第14話 亡者の列
第14話 亡者の列
宿で愛車のバイクと荷物を受け取り、国道168号線を熊野川の清流に沿って南下する。
『瀞峡めぐりの里 熊野川』の駐車場に着いた時には、時計の針はすでに午後の二時を回っていた。
山あいに差し込む陽光が少しずつ傾き始め、目の前に広がる青く澄んだ熊野川の水面を、滑らかな銀色にきらめかせている。
「巴美、次の目的地は新宮でいいのか? 新宮の市内なら、ビジネスホテルくらいはとれそうだぞ」
巴美は熊野川の対岸に連なる深い山並みを見つめたまま、静かに首を振った。
「和樹……わたしは大雲取に行くわ」
「熊野那智大社の方か? 熊野速玉大社の後で向かえばいいんじゃないか?」
「あのね……わたしは別に熊野三山巡り(三社巡り)の観光をしているわけじゃないのよ」
「そうか……だから、さっきの熊野本宮大社も参拝しなかったんだな」
俺の言葉に、彼女は唇を噛んで頷いた。
「うん……。だからね、この先、和樹は無理に付き合わなくていいの。この先の田長まで乗せて行ってくれれば、それでいいから」
「それから、どうするんだ? まさか……もう、会えないのか?」
「少し別行動をとるだけよ。明日の昼、熊野那智大社の前で待ち合わせしましょ」
「はぁ!? これから、夜通しあの深い山の中を一人で歩くつもりなのか? そんなこと、させられるわけないだろ!」
「大丈夫よ。あなたより熊野の山には詳しいし、それに、わたしはあなた達とは違うの……」
巴美は今までにないほど真剣で、どこか悲しげな眼差しを向けてきた。
胸の奥が痛む。そんなこと、言われなくても最初から普通じゃないとは薄々感じていた。
「分かってるよ……そんなこと。俺も行くよ、大雲取で何をするか知らないけど……きっと、俺は何もできない。それどころか足手まといだ……」
「……和樹」
「でも、俺はただ待つだけなんてできない! ここで巴美と別れて、もしこのまま二度と会えなかったら俺は……」
「そんなこと……させないわ」
巴美は少し険しく、けれど何か大きな覚悟を決めたような表情を浮かべ、背を向けて歩き出した。
そして俺のバイクの横に立ち、振り返ってどこか吹っ切れたような微笑みを向けてきた。
「行くわよ、後悔しても知らないからね」
走り出したバイクは、大きな三和大橋の下をくぐり、県道44号線の小口の入り口に来た。
しかし、巴美は俺の肩を叩き、その先を指さした。
彼女が背後から指し示したのは、ただでさえ険しい県道44号線よりもさらに先の田長川沿いの道だった。
路肩にバイクを停め、地図を確認する。
那智の方で県道46号線と合流するその道は、地図上から見ても曲がりくねった過酷な林道だと分かる。
ナビの計算だと一時間もあれば抜けられると表示されていた。
その数字を見て、俺は少し安堵した。
……だが、走り始めてすぐにその甘さを思い知らされた。
路面にはびっしりと濡れた落ち葉が広がり、日の当たらないカーブには青々と苔が生えている。
タイヤが滑らないよう、俺は神経をすり減らしながらハンドルを握りしめた。
山の影が深く覆いかぶさり、急激に暗くなり始めた道を慎重に進む。
「巴美、このままこの林道を進めばいいんだな?」
「そうよ、気を付けて進んでね」
背中越しに聞こえる彼女の声は、どこか絞り出すように力なく、悲しげに響いた。
国道から離れて三十分ほど走ると、さっきまで横を流れていた川音も消え、聞こえるのはエンジン音だけになった。
対向車も、民家の明かりすらない暗闇の道。
その時、ヘッドライトの光の先に、ふっと人影が浮かび上がった。
俺はアクセルを戻し、速度を落としてすれ違う。
「……こんな奥深い林道まで、ハイカーさんが歩いているんだな」
「違うわ、ハイカーじゃないわ。……まだまだ来るわよ」
巴美の言葉通り、その後もポツリ、ポツリと暗闇の中から人影が現れてはすれ違っていく。
ただ、その人々の服装に強烈な違和感を覚えた。
山歩きのアウトドアウェアではなく、ごく普通の日常着だったり、黒いスーツ姿だったり。
やがて、菅笠を被り白装束を纏った古風な姿を見た瞬間、俺の背筋に冷たい汗が伝った。
歩く彼らの影は、バイクのヘッドライトにも落ちていなかった。
「巴美、あれは……もしかして」
「ここは死生観(あの世とこの世)の境目なの。あれは『亡者の列』と言われてるものよ」
俺はその言葉を聞き、思わずバイクのサイドミラーを覗き込んだ。
だが、いま確かに横をすれ違ったはずの人影は、鏡のどこにも映っていなかった。
暗闇から現れる人々の列は次第に密度を増し、歩道もない狭い道を無言で通り過ぎていく。
俺はたまらず路肩にバイクを寄せ、エンジンを切った。
バイクの排気音が消えると、山全体がしんと静まり返る。
「……あなたにも、あの列の中に、会いたい人や知り合いがいるかもしれないわね」
静かに立ち尽くし、亡者たちの無言の列に目を凝らす巴美の横顔を、俺は息をのんで見つめた。
「巴美は……誰かを探しにここへ来たのか?」
「今のわたしには、会えないのかも……」
「それって……どういう意味だ?」
俺の問いかけに、巴美は何も答えてはくれなかった。
ただ、静かに通り過ぎていく『亡者の列』の影を、じっと、寂しそうに見つめ続けていた。




