東京チョーコーサッカー部・ソク・ソンミン part8
1980年3月。
ソク・ソンミンは、富士丸サッカークラブに新入社員兼選手として合流。
練習を開始。
セミプロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせた。
1980年4月。
第16回日本サッカーリーグ(JSL)が開幕。
ソク・ソンミンは、18歳ながら、FWとして開幕スタメンを獲得した。
富士丸サッカークラブに不足していた、決定力と単独でゴールまで運べる突破力を期待しての抜擢だった。
開幕から2試合ほどは、対戦相手のフィジカルやスピードに戸惑っていたソンミンだったが、3試合目にはすでに適応。
3試合目で始めてのゴールを叩き込んだ。
そこからは、ソンミンの独壇場であった。
シーズン全18試合の内の半分、9試合目には、既に5ゴール4アシストを記録。
チーム全体の得点数の約半分に、ソンミンが関わっていた。
1年目の新人とは思えない大活躍である。
その、ソンミンの大活躍に日本サッカー協会も注目した。
その中心人物が、日本サッカー協会専務理事・長沼一郎。
日本サッカー協会、実務のトップを担う人物である。
その実務のトップが、他のサッカー協会関係者数人を連れて、8月に、ソンミンが出場する試合を視察に来ていた。
2部の1年目の選手でありながら、その高い攻撃能力とスピードと身体能力は、2部でも別格の存在として、日本サッカー協会で代表選考の権限を持つ長沼氏らの関係者たちから、高い評価を得ていたのであった。
慢性的な得点力不足と強力なFW不在に悩んでいた日本サッカー協会代表強化委員会メンバーたちにとって、ソク・ソンミンの出現は、青天の霹靂そのものであった。
ソンミンの試合を視察後、日本サッカー協会代表強化委員たちは、会議を開催。
会議の結果、富士通サッカークラブの最終戦である11月2日後に、ソク・ソンミン選手へ、代表に関しての話し合いを含めた会談をしたい旨の連絡をする事を決定した。




