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風は境界を越えて ―川の姫―  作者: 空白朔名


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第18話 すがりたい心

 第18話 すがりたい心



 県道46号を那智の滝方面へとバイクを走らせる。

 昨日の夕方から何も口にしていなかった俺たちは、空腹に耐えかねて開いてる店を探した。

 だが、山深き県道沿いには店などなく、結局、飲食店は那智の滝の駐車場周辺に数軒並んでいる程度だった。


 駐車場にバイクを停め、土産物屋を兼ねた食堂をいくつか見て回ったのだが、巴美は不満そうに首を横に振るばかりで一向に店に入ろうとしない。


「……まさか巴美、また親子丼探してるんじゃないだろうな?」


「どこも、蕎麦とうどんばかりね」


「そんなに卵が食べたいなら、月見うどんとかで妥協すればいいじゃないか」


「鶏肉が入ってないじゃない……親子うどんとかないの?」


「俺はそんなの聞いたことないよ。夜は那智勝浦で豪華な海鮮を食べよう。ここは我慢して期待しておけって」


「へえ……そんないいところに、泊めてくれるのね」


「ああ、時間も早いから。きっといい旅館が取れるぞ」


 そう意気込んで、俺たちは手近な食堂の暖簾をくぐった。

 運ばれてきた温かい月見うどんを出汁まで平らげながら、俺は向かいに座る巴美に問いかけた。


「それで、『熊野那智大社』の本殿には行かないんだろ? せっかく来たんだから『那智の滝』ぐらいは見るだろ?」


「そうね、まだ時間もあるし観光でもしてみようかな」


 店を出た俺たちは、杉の巨木が立ち並ぶ『飛瀧神社(ひろうじんじゃ)』の参道へと向かった。

 青々としたシダの生い茂る長い石段を下っていくと、その木立の隙間から、すでに圧倒的なスケールを誇る白銀の滝筋が見え隠れしていた。


 地鳴りのような重低音とともに、肌を濡らす水しぶきが風に乗って舞い散ってくる。


「……この滝が、飛瀧神社の御神体よ」


「滝そのものが、御神体なんだ……でも、この力強さを見せつけられたら、昔の人が神様だと崇めた理由も分かる気がするよ」


「大昔の熊野は、自然崇拝が信仰のすべてだったのよ」


「山とか岩とか滝が神様そのものだったんだな」


「そう、そこに日本古来の神様を当てはめていったのよ」


「天照大神(アマテラス)とか須佐之男(スサノオ)とかか……」


「アマテラスは違うわ。本宮の神様は、スサノオと同じ神だと言われているの」


「複雑だな……」


「昔は、熊野の神様それぞれに、仏様の姿が重ねられていたの。本宮は阿弥陀如来、那智は千手観音というふうにね」


「それって仏教の方じゃないのか?」


「そうよ。時代が移り変わり、神様や仏様の名前が変わったとしても……人々の『すがりたい』という思いそのものが、受け継がれていくことが大切なの」


「だから、何百年も前から、大勢の人が熊野詣に押し寄せて来たんだな……」


 巴美はふっと足を止め、大滝を見上げる俺の横顔を覗き込んできた。


「あなたも熊野詣をするためにここに来たんじゃないの?」


「……俺か? 俺はそんな立派な理由じゃない。理不尽な理由で会社を辞めなきゃならなくなってさ。人間なんて誰も信じられなくなった。だから全部嫌になって……和歌山まで逃げてきただけだ」


 俺が自嘲気味に呟くと、巴美は呆れたように肩をすくめた。


「そんなことばかり言っていると、心が歪んで『怪異』になっちゃうわよ?」


「大丈夫だよ。俺みたいな人間が怪異になったところで、誰も怯えてくれないし、祀ってもくれないから」


 巴美は一瞬だけ驚き、やがて小さく吹き出した。


「……あなたって、本当に自分のことを分かってないのね」


「何がだよ?」


「だって、怪異になりたい人なんて、本当はいないでしょう?」


 俺と巴美の間に降る水滴が、濡れた彼女の髪の毛先を銀色にきらめかせ、より幻想的に見せた。

 

「人はね……苦しい時、何かにすがりたくなるの」


「……何かって?」


「神様でも、仏様でも、人でもいい。たとえ、それがただの石や木だったとしてもね」

 

 巴美は滝の流れを見つめた。


「もう一度だけ歩いてみようって思えるなら……それだけで、きっと意味があるのよ」


「意味か……今の俺には、分からないな」


「今は、それでいいんじゃない?」


 巴美はそう言って、再び歩き始めた。

 俺は苦笑しながら、その小さな背中を追いかけた。


 轟々と流れ落ちる那智の滝の音が、俺たちの背中を押しているようだった。


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