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風は境界を越えて ―川の姫―  作者: 空白朔名


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第4話 契約の旅路

 第4話 契約の旅路



 風呂から戻ると部屋に巴美の姿はなかった。

 二組並べられた布団の片方に、俺は壁を向いて寝転がった。

 しばらくすると、引き戸の開く音と、畳の上をすり足で歩く足音が近づいてきた。


 その足音は、もう一組の布団へは向かわず、俺の寝ている布団のすぐ脇で止まる。

 直後、首元に白い手が回される。


「……!」

 

 驚きに声を失った次の瞬間。

 あの滑らかなスカーフが巻き直された。


「馬鹿なの? スカーフ外したらわたしも話せなくなることが、まだ分かってないの?」

 

「風呂に入るときくらい外すだろ」


「お風呂で無口な美少女扱いされたわよ」


「良かったじゃないか、口が悪いのがバレなくて。それに自分で美少女って言うなよ」


「違うの?」


「……まあ、それなりに綺麗でかわいいとは思うけど」


 寝ころんだまま、振り返る。

 俺を見下ろす彼女の口元には、満足げな笑みがこぼれていた。


「それよりも、全裸にスカーフだけの男が風呂にいたらどう思う?」


「かなり……怪しいわね。わたしなら近づかない」


「そうだろ? 巴美は無口な美少女で俺は怪しい変態だ。どう考えても俺の方がダメージが大きい」


「小さい男。まあ、お風呂の時は許してあげる」


 そう言うと巴美は自分の布団へ戻っていった。


「……寝る時は外してよね、和樹の寝言なんか聞きたくないから」


「言われなくてもそうするよ」


 俺はそのまま目を閉じる。

 隣の布団にいる美少女のことよりも、今日一日に起きたあまりに不可解な出来事で疲れ切っていた俺は、吸い込まれるように闇の中へ落ちていった。



 次の朝。

 目を覚まし、寝たまま背伸びをして声を漏らそうとしたが、掠れた息の音しか出ない。

 昨日の出来事が夢ではなかったことに、溜め息をついた。

 横に視線をやると、隣には巴美が横たわり、こちらを見ている。

 枕元のスカーフを首に巻き付けた。


「おはよう、和樹」


「……ああ、おはよう」


 俺は少し気恥ずかしくなって視線を逸らした。

 朝食を済ませ、チェックアウトのためにフロントへ向かう。

 巴美に『後で行くから玄関で待っていて』と言われていた。

 なし崩し的に、彼女の分の宿泊費まで、俺が払う羽目になった。

 

 ライダースジャケットを羽織り、バイクに跨ってスマホの地図に目を落とす。

 巴美の言っていた『滝尻』は、ここからそれほど離れていない場所にあった。

 ふと、バイクの後部が沈み込み、背中に柔らかな重みが乗った。

 驚いて振り返ると、そこには昨日とは打って変わり、黒いパンツに白いライダースジャケットを纏った巴美が座っていた。


「その格好……どうしたんだ」


 カバンひとつ持っていなかったはずの彼女が、全く違う服装になっていることに目を丸くする。

 その手には、どこから調達したのかフルフェイスのヘルメットまで握られていた。


「似合ってない?」


「いや、似合うとかじゃなくて……その服とヘルメット、どこから持ってきたんだよ?」


「昨日のは脱いだわ」


「ヘルメットは?」


「必要でしょ?」


「そうだけど……」


 どこか噛み合っていない会話に俺が黙り込む。

 そんな様子を察して、巴美は笑顔を浮かべた。


「大丈夫って言ったでしょ?」


「ああ……確かに言ってたけど……それで、後ろに乗るのか?」


「わたしは免許を持っていないから、そうなるでしょ?」


「いや……そういう問題じゃなくて……」


 この非常識な状況から逃れられないことを諦め、俺はエンジンスイッチを入れた。

 セルモーターが回り、重厚な排気音が響く。

 俺の腰に回された細い腕と、背中に押し付けられた人の体温がジャケット越しに伝わってきた。

 

「じゃあ、行くぞ」


 アクセルをひねり、俺たちは国道311号を北へ、富田川の清流に沿ってバイクを走らせた。

 

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