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風は境界を越えて ―川の姫―  作者: 空白朔名


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第15話 淵の主

 第15話 淵の主


 

 『亡者の列』が通り過ぎた。

 巴美は視線を、もう誰もいない暗闇の道の先へ向けたままだった。


「どう? 和樹。誰か知っている人はいた?」


「いや、俺はまだそういうのは縁遠いからな。物心つく前に亡くなったじいちゃんぐらいだ。顔も知らないよ」


 俺は息を整えながらバイクに跨り、セルを回してエンジンをかけた。


「そう……。じゃあ、行きましょ」


「いや……巴美はどうなんだ? 会いたかった人には会えたのか? そのためにここへ来たんだろ?」


「……どうかしらね」


 そう呟くと、彼女はそれ以上何も語らず、静かに後ろのシートに跨った。

 再び走り出した俺の背中には、巴美の華奢な体が、いつも以上に預けられていた。


 

 日はすっかり落ち、頼れるのはバイクのヘッドライトが照らし出す一本の光の筋だけだった。

 走り始めて数分後。

 さっきまで肌に心地よかった冷たい谷風が、突然、気味の悪い生ぬるい風へと変わった。

 そして、ヘッドライトが照らされた数十メートル先。

 黒々と立ち塞がる何かの巨大な影が、道路の真ん中に姿を現した。

 

「止めて!」


 背後から巴美の声が響く。

 影との距離は二十メートルほど。

 停車すると同時に、巴美はバイクから飛び降り、俺の前に出てヘルメットを脱いだ。


「巴美……今の、一体何なんだ!?」


 彼女の焦る様子に、俺もバイクから降りてヘルメットを外した。

 だが前方の闇に目を凝らすと、さっきまで確かにそこにあった大きな影は消え去っていた。

 確認しようとバイクの前に一歩出ようとした瞬間、巴美が俺の腕を掴み、強引に引き戻した。

 

「影を作っちゃダメよ、早く……バイクのライトを消して!」


 言われるがまま、俺は慌ててキーを回してライトを消した。

 一瞬にして、世界が漆黒へと呑み込まれる。

 息を殺すうちに、徐々に闇に目が慣れてきた。

 雲間から漏れ出すわずかな月明かりの中に、青白い巴美の横顔が浮かび上がる。


「淵から出てきた『鬼』よ……」


 闇の中から低い声が聞こえる。


「鬼? どこに行ったんだ!」


「まだ、その辺りにいるわ……足音も気配も消して動いてるの」


 その時、俺のすぐ後ろから声がした。


「お前、白蛇……娘だな……」


 闇の奥底から、腹に響くような低い声が聞こえた。

 声の聞こえた闇の方角へ素早く振り向くが、そこには何も見えない。


「あなたは、淵の主ね」


 木々の間の深い暗闇に、爛々と怪しく光る獣のような二つの目が浮かび上がる。

 

「ここを通しなさい!」


 巴美の表情は、出会ってから一度も見せたことのない冷酷で、鋭く射るような眼光を放っていた。

 彼女の顔から、鬼のいた闇へと視線を戻す。

 だが、そこにはもう、あの光る眼はどこにもなかった。

 次の瞬間、俺のすぐ耳元で声がして、泥臭い息が頬にかかった。


「お前は……人か? そうか……契約を……させられて……いるのか」


「……うわっ!」


 思わず悲鳴が漏れ、身体が恐怖で金縛りのように硬直する。

 俺の首元に巻かれたスカーフが、熱を発するように温かくなった。


「やめなさい! 手を出さないで!」


 恐怖で一歩も動けなくなった俺の腕を、巴美は力まかせに引き寄せた。

 そして自分の身を盾にするようにして、俺を背後へ回した。

 

「なぜ……人を守る……お前が……」


 暗闇から響くその声は、次第に怒りと怨嗟を孕んだ荒々しいものへと変わっていった。

 山全体の木々が、まるで恐怖に震えるようにざわざわと不気味にざわめき立つ。

 

「やはり、話が通じる相手ではないわね……あいつは死や病しかもたらさない怪異なのよ」


「そんな恐ろしいやつなのか……」


 漆黒の闇の向こうで、禍々しい気配が一気に膨れ上がっていくのを、俺は肌で感じ取っていた。

 

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