第63話:告げる者
空を覆っていた黒い渦から、白いそれはゆっくりと降りてきた。
輪郭がはっきりしない、巨大な影。表面からは、幾本もの触手のようなものが伸び、力なく揺れていた。
顔と呼べるものは、どこにもない。
それなのに、こちらを見ている、そんな感覚だけが確かにあった。
馬車を降り、それと対峙する形で、私たちは横並びに立つ。
隣に立つアデルさんが、一歩前へ踏み出した。
「まさか……」
彼女が息を呑む。
「あれを、ご存じなのですか?」
「いえ、目にするのは初めてです。ただ、例の古い書物で読んだことがあるのです。あの“白いもの”に関する記述を」
アデルさんの声は、いつもの落ち着きから、少しだけ外れていた。
「黒、赤、白。色にまつわる滅びに関する記述が、古い文献に数多く残っていました」
「色……まさか」
私はその色、その順番に心当たりがあった。
漆黒の竜。火炎の竜。そして目の前の白。
これまで私たちが、そして騎士団が退けてきたもの。
もし、その記述が本当だとするなら。
答えを求めるように、私はアデルさんを見た。けれど、彼女はそれ以上、何も言わなかった。ただ、白い影をまっすぐ見据えている。
そのとき、頭の中に、声が響いた。
音ではない。直接、脳の奥に流し込まれるような感覚だった。
『お前たちを、間引く』
顔のない白いものが、語りかけてくる。
『知能を持つ成体は、いずれ争う。奪い合う。殺し合う。それだけなら、まだいい。星が傷つく。生きるものすべてが、それに巻き込まれる。だから、間引く。その時が来た』
(間引く……そんな理屈で)
私はその言葉を、まだ受け止めきれずにいた。
『この星に限った話ではない。これまでも、幾度となく、同じことを繰り返してきた。それが、文明の末路だ』
私の隣で、オルドランが低く呟いた。
「何を言っているのか、理解に苦しむな。だが、言葉を交わしたところで、分かり合えるとも思えない」
聖騎士の目には、すでに覚悟を決めた光があった。
『それでは、まずはお前たちから、間引くとしよう』
「どうやら衝突は避けられないようだな」
その言葉を合図に、アデルさんが右手を掲げる。手のひらの上に、赤々とした炎の塊が集まっていく。
「まずは私から、試させていただきます」
そう言って放たれた炎が、白い影に直撃した。
爆ぜるような音。熱の余波が、こちらの頬にまで届く。
(すごい……)
けれど――煙が晴れたそこには、傷ひとつない白があった。
「そうですか、これを耐えるのですね」
アデルさんの声には、驚きよりも、観察者のような落ち着きがあった。
彼女の目つきが、わずかに変わる。値踏みするような、静かな光。
「それでは、これはどうですか?」
今度は、幾重にも圧縮した黒い炎を、右手に集めていく。それを乱暴に握り込むと、相手に叩きつけるように放った。
直後、激しい爆発音と閃光。
煙が巻き起こると、辺りは灰色に包まれる。
やがて煙が晴れると、その表面は黒く焼け焦げていた。
「少しは効いたかしら?」
アデルさんが不敵な笑みを浮かべる。
『ほう……中々、やるようだな』
焼け焦げていたはずの箇所が、ゆっくりとうごめき、みるみるうちに元通りになっていく。
「再生……」
それ以上、誰も何も言えなかった。風の音だけが、やけに大きく耳に届く。
その沈黙を破るように、再びあの声が響いた。
『この星の文明も、それなりのレベルにあるようだな』
近くで誰かの剣を抜く音がした。この場にいる全員が次の一瞬に備えていた。
『それでは、これならどうかな?』
言葉と同時に、白い影の一部が、鋭く尖った。
槍のように、いや、無数の刃のように形を変えたそれが、うねりながら、こちらに向かって一斉に伸びてくる。
(来る……)
私は反射的に、杖を構えた。
得体の知れない何かと、これから命を懸けて戦わなければならない。
そのことだけが、確かな事実として目の前に迫っていた。




