第58話:奇跡の人
目が覚めた。
カーテンの隙間から、柔らかい朝の光が差し込んでいる。
しばらく天井を見上げた。上品な装飾が施されている。
ああ、伯爵邸だ、と思い出した。
そして朝食の席でも、伯爵家の財力を思い知らされた。
昨夜の夕食も十分すぎるほど豪華だったが、朝からこれほどとは思ってもいなかった。
焼きたてのパン、湯気の立つスープ、色とりどりの果物。給仕が次々と料理を運んでくる。
(朝からフルコース……)
中村さんが「すごいなぁ」とつぶやく。
ドロワくんは昨夜と同じように背筋をまっすぐに伸ばして、黙食をしていた。
出発の前には、伯爵が玄関まで見送りに来てくれた。
「昨夜はゆっくり休めましたか」
「はい、おかげさまで。本当にありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ」
伯爵は穏やかに微笑んだ。それから、少しだけ表情を改めた。
「娘のことを、どうかよろしくお願いいたします」
「はい」
隣でノエルが「お父様、もう」と小さく言った。伯爵はちらりとノエルを見て、また私に視線を戻した。
「それでは、お気をつけて」
伯爵が深く頭を下げた。
◆◇◆
伯爵邸を出たのは、朝のうちだった。
昨日、オルドランが帰り際に言っていた言葉を思い出す。
『手はずを整えるため、明日の昼過ぎに城の前に来てもらえますか』
まだ時間はあるようだった。
「せっかくですし、少し寄りたいところがあるんですが」
中村さんが言い出した。
「俺もいいかな」
黒田さんが続く。
「あの、私も」
ノエルも言った。
ドロワくんは「うす」と短く返事をした。
「それじゃあ、昼過ぎに城の門の前で集合ということで」
それを合図に、それぞれの方向へ散らばっていった。
気づけば、私は一人になっていた。
辺りを見渡すと、沿道には黄色い花々が飾られたままで、風に揺れていた。
石畳の隙間にも花びらが挟まっていた。通りを行き交う人々の表情も、どこかまだパレードの空気を引きずっているようだった。
しばらく歩いてから、広場のそばのベンチに腰を下ろした。
いよいよ今日だ。
ヴェリウスさんのところへ行って、書物の内容を確認して、その先は――
(その先は、どうする……?)
中村さん、黒田さんは本当に帰りたいと思っているのだろうか。帰ったら、何をするんだろうか。
私はきっと、また脱毛クリニックで働いているのだろう。
(仕事か……私、何で看護師になったんだっけ……)
その時、近くから男たちの声が聞こえてきた。
「なあ、通りのミレーヌさんの話、聞いたか?」
「知らないよ。で、何があったんだよ」
「異国の旅人が店にやってきて、白い百合を買ったんだと。なんとその支払いは“金貨”だったんだ」
「金貨って、お前……そんな高い花、店で売ってるのか?」
「そんなわけないだろ。釣りは要らねえって、大金を渡したんだよ」
「大富豪かよ」
何やら男たちは、噂話に熱を上げているようだった。
「話はそこで終わらねえんだ……なんと、その百合の花から、宝石が出てきたってさ」
「宝石……?」
「ああ、花弁に埋もれてたんだと。旅人は『あんたのもんだ』って言って、ミレーヌさんに差し出して去ったらしい」
「そんなこと……それ、ミレーヌさんの嘘って可能性は――」
「ば、ばか! ミレーヌさんがそんなこと言うわけないだろ! あの人の悪口言うなら、ぶ、ぶっ飛ばすぞ!」
「動揺しすぎだろ……あっ、お前、ミレーヌさんのこと――」
「う、うるせえ」
(……花から宝石か)
不思議な話があるものだ、と思った。
異国の旅人、というのも少し気になった。
この世界は色んなことが起こるらしい。
私は立ち上がって、空を見上げた。
綺麗だった。そろそろ行くか。
歩き出したその時だった。
「あっ、姐さん!」
振り返ると、中村さんが小走りで近づいてきた。
「ちょうど良かった。一緒に行きましょうよ」
「ええ」
そうして私たちは、目的の場所に向かって歩き出した。




