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第69話:ダリオスの翼

 ゆっくりと目を開けると、そこには木目の天井があった。


「河瀬さん!」


 黒田さんの声。すぐに、見覚えのある顔が何人も、部屋の中に集まってくる。


(あれ、私……)


 少しずつ、記憶が蘇ってきた。

 私はデュランダルを、突き刺した。あの瞬間の記憶が、最後だった。


 いや――違う。もう少しだけ、続きがあったことを思い出す。


『お前たちは、文明を築き、いずれ殺し合う運命。だから、統べる者が必要だということが、分からないのか』


 あの声。頭に直接響く、あの白い存在の声。


『黙れよ……』


 低く、どすの効いた声が、すぐ近くで応じた。


(あれ、私の声じゃない……)


 誰の声だったのか。思い出そうとしても、そこから先は、闇に呑まれるように途切れていた。

 最後に聞こえたのは――


『今度、マリア様に舐めた口聞いたら、分かってるな?』


 そう言って、何かを蹴りつけるような音。

 それが、私の覚えている最後だった。


(あれは、いったい……)


 考え込んでいると、身なりの良い少女が、私の顔を覗き込んできた。


「マリア様!」

「ひっ……!」


 思わず、後ずさりしそうになる。


「どうかされましたか?」


 ノエルだった。


(え、あなた、そんなキャラだったっけ!? だとしたら、解釈違いなんですけど!)


 あれは夢だと思うことにした。

 目の前の少女の顔には、安堵が滲んでいた。


「良かった、ご無事で……」

「あ……うん、ありがとう」


 その後のことを、ノエルが順番に説明してくれた。

 私は、丸一日、眠り続けていたらしい。他の皆も、それぞれ怪我や消耗した力を休めるため、この宿で静養しているとのことだった。

 あの本体を倒したことで、周囲にいた白いモンスターたちは、すべて消滅したという。


「みんなは、無事なんだよね?」

「はい。全員、命に別状はありません」

「オルドランさんは……」


 ノエルが、なぜか目を逸らした。


「オルドラン様は――」


(まさか……)


「オルドラン様は――“コールドブリュー”が出せなくなったと、大変悲しんでいらっしゃいました」

「……え?」


(コーヒー?)


「えーと、身体の具合は?」

「命に別状はないそうです」

「そうなんだ……」


(心配して損した……)


「ですが、しばらく療養されるそうです」

「そっか、そうだよね」


 それでも彼の様子を聞いて、安心した。


「マリア様がよろしければ、出発しようという話になっています」

「うん、私は大丈夫。あ、そういえば、あの剣、どこにやったっけ」

「それでしたら、オルドラン様が回収なさいました。マリア様に、ありがとうと伝えてくれと」


 彼がいなければ、ここまで辿り着けなかった。それに、他のみんなの力も。


「ノエル、ありがとう」

「はい、その、どういたしまして」


 ノエルの存在は、大きかった。

 でも、薄れる意識の中で聞いた声のことは――やっぱり聞けなかった。


◆◇◆


 出発の朝。

 オルドランはまだ療養中とのことで、代わりに別の騎士が護衛を兼ねた御者として、カイルと共に馬車を任されることになった。


 二台の馬車に分かれて乗り込む段になって、カイルが、ふと騎士に馬車を替えようと言い出した。


(どうしたんだろう……?)


 怪訝に思いながらも、指示に従う。

 乗り換えた後、それぞれの馬車の顔ぶれを見て気づいた。

 彼が選んだのは、アデルさんが乗っていない方の馬車だった。


(こざかしい……)


 思わず、そんな言葉が浮かんだ。


 馬車に揺られていると、あの戦いのあった場所を通り過ぎた。

 地面のあちこちに、争った跡が残っている。けれど、事情を知らなければ、ただ荒れた土地としか見えないだろう。


 森を抜け、いくつかの町を通り過ぎ――ようやく、ヴェリウスさんのいる場所に辿り着いた。


「懐かしいな」


 黒田さんが、ぽつりと呟いた。

 馬車を降り、みんなで歩いてヴェリウスさんの屋敷へと向かう。


◆◇◆


「お前たちか。書物の件は、どうだったん――」


 出迎えたヴェリウスさんが、途中で言葉を止めた。

 視線の先には、アデルさんがいた。


「室長……!」

「もう、室長ではないわ、ヴェリウス」

「アデル、さん……」

「それに……あなたに、ずっと謝りたかった……」


 そう言って言葉を交わす二人の姿は、かつての上司と部下という以上の何かが滲んでいた。まるで、時間が巻き戻したかのように。


 私たちは、これまでの経緯を説明した。そして、アデルさんが、あの書物のことを話す。


「そうだったか」


 ヴェリウスさんが、静かに口を開いた。


「あなた、転移の研究をしていたんですって?」

「ええ。そして彼らは……」


 言いよどみ、私の方をちらりと見た。私は頷いた。


「彼らは、私の実験の最中に、違う世界から呼び寄せてしまった者たちです」

「そんな――」


 アデルさんが、驚きの表情を見せる。彼女だけではない。その場にいたノエルも、ドロワくんも、カイルまでも、それぞれに息を呑んでいた。


「そうでしたか、すべて分かりました」


 アデルさんが、続ける。


「白い存在は倒しました。おそらく、今後同じようなものが現れることはない、と信じたいところです。ですが、その保証はありません」


 彼女は私たちを見渡して言った。


「それに――あなたたちは、元の世界に戻りたいのでしょう?」


 言葉に詰まる。


「私が見た書物には、人を異次元に送る研究も記載されていました。それを再現し、応用すれば、あなたたちの希望も叶うはず。ヴェリウス、あなたのこれまでの研究を、私にも見せてください」

「ええ……」

「皆さん、少し時間を。それまで、あなたたちはこの町で時間でも潰しておいてください」


 そう言って、私たちは、あっさりと部屋の外へ追い出された。


「マリア様たちは、別の世界の人たちだったのですね」

「兄貴……」


 ノエルとドロワくんが、それぞれに呟く。


「そうだったんですねー」


 カイルは、なぜか驚く様子もなかった。


◆◇◆


 それからしばらく、私たちは町の宿で時間を潰した。

 そして日が完全に落ちた頃、ヴェリウスさんが私たちを呼びに来た。

 どうやら研究がまとまったという。


 屋敷に戻ると、アデルさんが、過去の文献から読み解いた考察と、そこから導き出した仮説を教えてくれた。


 ヴェリウスさんの魔法は、まだ不完全なものだった。どうやら、その瞬間、特定の地域、特定の時間に、“ある強い願い”を抱いた人間を呼び寄せてしまった――それが、私たちだった。


 その願いとは、今いる世界から、まったく違う世界に行きたいというもの。その強さを持った者を、まるでクレーンゲームのように、拾い上げてしまったのだ、と。


「その逆を実行すれば、戻れるかもしれません」


 ただし、その願いが不完全であれば、元いた世界とは違う世界に飛ばされる可能性もある、とヴェリウスさんは付け加えた。

 それに、狙った場所へ戻すには、それに見合うだけの強大な魔力が必要だということも。


「そんな力、どこにあるんですか?」

「あなたよ」

「私……?」

「あなたの、その光を使うの」


(私の、レーザー?)


「あなたの持つ力を使い、魔力を生み出します」

「アデルさんと私が、お前の光を受け止め、魔力に変える」

「あなたと一緒に魔法を使うなんて、いつぶりかしら」


 アデルさんは少し嬉しそうだった。

 ヴェリウスさんが私たちに向かって何かを言いかけた、その時だった。


「あっ、そうだ!」

「どうした?」


 私は大事なことを忘れていた。


「山田さん!」


 彼も、この世界に一緒に来たはずだった。声をかけなければ。


「あ、そうだ! すっかり忘れてました!」


 中村さんが声を上げる。


「そうか、ヤマダもだったな……」


 ヴェリウスさんがそうつぶやく。


(そうか、彼は山田さんを知っているんだ……)


 私たちに金貨を託して、救ってくれた件のことを思い出す。


「彼がどこかにいるか、分かりますか?」

「だが、アイツの場所までは分からないな……」

「あのー、ヤマダさんですか?」


 そばで聞いていたカイルが、あっさりと反応した。


「あの、森のヤマダさん?」

「え?」


(森のクマさんみたいな言い方……)


「ヤマダさんなら、多分知ってますよ。僕が思うヤマダさんなら」

「案内できる?」

「ええ、近いですよ。今からでも、大丈夫です」


 外は、もうすっかり夜だった。


「みんなで行くと、さすがに大所帯だな。俺と河瀬さん、中村で、カイルさんについていこう」


 黒田さんの提案に、みんなが頷いた。

 そしてアデルさんが言う。


「分かりました。こちらは魔法の準備をしておきます」


 ノエルとドロワくんに見送られ、私たちは四人で、夜の町を出た。


◆◇◆


 木々が生い茂る森を、ヴェリウスさんの屋敷で借りたランタンを片手に進む。


 やがて視界が開けた。

 テラスのような場所には、広い葉が飾りのように覆われ、今は月明かりを遮るように、影を作り出している。その奥には、洞窟のような入り口も見えた。


「ヤマダさーん!」


 カイルが、真っ先に前へ出て声を張り上げる。

 反応がない。


「ヤマダさーん!」


(本当に、ここにいるのだろうか……)


「あれ……おかしいな……」


 小声で彼がつぶやく。

 私たちも不安になりかけた、その時だった。


「います! います! ちょっと待ってください!」


 その声は、間違いなく、あの山田さんのものだった。


「カイル、さん……? どうしたんですか? こんな時間に」


 姿を見せた山田さんが、戸惑ったように尋ねる。


「急に、すみません。実は、ヤマダさんに用があって」


 そう言い終えると、カイルの背後から、黒田さんが軽く手を挙げながら歩み出た。


「お久しぶりです、山田さん」


 その後ろに、私と中村さんも並んだ。


「あれ、皆さんも!?」


 その問いに、私は答えた。


「どうも、お久しぶりです」


 久しぶりの再会だった。

 驚いた様子を見せながらも、山田さんの声にはどこか穏やかさが残っていた。


「ヤマダー、誰かきたのー?」


(まさか、この声は……!)


 青い物体が、ぴょんぴょんと跳ねながら歩いてくる。

 思わず下を向いてしまう。直視ができない。


(え、ちょっと待って、無理。はぁーつら。サプライズとか、本当に止めてほしい。幸せで人は死ぬから。窒息死するから。はぁーつら。何回、つらいって言わせるの……)


 大きく息を吸って、なんとか気持ちを整える。

 少し遅れて、小さなヒヨコと、宙に浮かぶ火の玉が、青い子の後ろからついてきた。


(過呼吸にさせるの、本当に止めて。たぶん、心拍数(B P M)200超えてるから。あれ、そこまでいったら不整脈? とにかく、舐めないでほしい……)


「人たくさんいるー」


(あー、無理。録音したい。いや、録画? この目に、焼き付けて帰れってこと? はい、分かりました。今、脳に焼き付けました。本当にありがとうございます)


「それで、用っていうのは?」

「単刀直入に言う。実は、元の世界に帰る方法が見つかったんだ」

「帰る……」


 山田さんがつぶやく。

 その間も、青い子がポヨポヨ跳ねている。


(やばい、目を逸らしてはだめ。ちゃんとこの子の姿、見ておかないと……はあ、尊い……ずっと見てられる。あぁ、山田さん……いいなぁ……いいなぁ……いいなぁ……)


「――それで、山田さんは、どうする?」


 青い子を眺めている間に、どうやら黒田さんが山田さんに経緯を説明してくれたようだった。

 山田さんは、少しの間、黙っていた。


 そして――答えた。

 

「俺は、ここにいます」


 迷いのない声だった。


「そうか……分かった」


 黒田さんが、短く頷いた。


「わざわざ、そのために来てくださったんですか?」

「ああ。山田さんにとっても、大事な話だから」

「俺なんかのためにすみません……あの、何か飲まれます? すぐ用意しますよ」

「いや、いいんだ。邪魔してすまなかった……それじゃ、俺たちは行くよ」


 私たちは礼を言い、来た道を引き返した。

 ふと振り返ると、山田さんが私たちを見送っていた。


◆◇◆


 屋敷に戻った頃には、すっかり辺りは暗くなっていた。


 そして山田さんの意思を、ヴェリウスさんに伝えた。ヴェリウスさんは、一言「そうか」とつぶやいた。


 そして、改めて私たちに向き直った。


「準備は整った。それでお前たちは、帰る意思はあるのか?」


 彼の近くに立っていた中村さんが、まず口を開いた。


「僕は――帰ります」


 中村さんは、黒田さんと私を見て言った。


「僕、ちょっと色々あって、役者辞めたいって思ってたんです。でも、芝居をしない自分に、何の価値があるんだろうって。そう思ったら、何もかも嫌になって……」


 中村さんは、何かを思い出すように言う。


「でも、ここでいろんな自分になれて、もう一度、役者になりたいって思ったんです。だから、帰ります」


 中村さんは笑顔でそう言った。


「そうか、お前は?」


 黒田さんに向かって、ヴェリウスさんが尋ねた。

 私たちに視線を向けた後、黒田さんは言った。


「俺は――ここに、残ることにするよ」


 胸が締め付けられた。

 彼は、いつもの調子で笑ってみせた。


「悩んだけどさ。俺、この世界のことも、この世界の人たちのことも、好きになっちまったんだ。こんな気持ちのままじゃ、きっと元の世界には戻れない。時空の狭間にでも落っこちるだろうな、俺は」


 その言葉には、彼らしさがあった。

 同時に、私は苦しくなった。

 きっと、みんなで同じ選択をすることを、心のどこかで願っていた。

 それでも、彼の気持ちが痛いほど分かった。いい加減な気持ちで出した答えではないことも。


「お前は?」


 私は、大きく息を吐いた。


「私は――帰ります。やりたいことが、見つかったので」

「……そうか。答えは出たな」


 アデルさんの準備は、すでに整っていた。

 ヴェリウスさんがそばに歩く。


「この空間に向かって、あなたの光をぶつけなさい。手加減は無用よ」


 そう言って、アデルさんとヴェリウスさんは、二人の両手の間に、歪んだ空間を作り出した。

 私は杖を構え、意識を集中させる。


(これが、最後……)


 その中心に向かって、これまでで一番の出力のレーザーを放った。


 直後、弾けるような音――遠くまで響くほどの、大きな音だった。

 飛び散る光。

 時空が歪む。


 小さなブラックホールのようなそれを、アデルさんが力で抑え込みながら、やがて、長方形の扉のようなものを描き出した。


「さあ、ここを抜ければ戻れます。ただし――元いた世界に戻りたいと、強く願うことを忘れないこと!」


 アデルさんの声は、厳しかった。


「あの、いいんですか?」


 カイルが彼女に尋ねた。


「私が責任を取るわ。王には私から説明します。あなたは事実を報告すればいい」

「分かりました」


 アデルさんは、それ以上何も言わせなかった。

 私は心の中で感謝した。


「じゃあ、僕から」


 中村さんが、一歩前に出る。


「ナカムラさん!」


 ノエルが、思わず声を上げた。


「あれ、名前で呼んでくれたの、初めてじゃない?」

「どうか、お元気で……」


 そう言って、ノエルが別れを告げた。ドロワくんも、黙って見守っていた。


「みなさん、ありがとう。それにクロさん、あなたに会えて良かったです。僕、ずっと忘れませんから。お元気で」

「ああ。中村も、元気でな」


 そう言い残し、彼は歩き出した。

 光の中へと、溶けるように消えていった。

 次は、私の番だった。


「姐貴……」


 ドロワくんが近寄り、声をかけてくる。


「俺……」

「ドロワくん、私たちが困ったときに助けてくれてありがとう。どうか、過去に囚われすぎないで」

「姉貴……お元気で」

「ええ、あなたもね」


 ノエルが私のそばに駆け寄る。


「マリア様……」

「ノエル……あなたは、あなただけの人生を生きて。無理に誰かの期待に応えようとしなくたって、いいんだよ。あなたなら、きっと大丈夫。私は信じてるから」

「はい……」


 そうして彼女と抱き合った。涙を流すノエルの肩をそっと包んだ。

 私は、二人に笑いかけてから、黒田さんの方へ向き直った。


「黒田さん。私たちが、いえ、私がここまで来れたのは、あなたのおかげです。本当に、本当にありがとう」

「こちらこそ、ありがとな」


 最後は、笑顔でいたい。

 なんとかこらえる。

 ふと、あることを思い出す。


「黒田さん、最後に私のお願い、聞いてくれますか?」

「なんだ?」

「手を、かざしてもらえますか」

「こうか?」


 彼が右手を差し出す。

 そして、私も右手を差し出す。

 まるで鏡合わせのように、手のひらと手のひらが、まっすぐに重なり合った。


「これは……?」


 青白い光が、彼の右手へと流れ込んでいく。


「ああ……これは……」


 黒田さんは、何かを悟ったように、静かに呟いた。


「そうか……河瀬さんには、苦労をかけたな……」


 一人で走った、あの夜のことを思い出す。


「ええ、とっても……」


 そう返すのが、精いっぱいだった。

 彼の顔を、この目に焼き付けておきたかった。


「また、どこかで」

「ああ、またな」


 この世界と、大切な人たちに別れを告げて、私はその扉をくぐった。


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