第57話:因果律のウィットネス
扉の向こうには、見知らぬ男が立っていた。
白髪に、整えられた髭。隙のない立ち姿。
傍らに騎士を一人連れている。年配だが、その目には静かな力があった。
男は広間に一歩踏み入ると、深く頭を下げた。
「陛下、突然の無礼をお許しください」
低く、よく通る声だった。
黒田さんも中村さんも、同じように男を見ていた。
その時、隣でノエルが小さく息を呑んだ。
「……お父様」
(お父様……?)
私は思わずノエルを見た。
「ロシュフォード伯爵」
王が静かに言った。
「いかがなされましたか」
「今まさに議論されている彼らに関して、お伝えしたいことがございます」
伯爵はゆっくりと顔を上げた。そして、真っ直ぐに王を見た。
「彼らの身元は、私が保証いたします」
広間が、しんと静まり返った。
「彼らは先日、ロシュフォード家が支援する孤児院に、多額の寄付をしてくださいました。正確には、金貨52枚」
王は黙って聞いていた。
「あ、50枚じゃなかったんだ……」
横にいる中村さんが、私だけに聞こえる声で小さくつぶやく。
「……加えて、渓谷に現れた漆黒の竜を討伐したのも、この方たちです。そして何より……」
伯爵の声が、わずかに変わった。
「その場に居合わせた私の娘、ノエルの命を救ってくださいました」
ノエルが小さく「お父様……」と呟いた。
「これが、彼らが信頼に足る証です」
静寂が訪れる。
王はただ、伯爵を見つめていた。
「もし彼らが良からぬ者たちであったのなら……私を投獄でもなんでも、してくださってかまいません」
「お父様!」
ノエルの声が広間に響いた。伯爵はノエルをちらりと見て、しかしまた王へ視線を戻した。
「私は、この者たちが信頼に足る者だと確信しております。どうか、彼らの無礼をお許しください。そして……彼らの希望を、叶えてやっていただけないでしょうか」
誰も口を開かなかった。
王はゆっくりと目を伏せた。
長い沈黙だった。
広間の空気が、静止したままどこにも動かない。
やがて、王はゆっくりと顔を上げた。
「……ロシュフォード伯爵に、そこまで言われてしまうとは」
少しだけ、その口元が緩んだ。
「それに、聖騎士からも強い推薦があっては、無下に断るわけにはいかないな」
王は私たちを見た。
「君たちの望む通りにしよう」
(やった……!)
「ただし」
王の声が、また静かになる。
「この話は、この場にいる者だけに限る。決して他言無用だ」
「分かりました」
私は深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「今日はもう遅い。準備は明日、改めて行うこととしよう」
そう言って、王はゆっくりと立ち上がった。
◆◇◆
王の間を出ると、廊下にロシュフォード伯爵が待っていた。
「あの、ご紹介が遅れました」
改めて名乗る。黒田さんと中村さんも続いた。ドロワくんは、少し遅れて小さく頭を下げた。
「先ほどは本当にありがとうございました」
「いえ」
伯爵は穏やかに首を振った。
「娘がいつもお世話になっております」
「ノエルさんには、こちらこそ助けていただいて……」
隣でノエルが、どことなく得意げな顔をしていた。
中村さんがじとっとした目で私を見た、気がした。
「本日はありがとうございました」
伯爵が改まって言う。
「よろしければ、今夜は我が家にお泊まりになりませんか。せめてものお礼をさせてください」
「いえ、そんな……お気になさらず」
「マリア様!」
ノエルが身を乗り出した。
「ぜひ! 私からもお願いします!」
そう言って、深々と頭を下げる。
伯爵も静かに頭を下げた。
「……それでは、お言葉に甘えて」
◆◇◆
案内をされながら、街を歩いた。
夕暮れの石畳が橙色に染まっている。しばらく進むと、伯爵が足を止めた。
「こちらです」
私は思わず立ち止まった。
目の前に、広大な屋敷がそびえていた。
(まさか……)
「はい」
伯爵が穏やかに微笑む。
(いや、ちょっと良いところの子くらいかと思ってたけど……)
想像の100倍、上だった。
◆◇◆
夕食は、言葉を失うほど豪華だった。
次から次へと運ばれてくる料理。磨き上げられた食器。給仕の人数だけで、私たちのパーティーより多い。
(フルコースじゃん……)
中村さんが「これ全部食べていいんですか」と小声で聞いてきた。私は「大丈夫でしょ」とだけ答えた。
ふと視線を向けると、ドロワくんが背筋をまっすぐに伸ばし、丁寧に食事をしていた。
そして、彼は一言も発せず、その気配すら薄かった。
(……相変わらずだなあ)
しかしすぐに、確かにこの家の中だと緊張しちゃうなあと思い直した。
◆◇◆
案内された寝室に入った瞬間、言葉が出なかった。
広い。天井が高い。調度品が全部上品だ。
私はベッドに腰を下ろした。
今日だけで、色々ありすぎた。
(でも、明日からが本番だ)
書物のこと。滅びのこと。帰る方法のこと。
やることは山積みだ。
(さすがに疲れた、今日はもう寝よう……)
私は明日に備えて、ゆっくりと目を閉じた。




