第22話 黒牛
第22話 黒牛
潮岬を後にし、今夜すさみ町に取った宿を目指して、海沿いの国道42号を走る。
潮岬灯台や本州最南端の碑、景色のいいカフェなどを回っているうちに、時計の針はすでに夕方近くを指していた。
すさみまであと数キロという地点に差し掛かった時、左手の水平線へ沈みかけている夕日が、海と空を鮮やかな茜色に染め上げていった。
「和樹、見て……夕日よ」
背中から聞こえた巴美の声に誘われ、俺は国道沿いにある駐車場へとバイクを滑り込ませた。
駐車場に掲げられた『恋人岬』という看板を目にし、俺は急に気まずくなって思わず視線を逸らしたのだが、巴美はそんな俺のわずかな動揺さえ見逃してはくれなかった。
「うまく時間を合わせたわね、和樹」
「違う! 偶然だって……たまたま通りがかっただけだろ」
柵に肘をつき、夕日を眺める俺の肩へと、巴美が寄り添うように近づいてきた。
「ほら……『夫婦波』だって。ここでわたしに、これを見せたかったんでしょ?」
「『恋人』を通り越してるじゃないか……」
俺たちは黄金色の夕日の中、すぐ沖に浮かぶ『陸の黒島』の手前で、左右両側から打ち寄せて一つに合わさる『夫婦波』の神秘的な光景をじっと見つめていた。
やがて日が落ち、今夜の宿へと到着した。
そこは、地元の釣り客やダイビング目的の利用者が集まる静かな民宿だった。
夕食には、南紀の港で揚がったばかりの豪華な海鮮料理がテーブルいっぱいに並んだ。
「和樹は、お魚がすきなのね」
「……ああ」
美味しそうに海鮮を楽しむ巴美とは対照的に、俺も昼食は『唐揚げ定食』にしておけばよかったと、くだらない後悔が頭をよぎる。
「明日行く滝は、ここから近いのか?」
「バイクなら十分ほどの場所よ。そこから少し山道を歩くけどね」
「そうか、それなら朝早く出なくていいな」
「行く前に街の酒屋さんに寄ってくれる? お土産を持っていかないと」
「えっ!? 人に会うわけじゃないんだろ?」
「そうよ、人には会わないわよ。お供えみたいなものよ」
その濁した言い回しに、俺は違和感と不安を感じた。
次の日の昼前。
街の酒屋で純米酒『黒牛』の小瓶を買う。
「それでいいのか?」
「和歌山のお米と水で造られている純米酒だからね」
「そういう決まりみたいなものがあるんだな」
「御神酒として供えるのにふさわしいってだけよ、それにあんまり飲ませて酔わせてもダメだから」
「飲ませるって……やっぱり、何か出るんだな……」
「さあ……どうかしらね?」
『すさみ古座線』と言われる山あいの県道38号を東へとバイクで走る。
清らかな周参見川に沿っていくつか橋を渡ったところで、脇道に入った。
バイクを停め、そこからは徒歩で山奥へ続く林道へと足を踏み入れる。
案内板が立っており、その先には『琴滝』をはじめとするいくつかの滝の名が書かれていた。
「和樹、こっちよ」
巴美は躊躇うことなく、傾斜のきつい岩場に掛けられたロープを掴み、斜面を登り始めた。
深い森の奥から、響く滝の水音が次第に大きくなってくる。
「そろそろ、本当のことを教えてくれよ。ある程度の覚悟はできているから」
「何のこと?」
「何か……人じゃないものに会うんだろ?」
「そうよ、ここを登ったら教えてあげる。今教えたら、和樹の足がすくんで落ちちゃうかもしれないから」
「なんだよそれ……冗談に聞こえないぞ」
先に岩の上へと登り切った巴美が、上からそっとこちらへ細い手を差し出してきた。
俺はその温かい手をしっかりと掴み、岩の上へと引き上げられた。
息を整える俺の顔を見て、巴美は静かな声で囁いた。
「……『牛鬼』よ」
「えっ……!? 牛鬼って……この前、大雲取越で巴美が倒したばかりじゃないのか!?」
「あいつとは別の牛鬼よ。あんな風に荒ぶっている奴じゃないから」
「そ、そうなのか……それなら、安心したよ……」
「……でもね。絶対にやつの姿を直接見たり、自分の影を喰われたりしちゃダメよ? 水面に自分の姿を映すのも絶対にダメだからね」
「……やっぱり、危険なんじゃないか……」




