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第7話:草船の夜(後編)

第7話:草船の夜(後編)


闇と霧が支配する長江の川面。曹操軍の陣営から、絶え間なく矢の雨が降り注ぐ。



挿絵(By みてみん)

ヒュウ、ヒュウ、という耳をつんざくような音とともに、闇から放たれた無数のやじりが、諸葛亮の載る小舟を襲う。


魯粛は船の底に身を縮め、頭を抱えていた。「孔明殿、死ぬ! このままでは我らは針千本を背負った案山子になってしまう!」


しかし、諸葛亮は船尾に陣取り、悠然と酒を酌み交わすような落ち着きで立っていた。その横で、藁人形たちには次々と黒い影が突き刺さり、深く、重く食い込んでいく。


「魯粛殿、ご安心を。曹操殿の矢は、我が軍に貴重な贈り物を持ってきてくれている」


船団は、わざと曹操の陣を横切るようにゆっくりと進む。曹操は敵の数が読めない焦燥から、さらに弓隊を増強し、ありったけの矢を霧の中へと叩きつけた。


船の左舷に矢が満ちれば、諸葛亮は船を反転させ、右舷を陣営に向けた。満遍なく、美しく、藁人形の表皮が矢で覆われていく。


やがて、陣営からの矢の勢いが次第に衰え始めた。曹操の兵たちも、闇雲に放ち続ける矢の数に限界を感じたのか、霧の先に見えない敵を恐れ、攻撃を止めたのだ。


「風が北から吹き始めた。霧が晴れるのも時間の問題です」


諸葛亮は涼しげに言うと、船団を反転させた。


霧のカーテンが薄らぐにつれ、そこに現れたのは、驚くべき光景だった。二十隻の小舟の左右に、びっしりと突き刺さった矢。その数は十万本を優に超えていた。藁人形たちは、もはや人の形を成さぬほどの矢の鎧を纏い、異様な重みで船を沈み込ませんばかりに傾けている。


「……十万本、いや、それ以上か」


魯粛は呆然と立ち尽くすしかなかった。彼は孔明の才気というものを、頭では理解していたつもりだった。だが、目の前にあるのは、奇跡ではなく「計算」による支配だった。


朝霧が完全に晴れ渡ったとき、船団は呉の軍営へと帰還した。


出迎えた周瑜の顔から、血の気が引いていくのが見て取れた。積み上げられた矢の山を前に、周瑜は言葉を失い、ただ唇を噛み締めた。


「周瑜殿、約束通り十万本の矢です。曹操殿からの善意を、ありがたく頂戴いたしました」


諸葛亮のその言葉は、周瑜にとって何よりの敗北宣言だった。


周瑜は、その場の空気を支配していた自分自身の傲慢さを恥じ、同時に、目の前の男に対する底知れぬ恐怖を覚えた。この男を敵に回してはならない。だが、この男が味方でいる限り、自分は常に二番手に甘んじることになる。


諸葛亮は振り返り、遥か彼方の北岸を眺めた。


彼の計算は、ここからさらにその先へ向かっている。矢を手に入れた今、次は「連環の計」による、船団の固定。そして、風を呼ぶための祭壇。


「さあ、準備は整いました。天下を分かつ炎は、間もなく長江を焼き尽くします」


赤壁の戦いの空は、まだ静かだった。だが、そこに放たれた十万本の矢は、歴史という名の巨大な標的を、確実に射抜こうとしていた。

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