第46話:安心安全な奴ら
ヴェリウスさんの屋敷へ続く道。
かつて這いつくばって歩いたあの道が、今はひどく短く、そして恐ろしく重苦しいものに感じられた。
フィリアの街を出てから、ひたすらこの場所を目指してきた。しかし、目的地が近づくにつれて、空気が目に見えて変質していくのが分かった。
肌を刺すような、重圧。
(……何、これ。あの竜よりも、強いオーラ……)
私は、取り出していた杖を強く握りしめた。
隣を歩くノエルも、私の強張る気配を察したのか、すでにあの青白い結界を展開する準備に入っている。
その瞳には、私を守るという狂信的なまでの決意が宿っていた。
「姐さん、これ……笑えないくらいヤバい相手ですよ」
中村さんも珍しく余裕のない声で呟く。
「ああ。あのときの黒い竜とも違う……底のしれないオーラだ」
黒田さんも、いつでも異空間から槍を取り出せる準備をしていた。
屋敷が近づく。
夕焼けが石畳を血のように赤く染め、長い影を落としている。
(まさか、ヴェリウスさんが何かに襲われてる? それとも――)
不穏な想像が頭をよぎる。心臓の鼓動が耳元でうるさく鳴り響く。
それでも、私たちは退くわけにはいかない。
「二人とも、急ぎますよ!」
私とノエルの先を、中村さんと黒田さんが走る。
「待って」
私は先を急ぐ中村さんにそう返す。
急かす理由は分かる。一刻を争うからだ。
だがこちらにも事情があったのだ。
なぜなら――
ノエルの青白い結界が、彼女と私を包んでいたからだ。
「ちょっとノエル」
「心配ですので……」
(一秒を争うときに……私が中で触れたらどうなるんだろ……)
「だから、早く!」
「ちょっと待って」
そしてようやく、私たちはヴェリウスさんの屋敷へ辿り着いた。
扉の向こうからは、依然として底知れぬオーラを感じる。
「行くよ……っ!」
私は意を決して声を上げ、扉を力任せに押し開けた。静寂を破る無作法な音が屋敷に響き渡る。
「ダリオスさん! 大丈夫ですか!?」
真っ先に叫んだのは中村さんだった。相変わらず名前を間違えている。
「ダリオスではない! ヴェリウスだ!!」
案の定、奥から怒鳴り声が返ってきた。
その声を聞いた瞬間、少しだけ緊張が和らぐ。少なくとも、ヴェリウスさんは生きていて、元気で、他人の名前に怒れる程度には正気だ。
そして、その視線の先。
ヴェリウスさんの隣に、彼はいた。
窓の外の夕焼けを背負い、どこか穏やかな空気を纏った青年。派手さはない。鎧もなければ剣もない。見た目だけなら、どこにでもいそうな普通の青年だった。
なのに、不思議と目が離せなかった。
間違いない。
あの時、暗闇の中であがく私たちを救い上げてくれた、あの恩人だ。
「あ、あなたは……あの時、金貨をくれた……?」
震える声で問いかけると、青年は少し気まずそうに、けれど穏やかに答えた。
「え、あ、はい。ヴェリウスさんに託していましたが……」
その声を聞いた瞬間、胸の奥がふっと軽くなった。あれほど張り詰めていた空気が、その声で一気に和らぐ。
「あの時は本当にありがとうございました。あなたのおかげで助かりました」
よく考えると、この人の金貨を「自分の投資だ」と言って振る舞っていたことを思い出す。
なんだかヴェリウスさんに意地悪したくなった。
「……てっきり、そこのバリオスさんがくれたものだとばかり」
「ヴェリウス!」
背後で訂正が飛ぶ。
この人も中々のツッコミマンだな。
私たちは、ようやく再会できた恩人を前に、堰を切ったように自己紹介を始めた。
◆◇◆
「俺は山田です。よろしくお願いします」
山田さん。それが彼の名前だった。
私たちとほぼ同じタイミングで、ヴェリウスさんに召喚されて、この世界にやってきたようだった。向こうでは会社員だったという。
看護師、舞台俳優、整体師。私たちのスキルは、それぞれ元の職業が色濃く反映されている。
では、会社員だった山田さんのスキルは、一体どんなものなのだろう。
その後も、彼は私たちに関する疑問を投げかけた。
どうやら『ダリオスの翼』のことも知っていたようだ。私たちに関する噂を耳にしたらしい。
(私たち、悪目立ちしてるんじゃないの……?)
そんなことが頭をよぎったが、いったん蓋をしておく。彼の疑問に、中村さんがいつものように適当に答える。
彼はノエルの存在についても質問をした。私も聞きたいくらいだ。
そんな彼女は、いつもの強火オタクっぷりで、私の信仰者だとか、何とか言っている。
さっきも急いでいるときに、結界を展開するもんだから、彼女には文句の一つくらい言ってやりたくなった。
「こっちで会った子なんですけど、勝手についてきちゃって……。ここに置いて帰ろうかと思ってるんですけど」
「酷い! マリア様ァ!」
なんだか厄介オタクの様相を呈してきた。
ふと視線を感じて目をやると、中村さんがこちらを半笑いで見ている。
その表情は、こう伝えていた。
『またまたー、本心と違うこと言っちゃってぇ……』
(コイツ……)
ちょっとイラッときたが、山田さんの前だし、今日は許してやる。
そのとき、ふと気づいた。
さっきから感じていた、あの圧倒的な魔力の気配。山田さんの周囲に、まだ漂っている。
「ところで、今日はヴェリウスさんに用があったんですけど、近くに凄まじい魔力を感じて……思わず来ちゃったんです。でも、山田さんしかいないみたいですし、間違いだったのかな。でもまだ感じるんです」
私が問うと、山田さんはしばらく黙った後、覚悟を決めたようにリュックに手をかけた。
そこから顔を出したのは――ヒヨコだった。
「ワタシハ、ヤマダによって制御サレタ、鳥のオーラムバードデス。安心、安全デス」
「喋った!?」
私たちは、口をそろえて驚く。
伝説のオーラムバード。
ノエルから聞いたばかりだったが、その卵ですら神の加護を宿すとされる存在。
「あの、この子が原因かもしれません。ちょっと色々ありまして、魔力を操るモンスターが仲間になりまして……。でも、危害を加えたりすることは絶対にないですので安心してください」
山田さんはそう説明した。
彼の能力は、モンスターを仲間にできるものだったらしい。
そして、それに続いて姿を見せたのが――
「ボクたちも、『あんしんーあんぜんー♪』」
ぷよん、と跳ねる透き通った水色の塊。つぶらな瞳。柔らかそうな質感。純粋無垢な声。
スライムのモンスターだった。横には、火の玉のような存在も浮かんでいた。
(……ッ!!)
私は即座に顔を伏せた。
(え、ちょっと待って。無理。ほんと無理。待って。ぷよぷよしてる。え、何? 何なの? めっっっちゃ可愛いんですけど!!)
深呼吸する。顔を上げようとする。無理だった。
(……ぷよまるくん)
頭の中に、ハムスターの顔が浮かんだ。
私がずっと追いかけていた、マスコットキャラクター。丸くて、柔らかくて、ただそこにいるだけで全部どうでもよくなるような、ひたむきなあの子。
そして突然訪れた、喪失感と絶望。
でも、待って。
(……ぷよまる、って)
よく考えたら、ぷよまる、という名前。
ぷよぷよしていて、まるい。
その名前、本当にふさわしいのはハムスターじゃなくて、もしかして、この子のためではないか。
すべてがつながった。
スピリチュアルが私に降りてきた。
初めて宇宙の真理を理解した。
(この子が、真のぷよまるくんだったんだ……!)
「どうかしました?」
山田さんの声で、現実に引き戻された。
思わず顔を伏せたが、とても人様にお見せできない顔に違いない。
(冷静になれ、私。これまで修羅場をくぐってきたんだ。ヤバい竜だって倒した。切り替えていこう)
気を取り直して顔を上げる。
そして、目の前の存在について尋ねた。
「……オーラムバードって、詳しくはないけれど……確か伝説の存在よね?」
よし、これで大丈夫だ。いつもの私。
気を引き締め直したとき――再びあのメロディが流れてきた。
『あんしんーあんぜんー♪ あんしんーあんぜんー♪』
(ああ……)
駄目だった。
◆◇◆
そして、山田さんが提案する。
「そうだ、せっかく集まったんです。皆さんでお食事でもどうですか? 町にいい酒場がありますし」
「いいですね! 行きましょう!」
黒田さんが賛同した。久しぶりにお酒も飲みたかったのかもしれない。
そうして、私たちは近くの酒場に流れ込んだ。
最初の一杯は、覚えている。
二杯目も、たぶん覚えている。
三杯目あたりから、少し怪しい。
断片だけが、ぽつぽつと残っている。
中村さんが何か喋っていた。楽しそうだった。
黒田さんが笑っていた、気がする。
ヴェリウスさんと山田さんが、話していたような。
ノエルはどうしたっけ。あれ。
それより先は――
◆◇◆
目を覚ましたとき、窓からは眩しい朝日が差し込んでいた。
(……ん、ここ、どこ?)
見覚えのない、けれど清潔な部屋。頭痛がする。完全に二日酔いだ。
(あれ? 私、何してたっけ?)
思い出そうとすると、霧がかかったように記憶がすり抜けていく。
昨夜のことは、断片しか残っていない。それも、さっきから何度思い返そうとしても浮かんでくるのは、青いスライムの子だけ。
(……どうしたんだっけ)
私は毛布を頭まで引っ張り上げて考えるが、答えは出なかった。
それでも、胸の奥には、得も言われぬ幸福感だけが残っていた。この世界に来てから、一番満たされていた夜だった気がする。
『あんしんー♪ あんぜんー♪』
気づいたら、メロディが頭に流れ込んでいた。
(何だっけこれ。あと、何か大事なことを忘れているような……)
覚えていないんだから仕方ない。
私は考えるのをやめて、ただそのメロディを口ずさんでいた。
お読みいただきありがとうございます!
ブックマークや評価に加えて、リアクションもありがとうございます!
実は、この作品を始めたときから、第46話はこのエピソードとタイトルにしようと決めていました。
ここまで更新することができたのも、読んでくださるみなさんのおかげです。
まだまだ続きますので、よろしくお願いします!




