↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
風は境界を越えて ―川の姫―  作者: 空白朔名


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
7/18

第7話 川の姫

 第7話 川の姫



 民宿での夕食を済ませたものの、特にやることのない俺は巴美に言われるがまま夜のとばりが降りた表へと連れ出されていた。

 今朝の滝尻での一件がいまだに現実味を帯びない状態で、頭の中で渦を巻いている。

 俺たちは静まり返った近露の集落を北へ向かい、日置川の堤防沿いを並んで歩いた。

 

「何があるんだよ? まさかゴウラでも見に行こうってんじゃないだろうな」


「会えるといいわね」


「巴美は昔からこういうものが見えるのか?」


「さあ、どうなんでしょうね」


 彼女はどこか他人事のように、興味なさそうに横顔を夜風に向ける。


「昼に、ゴウラは封印されたって言っていただろ?」


「そうよ、三つの起こりえない条件を突きつけられてね」


「起こりえない条件? それだとゴウラの封印は解けないじゃないか」


「『解けないはず』だったんだけどね……」


 街灯の光さえ届かない川原は、暗さに目が慣れたせいか、あるいは月明かりのせいか、奇妙なほどはっきりと見渡せた。



 その時。

 一瞬だけ冷たい川風が通り抜けたかと思うと、堤防の背の高い雑草が、自然の風向きとは逆にざわめき立った。

 俺は反射的に足を止め、傍らにいた巴美の腕を掴む。

 

「……何かいるぞ!」


「本当に、来たわね……」


「まさか……」


 混乱しかける頭を無理やり抑え込み、俺は暗がりの草むらに目を凝らした。

 その静寂を切り裂くように、背後から湿った気配を伴った声が降ってきた。


「川の姫が、こんなところでなにをしておる?」


 ——川の姫……巴美のことか?

 

「あなたこそ、夜更けにこんなところで何をしているのよ」


「松がなくなっておる」


「数十年前に、枯れたわ……」


「お宮の狛犬も、すっかり朽ち果ておったわ」


「違うわ、場所が変わっただけよ」


「そんなものはな、人間の身勝手な都合だ……」


「そうね……」


「解けたな……」


「いいえ、完全には解けてないわ。松ノ木淵には橋が架かり、像があるわ。狛犬も近野神社の境内へ移されただけよ」


「そうなのか……もう少しだな」


「そうみたいね、早く戻りなさい」


「…………」


 月明かりの影のなか、川面から響く水音に混じって、巴美と、闇に溶けた何者かが、静かに言葉を交わしていた。

 俺は、何もできずその話を聞くだけだった。



 数秒か、あるいは数分だったのか。

 気が遠くなるような静寂のあと、ふと正気に戻った俺は、無意識に掴んだままだった巴美の細い腕を放した。


「今のは……」


「さあ……風の音かしら?」

 

 はぐらかす彼女の肩を掴み、その深い瞳を覗き込んだ。


「違う! 風の音なんかじゃない。君は何者なんだ! さっきのやつが言っていた『川の姫』って何なんだ…………」


 言い終える前に、彼女は俺の首元に手を伸ばし、滑らかなスカーフの結び目を解き、引き抜いた。


 俺の発しようとした言葉ごと声が消え去る。

 暗闇の中、巴美は声の出なくなった俺の顔をじっと見つめ、ゆっくりと薄い唇を動かした。


「…………よ」


 声は一切届かない。

 再び首元にあの滑らかな感触が戻り、スカーフが静かに巻き直される。

 だが、彼女の一度途絶えた空気の振動はもう誰にも届かない。

 彼女はただ小さく微笑むだけで、それ以上何も語らなかった。

 

 月明かりの中、去っていく巴美の背中を見つめながら、俺はあの口元だけが残した言葉を、何度も思い返していた。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。