼻立ちもはっきりしていて――首吊り実験という奇行にさえ目をつむれば――とても美人だと思った。ブレザーのネクタイがオレンジ色だったので、岸谷先輩と同じく二年生なのだ。

「こんなものしか出せないが、どうぞ飲んでくれ」

「あ……ありがとう、ございまげっふぉ!」

 僕はコーヒーのあまりのマズさにむせた。

 別にコーヒーが嫌いなわけではない。わけではないが、いくらなんでもマズすぎないかこれ。味が薄いとか湯加減が間違ってるとか、どこから指摘していいかわからないレベルでひどいぞ。

「ふっ、キミもか」

 先輩は背もたれの長ぁ~い椅子に身を預け、足を組んでふんぞり返る。

「はいぃ?」

「みんな、ボクが淹れたコーヒーは『泥水を拭いたぞうきんを絞ったような味』と評するんだ。この世の不思議だよ」

 僕にはこれをうまいと言う人がいる方が不思議です。

「えっと……こんなことを聞くのは失礼かもしれませんが、ここ、探偵俱楽部であってますよね……あなたがあの(・・)阿久馬先輩なんですか?」

「ふふ、ボクの名前は、記者俱楽部では悪名高いと見える」

ボク(・・)って……じゃあ、やっぱり……?」

「一人で宙吊りになり、まともにコーヒーも淹れられない女が、天才高校生と呼ばれる名探偵だとは、にわかに信じがたいかい?」

「いえ、そういうわけでは……」

 めっちゃその通りです。はい。

「生徒手帳を見せれば証明は簡単だが、それでは面白くないしキミは納得しないだろう。ここは一つ、推理をしてあげよう。それで、ボクの常人外れた観察眼と推察力を目の当たりにするがいい」

 なんかめんどくさいことが始まった。普通に生徒手帳見せてくんないかな。

「では、キミの身長体重を教えてもらえるかな」

「170センチ、50キロです……」

「うん。わかった」

 阿久馬先輩(未確定)は手のひらでポン、とこぶしを打った。

「まず、キミには異国の血が流れているね?それもハーフではなく、クォーターだ」

「なっ」

「そして身長は170センチもない。せいぜい168かそこらといったところだろう」

「! なぜ、それを……!」

 僕はうろたえる。正直、金髪や血筋云々はいい。しかし身長に関しては図星も図星、僕は168センチしかない。

「まず、そんなに完璧な金髪をして、『誰もわかってくれない』という発言――つまり、わかりやすく両親のいずれかが外国人であれば、そのような誤解は生まれないはずだ。しかし見るに髪質もよく、染めた(ふう)でない以上、地毛であるのは真実。であれば、残る可能性は、親世代よりもさらに上に、異国の血が混じっているとしか考えられない」

「し、身長は……?」

「ボクとの身長差だよ」

「ボクは172センチ、そこからさっきの」

 阿久馬先輩は健康ぶら下がり器を指さす。

「まさかあの一瞬で、身長差を測ったと、そう言うんですか?」

「それもあるし、なぜか低身長の男性は170センチすりきりいっぱいでサバを読む習性があるからね、そこから推測した」

 オーバーキルするのはやめていただけますか。

「いいかい?自分の身長、体重を正確に把握しておくことは非常に有益なのだよ。例えば、両手を横に伸ばすと、だいたい自分の身長と同じになる。事件現場でとっさにメジャーや秤がない時、目安として使うことができる。あとは君、170センチの男子高校生と言うには体重が軽すぎるよ」

「ぐっ、ぐぅ……」

 ぐうの音も出ないとはまさにこのことだ。いや、ぐうの音は出てるけど。

「お、おみそれしました……」

「わかればいいのだよ、わかれば」

 きちんと存在を主張している胸元で腕を組み、阿久馬先輩(確定)は頷いた。

「さっ、おしゃべりはここまでだ。コーヒーを飲んだら帰りたまえ」

「えっ!?」

 このコーヒーをすべて飲めと!?

「いや、これから取材とか――」

「番記者を付けたいというのはあくまで記者俱楽部側の都合だろう?ボクとキミは初対面でなんの義理もないし、そもそも情報を抜かれるだけでボクにはなんのメリットもない」

 ド正論だ。何も言えねぇ――あっいや、

「さっき思いっきり助け――」

「お礼にコーヒー出しただろう?借りは返しているよ」

 ガキ大将の理論だ。自分がルールBOOK。

「いいかい?ボクは基本、マスコミを信用していない」

 突然まじめな表情になって、阿久馬先輩は言う。

 アメジストの瞳から光が消えている。彼女をまとう空気が冷たく、重たくなった気がして、僕は生唾を飲み込む。

「三権分立の外側から公権力を監視している気になってはいるが(・・・・・・・)、自分たちに都合の悪いことは報道しないし、自分たちに都合のいいようにしか報道しない。裁判所からの令状がないと家宅捜索できない警察の方がまだ信用に足りる。だってマスコミは、遠く離れたところから何も考えずに望遠カメラでライブ中継するだろう?」

「で、でもそれは……みんなの知る権利を……」

「まさか、誘拐事件を我先にと報道し、それを知って逆上した被疑者が、被害者を殺害してしまった事件を知らないとは言うまい。火山噴火の際、避難勧告を無視して撮影を続けた報道関係者を止めるため、何の罪もない市民が犠牲になったことを知らないとは言うまい」

「それは……」

「果たしてそこに、知る権利のためという大義名分はあったのかい?他社を出し抜こうという浅はかな功名心があったのではないか?」

「でも――っ!警察が扱ってこなかった政治家の汚職を暴いてきたのも報道です!」

「警察が立件に向けて捜査していなかったとどうして言い切れる?大した証拠もなく、伝聞情報だけで決めつけて報道し、たまたまそれが当たっていただけだ。世論が過熱して、警察も検察も証拠が不十分な状態から捜査せざるを得なかったと、ちらりとでも考えたことはあるのかい?先に報道することで、捜査の手が及ぶ前に証拠を隠滅されたことだってあるのに!逆に聞くが君、報道関係者が、刑事事件の裁判に足りうるだけの証拠を、正しい(・・・)手続・・きを(・・)経て(・・)入手したことがあるのかい?」

 僕は何も言い返せない。正しい証拠の入手方法なんて、さっぱりわからない。気にしたこともない。

「いいかい、日本は証拠裁判主義だ。証言のみでは有罪にならず、また、証拠の入手経緯が違法であれば、証拠能力そのものが否定される。必要なのは物的証拠。言い逃れのできない証拠それのみだ」

「そっ――それを言い出したら、探偵なんて――」

「その通り!シャーロック・ホームズも名探偵コナンもでたらめさ。トリックを暴くだけでは被疑者たりえない。ダイイングメッセージだけでは有罪にならない!トリックに使用した物品から指紋やDNAは検出されたのか?トリックに使った物品の購入経路は特定できたのか?それを裏付ける防犯カメラの映像やクレジットカードの使用履歴は押さえたのか?そういったことをすべて突き詰めて、ようやく裁判で戦うことができる。有罪を勝ち取るかどうかはそのさらに先の話さ!君はフィクションに何を求めているんだね!」

 マスコミに親でも殺されたかのような勢いで、先輩はまくしたてた。

 わかったぞ――阿久馬(あくば)志水(しすい)の番記者がいない理由。いたとしても、コロコロと変わる理由――この先輩(ひと)は、マスコミとは対極にいる人だ。

 そして僕は無力だ。先輩に理詰めにされ、まともに言い返すこともできない。

 将来は報道関係の仕事に就きたい。そのために記者倶楽部で経験を積みたい。そう思ってこの学校にやってきた。つらい受験勉強を乗り越えられたのも、その思いがあったからこそだ。

 その夢が、先輩と話したこの数分かそこらで、いたく子供じみた、浅はかなもののように感じられた。僕の覚悟など嵐の前のろうそくほど頼りないものだ。思いも、知識も、まるで足りない。

 小さく縮んだ僕の心を見透かすように、先輩がアメジストの瞳を向ける。僕はさらに委縮してしまう。

「日本警察も、検察も、過去に身内の犯罪を隠したことがある。それは事実だ。政治家は抜け道のある法律しか作らない。それも事実だ。裁判官は、法律と判例にがんじがらめにされた状態で判決を下すしかない。すべて事実だ。君たちマスコミの言う通りだ。だが、自分たちのことを棚に上げ、権力に対して攻撃しかしない姿勢が、ボクは露ほども気に入らない。君らには――国家賠償のような――責任を取るための法的根拠もない。果たして、自分たちの責任で傷ついた人たちに対し、きちんと謝罪し、十分な補償をしてきたと言えるのかい?」

 僕は飲みかけのコーヒーに視線を落とした。

 おそらくもう、二度と味わうことができないであろうそれを、惨めな気持ちで見つめ続けた。

「帰りたまえ」




「ただいま……」

 家に帰ると、珍しく玄関にもう一足靴が並んでいた。つやつやの革靴だ。僕は顔をしかめた。

「おぉ、お帰り」

 僕はリビングのソファを直視できない。

「なんだ、返事くらいしろ」

「……ただいま」

 冷蔵庫から麦茶を取り出し、手早く飲む。自分の部屋へ逃げ込もうとドアノブを握る。

「どうした、機嫌悪いな」

「別に」

「記者俱楽部、入れたか」

 ドアノブをひっつかんだまま、僕は無言を返す。

「なんだ、初日からトラブルか」

「父さんには関係ない」

「関係ないことはない。OBだから、後輩のことが気になったり――」

 あぁもう、これだから嫌だったんだ。僕は聞こえるように口の中で毒づく。

 思春期男子にとって、父親というのは心臓の表面を這いまわる虫くらいウザったいものなのに、その上この人は現役の記者にして我が校の記者倶楽部OBというオプション付きだ。目の上のたんこぶどころの騒ぎじゃない。脳みそを這いずり回る寄生虫だ。

「番記者やらないかって言われたけど……対象者とちょっと……」

「トラブったのか?」

 僕は目玉を一回転させ、ドアノブから手を離した。

「マスコミ嫌いの人だったんだよ。だから、話にならないというか、マスコミの悪いところばっかり言われて……帰れって……」

「あー、そりゃお前が悪い」

 おっしゃあ!マジでムカつく!

「相手がナイフ持ってたらお前どうする。ナイフ持ってる相手から、機密情報奪わなきゃいけない時どうする」

「ナイフ……?」

「おー、どうするんだよ、今は戦時中、そいつが持ってる情報がないと国は負ける。でも無理やり取りに行けば、ナイフに刺されてお前は死ぬ。自分もナイフ持って突っ込むのか?国の存亡がかかってるのに、そんな一か八かの方法使うのか?」

「じゃあ銃で撃つよ」

 ていうかそれ、記者じゃなくてスパイの話じゃね?

「そんなことしたら、そいつは最後の力を振り絞って情報を抹消するだろうな」

 なんだよそれ、父さんの設定次第でどうにでもなるじゃないか。

「いいか、取材なんて、対象者との関係築いてナンボだ。こっちに対して友好的なやつもいれば、マスコミってだけで毛嫌いするやつだっている。相手がつんつんしてるからって、同じような態度でいたら反発しあうだけで収集なんかつきやしない」

「じゃあどうしろって――」

「大人になれってことだよ。相手の好きなものを自分も好きになって、相手の興味あることは全部頭に叩き込むんだ。無二の親友になったと相手に思わせるくらいやってみろ」

 僕は初めて、父さんの顔を直視する。

 僕と違って黒髪の、無精ひげを生やしたおっさんの顔を。

「お前、スタートラインに立つ準備すらできてねえんだぞ」

 それを真面目くさった表情で言われたのが、一番腹が立った。




「あぁくそっ!なんだよ!」

 僕は自分の机に頭突きした。

 リュックサックの中から分厚い手帳を取り出す。モスグリーンの革でできた表紙をめくる。一番最初のページ、記者としての抱負でも書こうかと思っていたページ、そこに僕はボールペンを突き立てた。

 死ぬほどムカついていた。はらわたが煮えくり返っていた。

 記者として、記者を目指す者として、父さんの言ったことは正しい。

 新入生という身分と桜散る景色、春の木漏れ日の香りに、僕はどこか浮ついた気分で記者俱楽部の門をたたいた。必要な知識が欠如した状態で阿久馬先輩に挑んだ。

 そして先輩にこてんぱんにやられ、父さんにマジの説教をくらった。それが事実だ。

 ムカつく。

 ボールペンをぐちゃぐちゃに引っかき回す。

 阿久馬先輩も、父さんも死ぬほどムカつく。

 ページが真っ黒になるまでかき回す。

「はあっ……はあっ……」

 でもその原因が、自分の準備不足、勉強不足にあるのが一番ムカつく。

 半端な覚悟で「記者になりたい」と言ったのではないと自負していた。

 しかしそれは、とんでもない思い込みだった。

 天才高校生?神童?いいだろう。

 どろどろになったノートのページを、僕はにらみつける。

 僕は記者だ。

 泥をすすってでも、あんたの本当の顔を暴いてやる。

 パソコンの電源を入れ、本棚から目星をつけた三、四冊を引きずり出した。ノートを一ページめくり、僕は戦場に足を踏み入れた。




 翌日の放課後、僕はドアの前に立っていた。

 記者俱楽部ではなく、探偵俱楽部のドアの前で。

 さすがの阿久馬先輩も言葉を失ったようだった。ドアを半開きにしたところで、鳩が豆鉄砲を食ったように固まっていた。

「来るなと言ったのに押しかけて来たのは、君が初めてだよ」

 コーヒーを淹れながら、先輩は紫にきらめく髪を右耳にかける。

「昨日先輩に言われたのは『帰れ』です。今日についてはまだ何も」

「よく覚えているね、記憶力は正確なようだ。それに屁理屈もきく」

 コーヒーに手はつけず、僕はモスグリーンの手帳を取り出した。

「おや、立派な手帳だね、さすがは記者倶楽部」

「記者になりたいと言ったときに、母親が。いいものを使えと」

 汗ばんだ手で、僕は手帳を開く。

 一番最初のぐしゃぐしゃのページではなく、その次を。

 びっしりと書き込まれたそれを、阿久馬先輩はさっと視線でなぞる。聡い先輩だ。おそらくその一瞬で、僕がこれから何を言うのか理解したはずだ。

 でも先輩は、黙って目をつむり、コーヒーをすすった。

「報道倫理という言葉があります」

 深呼吸してから、僕は言った。

「報道の組織、活動に関する倫理的規範です」

 先輩はこくりと喉を鳴らすと、まぶたを開いた。僕はアメジストの瞳をまっすぐ見つめ返す。ものすごい威圧感だ。相手は華奢な女性なのに、一国の女王を相手にしているようだ。目をそらすもんか。絶対に、瞬きだってしてやらない。

「まず前提として、報道の自由、言論の自由は、民主主義の基本原則の一つです。ここ日本でも、それは憲法に明記されていることです。一方、阿久馬先輩が指摘する通り、情報を入手するために記者がやってよいこと、悪いことは明記されていません。それはあくまで道義的な制約にとどまり、また、ジャーナリズムの役割の一つに〝権力の監視〟がある以上、監視対象である政府、国家にそのルールの制定、運用を委ねることは不適切です。こと日本国政府においては、偽の情報で国民を戦争に駆り立てた前科(・・)があります。僕はなおさら、報道に関するルールを、国が制定すべきでないと思っています」

「続けたまえ」

「報道倫理の内容については、〝ジャーナリストの義務に関するボルドー宣言〟に記載されています――ご存知でしょうから割愛しますが――まずはここで、僕たち報道に関わる者は、無暗やたらと報じているわけではないと、ご理解いただきたい……です」

「ふむ」

「それに加えて、昨日阿久馬先輩がおっしゃった件についての回答もご用意しました。報道協定です」

 僕はさらにページをめくる。

「まさに先輩がおっしゃった誘拐事件などで、警察とマスメディア間で結ばれる日本独自の協定です。警察組織は通常時よりも詳細な情報、捜査の経緯を提供する代わりに、マスメディアは許可があるまで報道しない。これによって、警察の動きを犯人側に察知されず、人質の安全を最優先に動くことができます。そして――」

 僕はからっからに乾いた唇をなめる。

「――報道協定に法的な拘束力はありませんが、過去、フライング報道を行った報道機関を三か月間、除名する処分を下した県警記者クラブもあります。もちろん、これで十分とは言えません。でも、警察や政府がそうであるように、僕たち報道の側も、完ぺきではありませんが、自浄作用はあります。信じてください。報道機関も、きっと、よりよいものに変わっていけます」

 最後は早口で、まくし立てるように言ってしまった。

 でも、これが僕の全力だった。

「ふっふっふっ」

 先輩はくすぐったそうに笑った。冷徹な女王の圧は消え去り、年相応の女子高生の顔に戻っていた。

「昨日の今日で、それだけまとめてきたのかい?」

「……ほぼ徹夜で、はい」

「大したものじゃないか、記者殿(・・・)

 先輩はすらりと長い脚を組んで、そして腕を組んだ。

「こんなことで――」

 僕は両手を膝の上で握りしめる。じわりと、拳の中に汗がたまる。

「――こんなことで先輩が納得してくれるなんて、思ってません」

 先輩の視線を感じながら、自分の膝を見つめる。

「記者の定石とすれば、こんなことをするのは悪手です。先輩の機嫌を損ねました」

「ふむ」

「でも僕には、こうすることしかできなかった」

 正直に話す。それが昨夜、僕が決意したことだった。

 ともすればそれは、開き直りとも捉えられるだろう。だが――

「僕には、先輩に気に入られるだけの技量はありません。記者という立場では、まだない」

――悲しいかな、それが現実だった。僕の現在地だ。

「だからまず、探偵俱楽部に入ろうと思います」

 僕は顔を上げる。少しおっかないアメジストの瞳を、真正面から見つめ返す。

「記者倶楽部の人間としてではなく、探偵俱楽部の後輩として、阿久馬先輩の推理を、一番近くで見て学びたいと思っています」

 立ち上がって、深々と頭を下げる。

「どうか、入部を認めてください。お願いします」

 先輩がまず返したのは沈黙だった。

 でもそれは予想できたことだ。何分でも、何時間でも、僕は自分のつま先を見つめ続けると決めていた。

「キミ、面白いねぇ」

 窓から入った柔らかい風が、カーテンを揺らして影を作った時、先輩は口を開いた。

「自分が何を言っているのか、わかっているのかい?」

 顔を上げると、ニヒルに笑っている先輩と目があった。年上の女性にこんなことを言うのは失礼かもしれないが、腰に巻き付けた左手を支えに、頬杖をついている姿は、背伸びをしたお嬢様のようで大変可愛いらしいものだった。

「『僕はこれからスパイとして入部します』って、そう言っているんだよ?」

「そんな大したもんじゃありません。僕はただの、記者志望の高校一年生です」

「身長168センチの、ね」

 ここが一番胸をえぐられたが、僕は口を固く結んで黙っておいた。

「いいよ」

 先輩はつん、と鼻先を上げる。

「えっ」

 僕には青天の霹靂だ。

「ボクの番記者になってもいい。ガッツがあるのは嫌いじゃない」

「本当ですか――」

「その代わり次の事項を守ってもらう」

 阿久馬先輩は、指切りげんまんをするように小指を立てる。

「一つ、報道機関が報道していない情報及び警察などの公的機関が公にしていない情報を得ても、決して他言しないこと。これは記者倶楽部の先輩たちに対してもそうだ」

 次に、ほっそりとした薬指が立てられる。

「二つ、ボクが公開を許可しない情報についても、同じく他言禁止とする。これを守ること」

 最後に、中指を。

「三つ、常にボクに有益になるよう、探偵活動に協力すること」

 OKマークのようにした手を、先輩は僕の方に突き出した。

「不服かい?」

 突き付けられた三本の指。それが、僕と先輩との間で交わされる報道協定だ。

「最初に言った通り、番記者をつけることに――」

「――阿久馬先輩には、なんのメリットもない」

「その通り。キミがボクの隣にいてよかったと、そう思わせてくれるのなら」

 先輩は腰を上げ、指を立てていた手で、僕の頬にそっと触れる。

「ボクの番記者として認めよう」

 アメジストの瞳に、僕の顔が映っている。

 余裕なんてない。額に汗かき、今にも泡を吹いて倒れてしまいそうな顔だ。

 でも、もう、決めていた。

「後悔はさせません」

 僕は記者だ。

 泥をすすってでも、あんたの本当の顔を暴いてやる。

 先輩は指先で僕の顎をはじくと、求愛するクジャクのように両手を広げた。

「ようこそ、探偵俱楽部へ」

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