第49話:レクイエムの男
「俺に任せろ」
背後から響いた低い声に、私ははっと振り向いた。
そこに立っていたのは、巨大なハンマーを肩に担いだ大男だった。
褐色の肌に、岩のように盛り上がった筋肉。
そして、スキンヘッドの頭。
「ドロワくん!」
彼はニヤリと口元を吊り上げた。
「よう、姐さん」
隣で黒田さんが目を細める。
「知り合いか?」
「うん。前に知り合ったんだよ。頼りになる人だよ」
中村さんが小さく「大丈夫かな……」と呟いた。ノエルは無言のまま、様子を見守っている。
彼はゴーレムを見据えたまま、大鎚を握り直した。
「あいつを倒せばいいんだな?」
「うん、できる?」
「余裕だ」
私は一歩踏み出した。
「お願い。無茶だけはしないで」
彼は笑みを浮かべて答えた。
「当たり前だ!」
そう叫ぶと同時に、地面を蹴った。
巨体とは思えない速さだった。ゴーレムの腕が振り下ろされる。だが彼は紙一重でそれを躱し、懐へ飛び込んだ。
「オラァァ!」
大槌が叩き込まれる。轟音とともにゴーレムの胸部に衝撃が走り、巨体がぐらりと揺れた。間髪入れず体を捻り、今度は横薙ぎに叩きつける。鈍い音が森に響いた。
「すごい……!」
私たちの攻撃ではびくともしなかった相手が、後退している。みんな、息を呑んで見つめていた。
だが次の瞬間――ゴーレムの脚が跳ね上がった。
鋼鉄の蹴撃が横殴りに迫る。
彼は咄嗟に大槌を構えた。
激しい衝突音。
「ぐっ……!」
受け止めたはずなのに、体が大きく押し戻された。靴底が地面を削り、土が跳ねる。数歩後退して、ようやく踏みとどまる。大槌を握る腕がわずかに震えていた。
「……蹴りもあるのかよ」
一瞬の静止。
それでも、その顔に笑みが浮かんだ。
「やるじゃねえか!」
再び地面を蹴る。さっきより速い。
ゴーレムが腕を振るうより先に、大槌が胴体へ叩き込まれた。二撃、三撃。重い打撃音が連続して森に響く。ゴーレムの巨体が、じりじりと押し込まれていく。
「こんなもんかよ!」
そして最後に大きく踏み込み――
「終わりだァァ!」
全身を捻った横薙ぎの一撃。
大槌がゴーレムの頭部を横から捉えた。
轟音。
巨体が地響きを立てて倒れ伏した。
そして、静寂が戻る。
土煙がゆっくりと晴れていく。
「ドロワくん!」
駆け寄ると、彼は片膝をついていた。肩で息をしている。額に汗が光っていた。
「大丈夫!?」
「ああ、大したことねえ……」
私はゴーレムへ目を向けた。赤い目は消え、完全に停止している。巨大な体が地面に横たわったまま、もう動く気配はない。
ほっと息をついた、その時だった。
かすかに、赤い光が灯った。
だが、危険な気配は感じない。
私はそっと、巨体の額に手を触れた。
かすれた機械の声が漏れた。
「ワタシは……役目ヲ……果タセ……マシタカ……マスター……」
そう言い残して、赤い光は静かに消えた。
私はその場にしゃがんだまま、消えた赤い光を見つめた。
この機械が何を果たそうとしていたのか、もう知ることはできない。
振り返ると、ドロワくんが立ち上がろうとしていた。
「クソっ」
「待って、手当するよ」
「しなくていい」
「なんで?」
「仲間なんていらねぇ」
「どうして? 助け合ってもいいはずだよ」
彼は黙った。
少しの間があって、ぽつりと言った。
「仲間なんて……いらないんだよ。大切な人を守れない、仲間なんてな」
私は何も言えなかった。
ドロワくんは、視線を落としたまま話し始めた。
「ガキの頃、近所に姉ちゃんがいた。明るくて、誰に対しても優しかった。太陽みたいな人だった。どんな時でも、姉ちゃんだけは俺のことを真っ直ぐに見てくれた。ある日、姉ちゃんは『冒険者になるんだ』って言って、仲間と山に向かった」
拳が、ゆっくりと握られる。
「俺はずっと待ってた。何日も、何日も」
風が木々を揺らした。葉の擦れる音だけが、しばらく続いた。
「でも帰ってこなかった。大人たちは、山のモンスターにやられたんだろうって。それで終わりだった」
「……」
「何が仲間だよ。守れよ。姉ちゃんを助けろよ。仲間ならよ」
怒鳴るでもなく、ただそう言った。静かな声だった。
「ガキだった俺は、何もできなかった。毎日、山の方ばっか見てた。いつか、姉ちゃんが帰ってくるかもしれねえって」
彼は小さく息を吐いた。
「でも来なかった。だから、強くなろうと思った。一人で全部叩き潰せるくらい、強くなってやるってよ」
彼は膝に手をついたまま、続ける。
「町を出て、手当たり次第にモンスターとやり合った。何度も死にかけた。でも、俺は強くなったんだよ。それでようやく、あの山のモンスターを俺の手でぶちのめしてやろうと思ったら、もう他の奴にやられてた」
彼はぽつりと言った。
「俺が何年も必死こいてたのに、他の野郎にあっさり倒されてたんだ。そんな奴に、姉ちゃんは殺されたのかって思ったらよ……」
しばらく、沈黙が続いた。
「姉ちゃんも、俺も、本当に……馬鹿みてえだ」
私は言葉を探した。でも、見つからなかった。
彼の痛みに触れられるものが、私にはない。
分かったふりも、慰めも、正しくないと思った。
だから、正直に言うしかなかった。
「ドロワくん」
彼が顔を上げる。
「君の思いを理解してあげることは、きっとできない」
彼は自嘲するように笑った。
「分かってたまるかよ」
「うん」
私は一歩近づいた。
「それでも私は、あなたに救われたよ」
彼の瞳が、大きく揺れた。
「助けてくれて、本当にありがとう」
彼はそのまま、私を見つめていた。
何かを言おうとして、言葉にならない。
唇が震える。
肩がわずかに揺れた。
「……姉、ちゃん……」
声が、割れた。
次の瞬間、堰を切ったように泣いた。
大きな体を震わせながら、子どものように。
私は何も言えず、ただそこに立ち尽くしていた。
森の中に、彼の嗚咽だけが静かに響いていた。




