朝鮮高校vs目黒高校 船上での激突 part6
愛宕警察署に連行された、チョーコー生5名は、担当刑事の黒田達から取り調べを受けていた。
「だから、友人が頭にケガさせられたから反撃しただけだ!正当防衛だっつの!」
「そうはいっても、相手は、腕を骨折したり重症だよ?君も高校生なんだろ?なら、自制せんと」
チョーコー2年・ソ・ヨンチョルが、必死に色々訴えるが、刑事の黒田は、チョーコー生を悪だと決めつけるかのような返答に終始。
その全くこちらの意見を汲まない取り調べを受けているソ・ヨンチョルは、イライラを隠さなくなっていた。
1981年当時はもちろん、朝鮮学校生と日本人学校生のぶつかり合いが特に激しかった60年代~90年代。
この二つのグループが喧嘩・トラブルを起こした際、警察は、朝鮮学校生だけを警察署に連行して取り調べ、果ては逮捕・勾留という一方的な捜査を何度も行っていた。
一方、喧嘩相手の日本人学校生はというと、おとがめなしでそのまま家に帰されるのだ。
そういう不公平なお上による捜査を、何度も経験した朝鮮学校生たちは、日本の警察にいい感情を持てるはずがなく、激しく敵視したりしていた。
「第10話 池袋での前哨戦と日本警察」「第29話 チョーコー生、ワイドショーデビューと日本警察その2」でも、警察による、不公平な対応・捜査を書いたが、今回の事例と言い、在日コリアン(韓国・朝鮮人)への日本社会の圧力は、この当時至る所に存在していたのである。
2026年現在、韓流ブームで、若者たちなどから韓国が圧倒的支持を得て、韓国人や在日コリアンへの不当な差別が軽減している今と比べると隔世の感がある。
話を戻す・・・・・・。
愛宕警察署 留置場 夜
取り調べを受けたソ・ヨンチョル含め、チョーコー生5人は、少年用の留置区画に、同室にならないよう、それぞれ分けられ房に入れられていた。
「・・・・・・」
ソ・ヨンチョルは、壁に背を付けながら左足を曲げて座り、その左ひざに左ひじを乗せ、何か考え事をしていた。
房に既にいた3名の若い日本人アウトローたちは、突然天下のチョーコー生が房の中に入れられてきたのでビックリ仰天、内心ビクビクしながら、チラチラ、ソ・ヨンチョルを見ていた。
チョーコー生が、警察のお世話になった時、留置場で同室となった悪たれたちは、入室してきた人物がチョーコー生・出身だと知ると、目に見えて怯えたり媚びたりしてきたという。
それだけ、当時のチョーコーブランドは、絶対であり、こんな臭い所にまでその名が浸透していたのである。
そんな微妙にピリピリした空気の留置場とは裏腹に、愛宕警察署では、社民党・本岡明議員と共産党議員・不破守の2人と弁護士・佐々木宗平が、刑事課少年係の刑事たち相手に猛抗議をしている所であった・・・・・・。




