1977年2月、多摩川にて part3
夕日も暮れようとしていた時間帯。
ワン・ヨンチョルとキム・ブントクは、多摩川の土手道を2人並んで歩いていた。
「キムヒョンニム(兄貴)、これからも在日トンポ(同胞)たちを支援するなら、やはり日本いるべきだと思います」
ワンは、素直にそう言った。
キム・ブントクのその能力の高さを、在日の為にもっと日本という地で生かすべきだと思ったからだ。
「いや、他の奴にも言われたが、俺は、意思を変えるつもりはない」
キムは、キッパリとそう言った。
「叔父の金融会社で働いたおかげで、貸付、利息、担保、手形、不動産、企業の資金繰り、投資、税務・会計の基礎。誰が金を持ち、誰が誰に借り、金がどこへ流れているのか。俺は、そこで経済が如何に喧嘩なんかより遥かにシビアな世界か学べた」
キム・ブントクは、「第55話 韓国学園とチョーコー、血の同盟 その12」で、ハン・シュウイチに言ったように、チョーコー卒業後、叔父が経営する金融会社に就職。
そこで、一から経済のイロハを学んでいたのだ。
「厳しいようだが、この社会で一番強い奴は金持っている奴だ。金融の世界にいて、それを嫌というほど見てきたよ。これは、腕力では、どうにもできない領域だ。喧嘩は、目の前の奴をぶっ飛ばせばそれで終わりだが、経済は違う。目の前だけでなく、数年先、果ては数百年先を見通す鋭く広い視野が必要なんだ。俺は、朝鮮に行く前に、この世界に飛び込んだのは間違っていなかったと確信したよ」
ビュウウウゥゥ!
暗くなり始めた多摩川に、冷たい風が吹いた。
寒さを凌ぐように、キムは、ジャケットのポケットに両手を突っ込み、ワンは、ズボンに両手をそれぞれ突っ込んだ。
「朝鮮で一旗揚げるための資金も貯まったしな」
頭を窄めながら、キム・ブントクは言った。
1972~73年の列島改造ブームで地価が急騰、第一次オイルショック後の1974年には地価が下落したが、その後、再び地価が高騰。
キム・ブントクは、その波にうまく乗り、不動産取引で数億円の財を築いていたのだ。
そして、その資金を、自身が実業家として朝鮮で貿易会社を興し、日本ロシア中国韓国との経済交流を筆頭に、朝鮮を東アジアの結節点とし、朝鮮の経済発展を主導しようという構想をもっていたのだ。
そして、それを行いながら、そこで得た利益を、日本の朝鮮学校や在日同胞社会へ還元し、祖国と日本で暮らす同胞の未来を、ひとつの経済循環で結び発展させる。
キム・ブントクは、そんな夢を持っていたのだ。
まさに、民族派と呼ぶに相応しい実業家であった。
キム・ブントクは、これらの構想を、飲みの席などで在日達に事あるごとに言っていたので、ワン・ヨンチョルも、キム・ブントクの大体の考えは知っていた。
「俺は、自分の会社を大きくし、朝鮮を発展させる。そして、朝鮮からウリハッキョ(朝鮮学校)と在日同胞社会を支援してみせる。在日達が金で苦労したり、無駄な争いが起こらないようにな」
「その時は、俺も一枚嚙ませてください。絶対ですよ」
ドスッ。
キム・ブントクは、自分の右側を歩いていたワン・ヨンチョルの左胸を右の裏拳で軽く叩いた。
軽く叩いたのだが、キム・ブントクの鍛えられた拳のせいか、ワンの左胸から鈍い音が鳴った。
「ああ、必ずする。男と男の約束だ」
キム・ブントクは、自らの大きい拳と同じくらい力強くワン・ヨンチョルに宣言した。
「チャララ〜、ラララ・・・・・・チャララララ〜」
暗くなってきた多摩川に、チャルメラの音がどこからか聞こえてきた。
冷たい川風に乗って聞こえてきたその音色は、どこか物悲しく2人には聞こえたのであった。




