第5話 禁忌
第5話 禁忌
国道311号を進み、滝尻の三叉路付近に到着した。
近くの駐車場にバイクを停め、バス停の脇から河原へと続く細い斜面を降りていく。
「ここに……何かあるのか?」
「ここは中辺路のスタート地点。神々の棲む異界の入口よ」
開けた河原へ降り立つと、巴美は浅瀬の澄んだ流れの中に白い手を浸した。
「この場所は、昔から旅人の穢れを洗い流す垢離場なの」
「穢れか……」
俺も彼女の隣に屈み込み、川水に手を浸した。秋の川水は刺さるように冷たい。
「よく知ってるな、巴美はこのあたりに住んでるのか?」
「それより……そろそろ、昨日のアレが追いついてくるわ」
淡々と告げられた言葉に、俺は思わず手を止めた。
「アレ? ……ヒダルとか言ってた奴か?」
「そうよ、『ダリ』とか『ダルケ』とも言うわ。この辺りでは『ダル』ね」
「また昨日みたいに、手のひらに『米』って書いて飲めばいいのか?」
「あれは一時的にやり過ごす方法よ」
「だから追ってきたのか? 退治はできないのか?」
「『ダル』は、もとは人なの。山中で行き倒れになった人の荒御霊……いわゆる怨霊、そう伝えられているわ。物理的に退治する方法なんてないわ」
「じゃあ、どうすれば……」
「……来たわ!」
巴美は俺の言葉を遮り、下流の暗がりを睨みつけて叫んだ。
周囲の川の音が、一瞬でかき消されたかのように静まり、代わりに、川下の砂利を踏みしめる騒がしい音が近づいてくる。
「どこにいるんだ!」
「和樹には見えないわ。行くわよ!」
「えっ、どこに?」
河原を上流に向かって走り出す彼女の後を、俺は慌てて追う。
俺の目には見えないが、確かに後ろを追ってくる気配がする。
河原の砂利が、何者かの足音のようにすぐ後ろで跳ね上がり転がり落ちる音がしていた。
元来たバス停の前を走り抜け、川に架かる橋を渡る。
渡ってすぐの場所に『滝尻王子十郷神社』が鎮座していた。
道路から十数メートル奥に、鬱蒼とした木々に囲まれた鳥居が見える。
「そうか、神社か。そこに逃げ込むんだな!」
「違うわ!」
巴美は鳥居をくぐるどころか、その横をすり抜けて、社殿の裏手へ伸びる薄暗い山道へと入っていった。
相変わらず、俺の後ろでは姿の見えない不気味な足音がついてきている。
山道の石段が見えた時、急激に両脚が鉛のように重くなった。
一気に先を走る彼女との間が広がっていく。
脚がもつれて体勢を崩しそうになった。
「うわっ!」
思わず声が漏れた。
先を行く巴美が振り返り、俺に向かって叫んだ。
「何か投げて!」
「何かって……」
「何でもいい! 早く! あなたの持ち物なら、代わりになるから」
俺は急いでライダースジャケットのポケットを探った。
詰め込まれていたバイク用のグローブを、彼女の指さす方へ力いっぱい投げた。
冷たい気配が、俺のすぐ脇を通り抜けていく。
その不気味な足音は俺を無視し、前方を走る巴美の方へと一直線に向かった。
「巴美!!」
思わず叫んだ。
だが冷たい気配は巴美をすり抜け、俺が投げたグローブの落ちた草むらへ吸い込まれるように消えていった。
山肌に生える草木のざわつきが、風のように山の奥へと流れていった。
周囲は静けさを取り戻し、川の音が遠くに聞こえた。
俺は、膝に手をつき切れた息を整える。
数十秒後、俯いた俺の視界の端に彼女の足が入ってくる。
俺は身体を起こして視線を上げると、そこには山の風に髪を揺らし、息ひとつ切らさずに微笑む巴美が立っていた。
彼女の手には、俺が投げたグローブが握られていた。
「あいつ、どこへ……行ったんだ。祓えたのか?」
「山に戻っていったわ、山に眠る死者の記憶を消滅させるのは禁忌なのよ」
そう言って彼女はグローブを俺に手渡してくれた。
「ダルは退治するのではなく、山に帰す。それが昔からの決まりよ」
「昔からの?」
「神も人も祀られることで、祟り神にも守護神にもなれるってことよ」
「巴美……君はいったい……」
俺の問いかけに、彼女はくすりと悪戯っぽく笑った。
「無口な美少女よ」
「……」
あまりにも堂々とした言い方に、俺の方は文字通り無口になった。
「あなたの嫁設定よ?」




