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第47話:孤高の求道者

 目を覚ました瞬間、頭の奥がずきりと痛んだ。

 昨夜の酒が残っているらしい。

 顔をしかめながら、それでも思い出した。


 私たちは遊びに来たわけじゃない。

 ヴェリウスさんに聞きたいことがあって、ここまで戻ってきたのだ。

 もしかしたら、元の世界につながる“何か”を握っているかもしれない。


 そのことを思い出した途端、胸が妙に落ち着かなくなった。

 帰れるかもしれない。そう思うだけで怖かった。

 もし違ったら。もし何も分からなかったら。

 期待した分だけ、裏切られた気持ちになるかもしれない。


 それでも――確かめずにはいられない。


 私は急いで部屋を出た。

 廊下には、すでに中村さんと黒田さんがいた。


「おはようございます」


 中村さんが言う。

 いつもの軽い調子ではない。

 黒田さんが静かに言う。


「ヴェリウスさんのところ、だよな」

「ええ」


 その言葉に、私は小さく息を吐いた。

 そこに、ノエルもやってくる。


「マリア様、おはようございます」

「おはよう」


 ふと、昨日ようやく会えた彼のことを思い出す。


「そういえば、山田さんは?」

「まだ眠っているみたいだ」


 黒田さんが教えてくれた。

 それならちょうどいい。


「それじゃ行きましょうか」


 私たちはヴェリウスさんの屋敷へ向かった。


 朝の空気は静かで冷たい。

 昨日のような騒がしさはなく、足音だけがやけに大きく感じる。


 胸の鼓動が速い。

 帰れるのか。帰れないのか。

 その答えが、もうすぐ分かる。


 屋敷に入ると、ヴェリウスさんは一人で椅子に座っていた。


「……来たか」


 いつもと変わらない声だった。

 その落ち着きが、かえって緊張を強める。

 私は息を整えた。


「聞きたいことがあります」

「元の世界へ帰る方法、だろう」


 見透かされたように言われて、うなずくことしかできなかった。

 ヴェリウスさんはしばらく黙り、それから静かに口を開いた。


「……そうだな、まずは私の昔話をしよう」


 自然と背筋が伸びた。


「私はかつて、王都の研究機関で、魔法の研究員をしていた」


 意外だった。

 ただの変わり者の、魔道士じゃなかった。

 王都で研究をしていたなんて。


「人々に役立てるための魔法研究をする。それが、私たちに課せられた役目であり使命だった。私は、研究室の筆頭研究員として、魔法の可能性を探っていた。魔法は、世界の歴史と密接な学問だ。新たな可能性を探るため、王都の書物庫で古い歴史書に手を伸ばした」


(そんなことを……)


「それは、翻訳が未完全な書物だった。言語学者にも協力を仰いだ。そうやって調べを進めていたとき、ある記録を見つけた。それは、この世界が周期的に大きな『災い』に見舞われるという記述だ」

「災い……?」

「ああ。滅びが訪れると言っていいだろう。過去の記録には、数えきれないほどの命が失われたとある」


 その言葉に、空気が張り詰める。

 誰も口を開かなかった。


「最初は、単なる自然災害の類いだと思った。地震や嵐など、考えられるものを当てはめてみた。だが、それらのどれとも異なっていた。恐らくは『絶望』のような概念。そして、次の周期が近いことも分かった」


 ヴェリウスさんは淡々と語る。

 だが、その内容は重かった。


「過去の歴史においても、『絶望』を克服しようと試みた者の存在が分かった。時に抗い、時に回避しようと心血を注いでいた。しかしその結果は、どれも失敗に終わった。ただ、魔法の分野において、私はある可能性を見いだした」

「それは、いったいなんですか?」


 私は尋ねた。


「それは、これだ」


 ヴェリウスさんは、右手を何もない空間に差し出して力を込めた。その瞬間、空間が歪んだ。


「異空間魔法。その応用による『転移』だ」


 それは私たちも教わり、今も活用しているものだった。


「古代人は、別世界へ移動する方法も研究していた。おそらくは災いから逃げるため。私はその方法を解き明かそうとした。だが、研究室ひいては国王はそれを認めなかった」

「どうしてですか?」

「この研究は終末から逃げるためのもの。もし終末を告げる伝承が人々の間に広まれば、不安と混乱が生まれる。国王はそれを恐れた」

「そんな……」

「統治者として、あながち間違いではない。本当に起こるか分からない滅びのために、今を生きる人々を不安に陥れる。それだけは避けたいというのも理解できる」


 ヴェリウスさんは静かに続ける。


「この調査と研究を止めるように説得された。その代わり、今後の地位や待遇はこれまで通り保証すると。だが――」


 ヴェリウスさんは、ひと息ついて告げた。


「どうしても受け入れることはできなかった。破滅的な未来が起こるかもしれない。その時に、それを回避できる方法があるかもしれない。それを知りながら何もしないことなど、私にはできなかった。そして私は知りたかった。魔法の可能性を」


 その声に、はっきりと意志が宿る。


「だから私は、職を辞して王都を去ることにした。止める者はいたが、最後まで私の考えに賛同する者はいなかった」


 私は黙ってその言葉を聞いた。

 この人は本気だったのだ。


「それで、この場所で研究を?」

「ああ。滅びの正体は分からない。ならばせめて、来たるべき日に備えて、人々が別世界へ逃れられるように、その道を作っておきたかった。そして、この場所で研究をするようになってから、モンスターの凶暴化が進み、強大な竜も出現するようになった。私にはどうしても、これら世界の異変が偶然の出来事だとは思えなかった」


 私は言葉を失った。

 この人は、一人で研究を続けていたのだ。


「ただ、上手くいかなかった。実験は失敗した。逃げ道を開くはずが、お前たちを呼び込んでしまった」


 胸の奥が冷える。


「だが、大きな前進だった。この世界とは違う世界から、お前たちを転移させることができたのだからな」


 ヴェリウスさんの声が、わずかに沈んだ。


「お前たちには悪いことをした。私は研究を進めるために、これまで私財を注ぎ込んできた。余裕などなかった」


 私は黙って聞いた。


「お前たちを巻き込んでおきながら、ろくなことが出来なかった。すまなかった。今さら許してくれと乞うつもりはない。お前たちに恨まれても、仕方ないと思っている」


 すぐには何も言えなかった。

 でも彼は続ける。


「ただ、ひとつ分かったことがある」


 私は顔を上げた。


「あの魔法は、無作為に誰かを呼ぶものではない」

「どういうことですか?」

「まだ断定はできない。だが、何らかの条件を満たした者が、ここに引き寄せられているはずだと考えている」

「条件……?」

「強い想念か、精神状態か。そこまでは分からない」


 その言葉が胸に引っかかった。

 何らかの条件。

 それが何なのかは分からない。


「こちらへ来る道を作れたなら、戻る道も作れるはず」


 その一言で、私ははっとした。


「戻る道……?」

「王都に、かつて見た書物が残っている。私はすべてに目は通せなかった。だから、そこに帰還の手がかりがあるはずだ」


 胸の奥に、消えかけた灯がもう一度ともった。

 帰れるかもしれない。


「……本当に?」

「ああ」


 短い言葉だった。

 でも、それだけで十分だった。


 黒田さんが口を開く。


「なら、王都に行くしかないな」

「……でも、きっと簡単には見られませんよね」


 中村さんが言う。


「たしかに、一度禁じられた研究なら、警備も厳しいかもね」

「じゃあ盗むとか?」

「それは却下」


 私が即答すると、中村さんが肩をすくめる。

 そのやり取りに少しだけ空気が和らいだ。


 私は深く息を吸う。

 本当に帰れるかなんて分からない。それに、帰りたいのかどうかも、気持ちははっきりしていなかった。

 

 それでも、ここで立ち止まるわけにはいかない。


「やってみようよ」


 三人が私を見る。


「やった後で、考えたらいい」


 そう言うと、不思議と迷いが消えた。

 ヴェリウスさんの声が低くなった。


「身元も素性も分からぬお前たちが乗り込んで、すんなり資料を見せてもらえるとは思えない。要求すれば警戒される。下手をすれば、不審者として捕らえられる。それでも、やるのか?」


 場の空気が再び引き締まった。


「そんなの、今さらですね」


 私がそう答えると、ヴェリウスさんはわずかに笑った。


「そうだったな」


◆◇◆


 屋敷を出ると、山田さんが宿の入り口で待っていた。若干眠そうな顔だが、穏やかに笑っていた。


 私たちから少し離れて、ノエルが遠慮がちに私たちの様子を窺っていた。


 私たちは山田さんと挨拶を交わした。もちろん、再会の約束も忘れなかった。

 

 そして私は、山田さんに手を差し出した。

 恩人にちゃんとお礼を言いたかった。

 それにこれは、再会を果たすための儀式みたいなものだ。


 山田さんは一瞬戸惑ったが、すぐにその手をしっかりと握り返してくれた。


「またどこかで」

「ええ、またどこかで」


 その手は、思ったより温かかった。


 私たちが歩き出した瞬間、ノエルがはっとしたように駆け寄ってくる。


「マリア様! 置いて行かないでください!」


(あ、ごめん……忘れてた)


 ノエルが私たちに追いつき、並んで歩く。


 朝日が石畳に差し込んでいた。

 帰れるかもしれない。

 その希望だけで前を向ける。


「――さあ、行こう」


 私たちは、再び王都へ向かって歩き出した。


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