第54話:黒の愛好者
「少し、場所を移してもよいか」
オルドランが静かに言った。
振り返ると、通りの向こうで人々がこちらをちらちらと見ている。重厚な鎧の聖騎士と、見慣れない一行。
目立つのは当然だった。
「ええ、構いませんよ」
「それでは、城のテラスへ案内しよう。そこなら落ち着いて話せるはずだ」
◆◇◆
城の内部を抜け、開けたテラスへと出た。
石造りの手すりの向こうに、王都フィリアの街並みが広がっている。祭りの余韻が残る街は、まだどこか賑やかだった。
「良い眺めだろう」
「はい……すごいですね」
私は思わず呟いた。
テラスには丸テーブルと椅子がいくつか置かれていた。全員が席に着くと、オルドランは改めてこちらを見渡した。
「まず、確認させてくれ」
「はい」
「君たちが、『ダリオスの翼』で間違いないか」
「はい、そうです」
オルドランは一度、深く息をついた。
「……そうか」
その声に、妙な重みがあった。
オルドランは続けた。
「以前から、ダリオスの翼という名は耳にしていた。当初は女性二人と男性一人の冒険者だと聞いていたが……メンバーも増えたようだな」
そう言って、ノエルとドロワくんに目をやる。
(中村さんは男性なんだけど、説明が面倒だからそのままにしておくか……)
「いつかお会いしたいと思っていた。そして、今日、部下から報告を受けた」
オルドランは真剣な顔で続ける。
「盗賊団の件だ。あれほどの人数を捕らえて、王都まで連行したと」
「はい」
「あ、最初に捕まえたのも、僕たちなんですけどねー」
中村さんが口を挟む。
「そうだったのか……我々の不手際もあり申し訳ない」
「いえいえ」
「もう一つ確認させてくれ。“あの竜”を討伐したのも、君たちなのか?」
(ああ……広場の一件がもう広まっていたのか)
「……はい、そうです」
「そうか……」
私が答えると、オルドランはしばらく黙った。
「騎士団でも、討伐を検討していた。だが団員の命の保証ができず、手が出せずにいた。あの竜がどれほどの脅威だったか、私は誰よりも分かっている」
静かな、しかし重い言葉だった。
「あなたが、それをやり遂げたのか?」
「みんなのおかげです」
私は短く言った。
「……そうか」
彼はもう一度息をついてから続けた。
「ずっと前から、君たちのことが気になっていた」
オルドランは真剣な目でこちらを見た。
「傷ついた者を無償で助け、報酬も受け取らず去っていく者たちがいると聞いた。竜を討伐した者たちがいることも聞いた。だが、どこへ行っても素性が分からなかった。得られた手がかりは、色の変わる奇妙な宝石を持つという女性の存在だった」
(ああ、これか……)
私は背中に背負う杖を取り出した。
「あなただったのか……」
「そうみたいですね」
テラスに、風が流れた。
私は黒田さんを見た。黒田さんは無言で前を向いている。中村さんは穏やかな顔をしていた。ドロワくんは少し緊張した様子で背筋を伸ばしている。ノエルは静かに話を聞いていた。
「……どうして、私たちのことを?」
私は聞いた。
「あなた方に感謝を申し上げたかった。そしてこの世界に必要な存在だと思っている」
オルドランは真っ直ぐに言った。
「力があっても、名声を求めない。傷ついた者を見れば助ける。それは、言葉にすれば簡単だが、実行できる者は少ない」
(……そんなご立派なことをしてきたつもりは、1ミリもないんだけどなぁ……)
私はなんだか気恥ずかしくなった。
「本当に、大したことはしていませんよ」
「そう思えることが、あなたらしい……」
オルドランは穏やかに言った。
そのとき、日差しが少し強くなった気がした。
「……そうだ」
オルドランが立ち上がった。
「話し込んでしまった。何か飲み物を持ってこよう。少し待っていてくれ」
「あ、できれば冷たいものを!」
中村さんがすかさず言った。
「ちょっと!」
私は中村さんに思わず突っ込みを入れる。
「ああ、いいんですよ。お構いなく」
聖騎士は特に気にした様子もなく、そのまま席を外した。
◆◇◆
しばらくして、オルドランが戻ってきた。
手には、いくつかのカップ。そしてその中に注がれていた液体は――
黒かった。
「お口に合うか心配なのだが……」
オルドランがカップを並べながら言う。
私は一瞬、固まった。
(これ……)
「ありがとうございます。コーヒー、ですか?」
思わず口から出ていた。
オルドランの手が、止まった。
「……知っているのか?」
「ええ、ブラックコーヒーですよね?」
「君たちは、いったい……」
その騎士は、信じられないという顔でこちらを見た。
(変なこと言ったかな……?)
「あ、僕は苦手なので、他のものをいただけますか。オレンジジュースとか。いてっ!」
中村さんが調子に乗っていたので、とっさに肘で小突く。
「あ、ああ! あとで持ってこよう」
オルドランは、一瞬残念そうな顔をしてそう答えた。
「これ、初めて見ました」
ノエルが黒い液体を覗き込む。
「自分も……なんですかこれ?」
ドロワくんも興味深そうに見ている。
「いただきます」
黒田さんがカップを手に取り、一口飲んだ。
少し間があった。
「……美味い」
黒田さんがぽつりと言った。
「そして、なんだこれは。力がみなぎる気がする」
「おお!」
オルドランの目が輝いた。
「あなたには分かるか!?」
「ええ、素晴らしいです!」
「ああ、良かった……」
オルドランが遠い目をした。何を見ているんだ。
「ところで、これはどうやって?」
黒田さんがカップを見ながら聞いた。
「驚かないで聞いてほしいのだが……」
オルドランが少し照れたような顔をした。
「“水”から、作ったのだ」
「……水から?」
「ああ。できるまでに、時間がかかったのだが……」
黒田さんがカップを見た。
少しだけ香りを確かめるように鼻を近づけ、一口飲む。しばしの沈黙。
「……なるほど」
「驚かないのか……?」
「驚いていますよ」
「そうか、やはり――」
「この世界で“コールドブリュー”が飲めるとは!」
「え……?」
「まさかこの世界で、ここまでの一杯に出会えるとは……! そして何より、あなたの熱意と技術。私はあなたを、心から尊敬します!」
「お、おお……正直よく分かっていないのだが、褒めていただいて光栄だ!」
そう言うと、二人は固い握手を交わしていた。
面倒なので、私は黙っていることにした。
(コールドブリューって、たしか水で抽出するやつだっけ?)
私はコーヒーに疎いが、目の前の二人がこの飲み物を愛してるということだけは伝わってきた。
テラスに、穏やかな風が流れた。
王都の街並みを背に、聖騎士と私たちは黒い飲み物を囲んでいた。
しばらくして、オルドランが改めてこちらを向いた。
「そうだ、本題を忘れるところだった。魔法研究に関わる古い書物について、確認したいことがあると聞いた。詳しく聞かせてもらえるか?」
私は気持ちを引き締めて、口を開いた。




