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チョーコー!朝鮮高校喧嘩列伝改  作者: 姜公紀


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東京チョーコーサッカー部・ソク・ソンミン part4

前述したように、日本のサッカー界から「影の日本一」と言われた東京チョーコーサッカー部員たちは、東京チョーコー卒業後、朝鮮大学校でサッカーを続ける部員がほとんどで、後は、国籍制限のある日本の実業団サッカーチームに行く者がチラホラいる程度だった。「各種学校」扱いの朝鮮高校は、卒業しても、日本の大学に行くことは、どんなに能力があろうと行く事はできず、上記に該当しないものはやむなくサッカーを引退し、パチンコ屋などをはじめたり、アマチュアサッカーリーグに所属して趣味程度に続けるなどして、社会人として生きていくと切り替えた者も多かった。

そんな、日本社会で不遇を味わっているチョーコーサッカー部員たちに、1970年中盤から転機が訪れる。

1960年代からの東京チョーコーサッカー部の活躍と「朝高詣で」での日本サッカー界との相互交流のお陰で、日本サッカー界からの門戸がチョーコーに対して少しずつ開けていったのである。

1978年4月。ソクと同じ東京チョーコーサッカー部だった李清敬リ・チョンギョンが、実業団サッカーチームのヤンマー(現・セレッソ大阪)へ特例による推薦からの異例の入団を果たした。

JSL(日本サッカーリーグ)には「外国籍枠」の制限があったにも関わらず、リ選手が対日本の高校・大学・実業団相手に見せる華麗なプレーが日本のサッカー関係者の心を動かすと同時に高く評価され、特別の枠組みという形でヤンマーに入団できたのである。

東京チョーコーサッカー部から日本の実業団サッカーチームへの道が開かれた、象徴的な出来事であった。

同時期、日本の大学との関係も変わりつつあった。

東京チョーコーサッカー部・金光浩キム・グァンホ

リ・チョンギョンと同じ1978年4月、こちらは6大学で有名な東京の私大・法政大学に、前例のない特例での形で入学した。

チョーコーからの直接の入学は、東京6大学で初めてであった。

大学側の「個別判断」と高校・大学・実業団との練習試合でキム・グァンホが魅せた圧倒的な実力が、法政大サッカー関係者たちの注目を集め、法政大への進学を強烈に後押ししたのもキム・グァンホが特例で入学できた要因として非常に大きかった。

上記2人のチョーコー生は、朝鮮大学校に進み、そこでサッカーを続ける道もあったが、今後の在日やチョーコー生の為、あえて未開の道を開拓する選択をしたのである。

もちろん、この2人は、特別入学・入団のプレッシャーを物ともせず、そのチームで中心メンバーとなり大活躍。

2人が圧倒的な成績をそこで残したことにより、大学・実業団関係者の朝鮮学校生への評価はさらに高り、門戸開放は、他の大学・実業団へも拡大していくことになる。

そうした成功例が、さらなる朝鮮学校生への追い風となった。

日本の大学への進学が認められていたのは、チョーコーのサッカー部のみであったのが、他の部活の部員や学業での進学を目指すチョーコー生にも拡大・適用されるようになったのである。

チョーコー生たちに、日本の大学・実業団へ進めるという新たな夢と道が与えられたのだ。

こうして、チョーコー生の先人たちの努力とフロンティアスピリッツならびに、「朝高詣で」を通して、日本の学校・実業団の日本人たちと在日朝鮮人による相互交流・理解が進み、日本の大学・実業団とチョーコーの関係は少しずつ改善、門戸も広がり、朝鮮学校生の選択肢の幅が年を追うごとに年々拡大していくのであった。

そんな相互交流が拡大しつつあった1978年当時、「朝高詣で」と共に、実業団や日本の大学サッカー部関係者が、頻繁に東京チョーコーサッカー部監督へあるお願いをしに訪問(or電話連絡)するようになる。

それは・・・・・・。


「ぜひ、○○くんを我が大学or実業団サッカーチームに入部させてくれませんか!?」


日本の大学・実業団による、東京チョーコーサッカー部員へのスカウト活動である。


「これ、つまらないものですが・・・・・・」

「うちの大学にはすでに話を通してあります。承諾いただければ特別推薦枠として推薦します!」

「監督さん、最近銀座のクラブにいい子入ったんですよぉ(笑」

「うちに来てくれたら、チョーコーのサッカー部の育成費としてこれだけチョーコーさんの方へ移籍金を支払います」


日本の大学・実業団サッカースカウトたちは、即戦力である、お目当ての東京チョーコーサッカー部員獲得の為に、東京チョーコー監督へ物品・金銭両面での熱烈アピール合戦を繰り広げ始めたのだ。

だが、生真面目なキム・ミョンフン監督は、そういう類の誘惑には一切乗らなかった。

そうした中、キム監督は、個人的に交流のある八重樫誠司監督にだけは、放課後にソク・ソンミンへ面談したいという彼の希望を快諾。

応接室での対面という流れに至ったのであった。




1978年 10月下旬 東京朝鮮中高級学校 応接室 夕方


「突然呼んでしまって申し訳ない。今日、ソク君に会えて嬉しいよ」


富士丸サッカー部監督・八重樫誠司は、改めてソクに対して感謝の意を表した。


「いえ。今日は、自分に何の用なんでしょうか?」


ソクは、探るように質問した。


「ソクくん。単刀直入に言わせてもらう。卒業後、うちに。富士丸サッカークラブに来てくれないか?」


八重樫監督は、少し前傾姿勢で、両手を両膝の真ん中で組みながら、真剣な面持ちでソクに語りかけた。

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