第3話 契約相手
第3話 契約相手
「それで……どこまでついてくるんだよ?」
民宿の玄関の前で、俺は後ろを振り返った。
「話を聞いていなかったの? それとも、あなたには難しかった?」
「ずっと一緒にいるわけには、いかないだろ?」
「なんでよ? それも契約のうちよ?」
「そんなの聞いてないからな!」
「言ってないし、聞かれてもないわ」
玄関先で巴美と言い争っていると、その声を聞きつけて、奥から民宿の女将さんが顔を出した。
「あら、お二人さんだったの?」
「すいません、彼が言い忘れていたみたいです。馬鹿なので……」
巴美は可愛らしく首を傾げると、俺の首に巻かれたスカーフの端を指先でつまみ、すっと外した。
「…………!」
声が出ず、身振りで伝えようとしたが、女将さんには何ひとつ伝わらなかった。
「そうなの? ……今日はお部屋は空いてないけど、同じお部屋でいいのよね?」
巴美は笑顔でこくりと頷いた。
その様子を見て、女将さんはロビーの奥に戻って行った。
俺は巴美の手からスカーフを取り戻し、首に巻き直した。
「お前……このスカーフを便利アイテムにするなよ」
「お部屋に行きましょ」
巴美は俺の抗議など、はなから聞く気もなく、先に立ってロビーに入っていった。
追いかけながら、彼女の背中に小声で話しかける。
「一部屋しかないんだぞ? どうするんだ」
「いいじゃない。あなたが変なことをしなければいいだけでしょ」
フロントのカウンターで、彼女が宿泊者名簿(宿帳)にペンを走らせているのを、俺は横から覗き込んだ。
俺の記入したすぐ下の欄。
そこには当然のように、同居人めいた記載が並んでいた。
氏名——巴美
住所——同上
「おい、それだと同棲してるみたいだろ……それに苗字も抜けてるぞ」
「同じ住所なら、同じ苗字じゃないの?」
「同じじゃないだろ、住所も苗字も……」
「和樹も『職業——会社員』って書いているじゃない」
「俺は、まだ有給消化中だからな、嘘じゃない!」
彼女は、そのまま名簿を女将さんに渡した。
「あらあら、ご夫婦だったのね……」
女将さんの中では、いつの間にか恋人設定から『夫婦』へと昇格していた。
呆れて、俺はそれ以上言葉も出なかった。
夕食後、部屋に戻ると女将さんが、もう一組の布団と彼女の浴衣を運んできてくれた。
「すみません、布団はひとつでも足りたんですが……」
巴美が女将さんに向けて、俺と話す時とは違う丁寧な口調で言った。
だが、その言葉の内容を聞いた俺は思わず口を挟んだ。
「巴美、布団が一組ならお前はどこで寝るつもりだったんだよ?」
「和樹が畳の上で寝れば問題ないじゃない」
さも当然といった様子で返してくる巴美を見て、女将さんが楽しそうに目を細めた。
「仲が、いいんですね」
女将さんは俺たちを見て、微笑みを浮かべて部屋を去っていった。
……いったい俺たちのやり取りのどこを見て『仲がいい』と解釈したのだろうか。
俺は深く溜め息をついた。
「これから、どうするんだ? どこで何をしたらいいんだ?」
「まずは『滝尻』ね……熊野の神域の入口よ。あなたに憑いているものを祓わなきゃ」
「憑いているのは、お前じゃないのか?」
「失礼ね。わたしは、あなたの『嫁』よ?」
「この民宿の中だけの限定設定だろ! それに俺はバイクだぞ、巴美はどうやって行くんだ?」
「大丈夫よ」
何が大丈夫なのか、俺はそれ以上聞かなかった。
この時の俺はまだ、あの声が出なくなる現象にも、きっと何か仕掛けがあるはずだ。そう思い込もうとしていた。
スカーフの声が出なくなる仕掛けさえ解き明かせば、明日にはまた一人で普通の気ままな旅に戻れるのだと、考えていた。




