第55話:境界のゲートキーパー
テラスには、穏やかな風が吹いていた。
しばらく、黒い飲み物を囲んだ静かな時間が流れる。
「……素晴らしいですね」
黒田さんの呟きに、オルドランが満足そうに頷いた。
「分かってもらえて嬉しい」
二人は、すっかり意気投合しているようだった。
「そういえば」とオルドランが立ち上がり、しばらくして戻ってきた。手にはオレンジジュースがある。
「君にはこちらを」
中村さんが目を輝かせる。
「ありがとうございます!」
一口飲んで「美味しい!」と感想を漏らす。
それを見て「良かった」とオルドランが小さく笑った。
「それで、古い書物についてだったな」
空気が少し変わった。
「はい」
一度息を整える。
「辺境で、ヴェリウスという魔道士に会いました」
オルドランが静かに頷く。
「元々は王都の魔法研究に関わっていた人らしくて……“世界の滅び”について調べていたそうなんです」
「世界の、滅び……?」
低く反芻する声。
「はい」
私は頷いた。
「最近の魔物の凶暴化とか、強い竜の出現とも関係しているかもしれないと」
少しだけ間を置く。
オルドランは腕を組み、黙って話を聞いていた。
「それで、その人が言うには……王都に、昔の研究資料が残っているらしいんです」
「もし可能なら、見せてもらえないかと思っていて」
「ふむ……」
オルドランが少し考え込む。
「ただ……ヴェリウスさんの話だと、終末への不安が広がれば人々が混乱するからと、国王自ら研究を止めるように言ったらしく……」
そのときだった。
「……待ってくれ」
オルドランの表情がわずかに変わる。
「陛下が研究を止めた?」
「はい」
私は頷いた。
「そう聞いています」
少しの沈黙。
彼は何かを考えるように視線を落とした。
「その話は……最近のことではないのではないか?」
「え?」
「現在の国王陛下が即位されたのは数年前だ」
静かな声だった。
「少なくとも、私はそのような話を聞いたことがない」
「もし事実なら……前国王陛下の時代かもしれない」
(前国王……?)
私は少しだけ目を瞬かせた。
そういえば、ヴェリウスさんの研究室には、古い本が山ほど積まれていた。
時間の感覚も、どこか遠い記憶を思い出すように語っていた気がする。
『どうしても受け入れることはできなかった』
あのときの声を思い出す。
(……たしかに、最近の話ではなさそうだったかも……)
私はあまり気にしてなかった。
「そうかもしれません」
私が言うと、黒田さんも小さく頷く。
「相当長い間、研究を続けているようにも見えた」
「そうですね、そんな感じがします」
中村さんも静かに同意した。
オルドランは短く息を吐く。
「正直、現国王陛下が事情をご存じかは分からない。だが……」
彼の目が真っ直ぐこちらを向く。
「次々と現れた竜の件もある。それに、魔物に関しては騎士団内でも異常な報告が増えている……正直、全部を信じ切れているわけではない。でも、最近のことを見ると、全くの嘘とは思えない」
オルドランは静かに頷く。
「陛下に一度、話をしてみよう」
それともう一つ――私たちが別の世界から来たこと。
言うべきか迷った。ヴェリウスさんの研究の証でもあるからだ。
それに、目の前の騎士は悪い人には見えない。
むしろ、誠実で信用できそうな人だ。
それでも、まだ会ったばかり。まだそのことは言わないことにした。
しばらくして、オルドランが少しだけ申し訳なさそうに言う。
「ただ……今、陛下は別件の来客対応中なのだ。間もなく終わる頃だと思うのだが……」
「構いません、待ちます」
「そうか。それではもう少し、ここで待っていてくれ」
「もちろんです」
私は頷いた。
オルドランは立ち上がり、静かに奥へと消えていき、私たちはテラスに残される。
しばらく沈黙が続いたあと、黒田さんが口を開いた。
「……もしもの話だが」
珍しく、少し歯切れが悪い。
「ダメだった場合は……どうする?」
「そうなったら、その時また考えましょう」
自然と、そう言葉が出た。
「きっと方法はあるはずです」
「そうそう」
中村さんが軽く手を叩く。
「ポジティブポジティブー。なるようになりますって」
それを聞いて、黒田さんは小さく笑った。
「……そうだな」
風が、ゆるやかに吹き抜けた。
それからどれくらい経っただろう。
足音がして、オルドランが駆け足で戻ってきた。
「確認が取れた。国王陛下が、君たちと直接お会いになりたいそうだ」
私は止めていた息を静かに吐いた。
ずっと閉じていた何かが、少しだけ動いた気がした。




