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第62話:教官とドライバー

 馬車が動き出してすぐ、御者台に座るカイルが、大きくあくびをした。


「んー、よし……それじゃ行きますよー」

 軽い掛け声とともに、馬車がゆっくりと速度を上げていく。


(昨日、お酒飲んだって言ってたよね、この人……馬車、大丈夫なのかな……)


 飲酒運転という言葉が頭をよぎる。


(いや、馬車に飲酒運転なんて概念あるのか……昔の人ってどうしてたんだろ……)


 そんなことを考えていると、隣に座るアデルさんが、静かに口を開いた。


「あなた、王国騎士団としての自覚はあるのかしら?」


 それは鋭く、強い声だった。


「へ?」


 カイルが、驚いたように振り返る。


「さっきから黙って聞いていれば……遅刻はするわ、前日にお酒は飲むわ。まったく、嘆かわしい!」

「え……」


(あれ、アデルさん……)


「騎士道とは、その精神にこそ本質があるのです。そもそもあなたは――」


(やばい。お説教が始まった……)


 子供たちを相手にする彼女は、優しいおばさまだと思っていたが、見る影もなかった。

 ノエルと二人で、その光景をじっと見つめる。

 カイルは手綱を握りながら、肩をすくめた。


「はい、はい……すみません……」


 小声で、そう答えている。

 まるで、運転中の教習生に、助手席から教官がねちねちとその技術にケチをつけているような光景だった。


(地獄だ……)


「……あの、マリア様」


 ノエルが、小声で私に話しかけてきた。


「こんな話を聞いたことがあります。アデル様は、かつて魔法研究室時代、ストイックな姿勢で研究を続け、室長の地位まで登り詰めたと。厳しい指導でも有名な方だと、以前父上から聞いたことがあります」

「有名人だったんだ」

「はい。アカデミーに移られてからは、うってかわって子供たちには優しい指導をなさっていると聞いていましたが……」

「そうなんだ……」


(中村さんがいたら、アデルさんに叱られてたかもなぁ)


 そんなことを思いながらも、BGMのように、アデルさんのお説教はずっと聞こえていた。そのテンポは徐々に速度を上げていた。


「……すみませんでした。心を入れ替えて励みます……」

「分かればよろしい」


 お説教が終わったようだった。


「すみません、お二人にはお見苦しいところをお見せしましたね」


 アデルさんが、穏やかな笑顔で私たちに話しかけてくる。話す速度は、ゆっくりとしたものに戻っていた。


(切り替え、早い……)


「いえいえ、とんでもないですー」


 私は戸惑いながらも、なんとかそう返した。


(私もだらしない姿を見せたら、お叱りをもらいそう……)


 気をつけなければと、思わず背筋を伸ばした。


◆◇◆


 開けた平原を、二台の馬車が進んでいく。


(あっちの馬車、どんな会話してるんだろうなぁ)


 前を行く、もう一台の馬車のことを考えていた、その時だった。


「なんだ、あれは!?」


 オルドランの声が響いた。

 私たちの進む先、斜め上の空に異変があった。

 馬車の窓から顔を出し、覗き込む。

 空を覆う雲が、黒く渦を巻いていた。


(局所的な竜巻……? いや、あんなもの、見たことがない)


「団長! このまま進みますか!?」


 カイルが声を張り、オルドランに尋ねる。


「妙だな……迂回するか」

「了解です。では進路を変えて――」


 そう言いかけた、瞬間だった。


『時は満ちた』


 その声が、私の脳裏に響いた。


 空の渦から、白い巨大な何かが降りてくる。

 息ができない。

 私は、本能で理解した。


 その何かは、私たちを終わらせるものだということを。


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