東京チョーコーサッカー部・ソク・ソンミン part14
ソンミンの府中出張所での目的は、自宅の「不動産登記簿謄本」の取得の為であった。
「日本で安定して暮らせる財産があるか(生計要件)」を厳格に審査されるので、そのための書類が必要であったのだ。
本来なら、雇った弁護士の日草(41歳)に頼めばよかったのだが、日当も別途かかることから、社会経験も兼ね、1人でやってきていたのだ。
窓口では、メガネをかけた七三ヘアーの髪にベッタリとポマードで塗り固めた、THE役人という感じの規律にうるさそうな50代の、本田と名乗った男性が対応してきた。
ジロッとソンミンを上目遣いで見てきた本田に、ソンミンは申請が受理されるのか不安であったが、相手の態度に反して、意外とすんなり申請は受理され書類を手に入れる事ができた。
ガラッ。
府中出張所を退出したソンミンは、その足で日草が弁護士事務所を構える多摩地域へと向かった。
一方、ソンミンと帰化に関する手続きの依頼を数日前に受けた日草は、東京法務局本局国籍課に提出するための書類作成に着手していた。
現在の全てが電子化され簡単に資料を取り寄せられる2026年と違い、1980年は、全てがアナログの時代であり、在日コリアンによる帰化は非常に猥雑で時間がかかる作業・手続きだった。
ちなみに、弁護士・日草が、ソンミンの為に作成・用意する書類は以下になる。
帰化許可申請書。
帰化の動機書。
親族の概要(日本国内・外国籍別)。
履歴書。
生計の概要。
事業の概要。
自宅・勤務先付近の略図。
韓国の戸籍書類一式(除籍謄本・割当謄本など)の日本語翻訳文(韓国領事館で申請し、書類内容の翻訳は弁護士自身が行う)。
日本サッカー協会の推薦状。
富士丸株式会社(所属チーム・企業)の推薦状。
親族の「帰化同意書」。
などである。
これら書類の総数は、計100枚近くにのぼる。
かかる日数は、約30日~60日。
大変な作業である。
東京法務局本局国籍課に提出する書類が完了した後に行う手続きは以下になる。
東京法務局での事前相談から正式受理まで(約30日〜60日)。
正式受理から法務局での本人面接・職場実地調査(約60日〜90日)。
法務省本省での最終審査から官報公示(許可)まで(約180日〜270日)。
これら、手続き開始から日本国籍取得までにかかる日数は、合計にすると約1年〜1年半(350日〜550日)となる。
実業団サッカーチーム所属選手として、仕事とサッカーを平行して行うソンミンにとっては、まさにエベレストを登るが如くの膨大な作業である。
「第103話 東京チョーコーサッカー部・ソク・ソンミン part12」でも触れたが、右翼などの保守系の人間は、在日に「参政権が欲しいなら、帰化しろ」「在日が簡単に帰化できるのはおかしい!もっと厳格にしろ!」などとのたまうが、実態は上記が実情である。
帰化が、如何に在日コリアンや他外国人に対してハードルが高いか分かるであろう。
普通の人なら、これらの作業を見た瞬間、及び腰になってしまう。
ソンミンも弁護士の日草から、帰化までにかかる上記工程を聞かされた瞬間、一瞬帰化するのを辞めようかと思ったほどである。
だが、ソンミンは、ここにくるまでに、多くの支えてくれる家族・指導者・サッカー関係者、そして朝鮮学校の同級生たちが彼を応援してくれて様々な形で支援してくれたりもした。
その期待を帰化が大変だからという理由で無下にすることはできない。
彼らのソンミンへの「信頼と期待」が、ソンミンの躊躇した背中を押してくれたのだ。
1981年 2月半ば 昼頃 東京都千代田区大手町一丁目 東京法務局 本局前
ソク・ソンミンは、弁護士・日草を伴い、東京法務局前に来ていた。
1人で行こうかとも思ったが、帰化に関して詳しい日草が、法務局担当官の性格の悪さ、お役所特有のお堅さを嫌というほど知ってるので、自分も同行する事を強烈に提案してきて、今回の同行になったのである。
日草の予想は、当たった。
東京法務局本局国籍課の担当官・水野に「韓国名(本名)のままで、日本国籍を取りたい」旨をソンミンが相談した結果。
「それなら許可は出せません」
と反論の余地も残さぬ強固な姿勢で拒絶してきたのだ。
担当官・水野の捲し立てるようなキツい不許可の理由説明を遮るように、弁護士の日草が割って入るが、
「韓国名を名乗っている日本人は、誰一人としていません」
の一点張りで拒絶。
さらに、
「悪いことは言わないから、ここ(希望する日本名の欄)に、日本の一般的な名前に書き直しなさい。このままの韓国名で書類を上に回したって、本省(法務省)の審査で100%落とされるだけだよ?せっかく、富士丸さんやサッカー協会から立派な推薦状をもらっているのに、名前のせいで不許可になったら、あなただって会社に顔が立たないでしょ ?あなたのためを思って言っているんだから、素直に指導に従いなさい」
と、ソンミンに対し。強烈な日本名への強制的な変更を促してきたのだ。
ソク・ソンミンの志が、早くも暗礁に乗り上げてしまいそうな、そんな雰囲気であった・・・・・・。




